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君と契りて 言はで思ふ心の理  作者: はまちゃん
邂逅

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3/42

図書館で出会った不思議な女子高校生

その日までは大学図書館の午後は静かだった。


窓から差し込む柔らかな陽射しが木製の机を照らし、ページをめくる音だけが時折響いている。


そんな穏やかな空間の中で、玲は頬をふくらませたまま海斗を見上げていた。


「だけど、そこまで大差ないだろ。」


海斗は苦笑しながら言う。


すると玲は両手を腰に当て、抗議するように身を乗り出した。


「いーや、四つも違うんだよ!」


「四歳差って結構大きいんだから!」


「高校三年生と中学生じゃ全然違うもん!」


その力いっぱいの主張に、海斗は思わず吹き出した。


「悪い悪い。」


「絶対、中学生だと思ったでしょ!」


玲はじっと睨むような視線を向ける。


しかし、その目に怒りはなく、どこか拗ねた子どものような可愛らしさしかなかった。


「……多少な。」


海斗が正直に認めると、玲は「ほら!」と両手を広げる。


「やっぱり!」


「みんなそう言うんだから!」


「この前なんて、小学生料金で映画館に入れそうになったんだよ!」


「それは店員も悪いな。」


「でしょ!」


玲は勢いよく頷いた。


「ちゃんと制服着てたのに!」


「制服だけじゃ判断できなかったんだろ。」


「例えばコスプレに思われたとか。」


「ひどーい!」


また頬を膨らませる。


その表情があまりにも子どもっぽくて、海斗はまた微笑んでしまった。


玲もつられるように笑う。


図書館の中なので、お互い慌てて口を押さえ、小さく肩を震わせる。


その様子がまたおかしくて、二人は顔を見合わせながら笑いを堪えた。


海斗はふと気づく。


ここ数か月、自分はこんなふうに笑ったことがあっただろうか。


研究室では一日中数式と向き合い、行き詰まればため息をつく。


図書館へ来ても、参考書と論文を往復するだけ。


人と話すことさえ減っていた。


まだ、プラナリアの方が複雑な行動をしていると思えるには。


それなのに。


出会ってまだ十分ほどしか経っていない少女と、こんなにも自然に笑っている。


そのことが少し不思議だった。


「あ、そうそう。」


玲は何かを思い出したように人差し指を立てた。


「海斗君って、いつもここにいるよね?」


「そうか?」


「うん。」


玲は図書館を見回しながら言う。


「実はね、何回か見かけたことあるんだ。」


「いつも窓際の席で、分厚い本読んでるなーって。」


海斗は少し驚いた。


「気づかなかった。」


「私は気づいてたよ。」


玲は少し得意げに笑う。


「本当に勉強好きなんだなって思ってた。」


「勉強というか、研究資料の確認をしてる。」


「研究!」


その一言で玲の瞳がぱっと輝いた。


さっきまで年齢の話をしていた少女とは思えないほど、興味津々な表情になる。


「何の研究?」


「数学。」


「数学!?」


玲は思わず声を上げかけ、慌てて口を押さえた。


近くの学生が一瞬だけこちらを見る。


玲は小さく頭を下げ、「すみません」と囁いた。


そして少し声を潜めながら続ける。


「数学の研究って、本当にあるんだ。」


「あるよ。」


「学校の先生になるため?」


「いや。」


海斗は首を横に振る。


「新しい定理や、新しい性質を見つける研究だ。」


玲はぽかんと口を開ける。


「えっ。」


「そんなことできるの?」


「簡単じゃないけどな。」


「どんな数学なの?」


「方程式?」


「図形?」


「微分積分?」


質問が次々飛んでくる。


海斗は苦笑した。


「純粋数学だよ。」


「じゅんすいすうがく……?」


聞き慣れない言葉に、玲は首を傾げる。


海斗は少し考えながら言葉を選んだ。


「例えば橋を造るための数学とか、コンピューターを動かす数学は役に立つ数学だ。」


「うん。」


「でも純粋数学は違う。」


「役に立つかどうかよりも。」


「その命題が真実かどうか。」


「とりあえず、美を追い求めるのが数学なんだ。」


玲は静かにその言葉を聞いていた。


「真実……。」


小さく繰り返す。


「なんだか、不思議。」


「そうか?」


「うん。」


玲はゆっくり頷いた。


「普通は役に立つから勉強するって考えるじゃない?」


「でも海斗君は違うんだね。」


「真実だから知りたい。」


「そういうこと?」


海斗は少し驚いた。


「……そう。」


「その通り。」


玲は嬉しそうに笑った。


「かっこいい。」


「誰も知らないことを探すんでしょ?」


「それって探検家みたい。」


探検家。


その例えは海斗にとって新鮮だった。


数学を山登りに例える人はいる。


迷路に例える人もいる。


しかし探検家という表現は初めて聞いた。


「面白い考え方だな。」


「そう?」


「数学者は未知の世界を歩く。」


「確かに探検家かもしれない。」


玲は嬉しそうに笑う。


「やった。」


「褒められた。」


「褒めたわけじゃない。」


「えー。」


また頬を膨らませる。


その表情に海斗は苦笑するしかなかった。


「それで。」


玲は机の上の本を覗き込む。


「今は何を探してるの?」


海斗はページを閉じた。


「まだ誰も知らない数の性質。」


「新しい数ってこと?」


「そんな感じかな。」


玲は少し考える。


「そんなの、本当に見つかるの?」


その問いに、海斗は少し視線を落とした。


研究室で何度も書き直した証明。


途中で止まった論文。


行き詰まった数式。


ここ数か月の苦しい日々が頭をよぎる。


「分からない。」


正直に答えた。


「何か月も成果は出てない。」


「もしかしたら存在しないのかもしれない。」


「探しているもの自体が間違っている可能性もある。」


玲は黙って聞いている。


海斗は静かに続けた。


「でも。」


「もし見つけられたら。」


「数学史に名前が残る。」


玲は目を丸くした。


「そんなにすごいことなの?」


「ああ。」


「何百年も世界中の数学者が挑戦している。」


「だから簡単じゃない。」


「成功する保証なんてどこにもない。」


玲はしばらく考え込む。


そして。


ふっと笑った。


「でもさ。」


春の日差しのようにまっすぐな笑顔だった。


「海斗君ならきっと見つけられるよ!」


海斗は思わず笑う。


「根拠は?」


「ない!」


玲は胸を張って即答した。


「でも、そう思った!」


あまりにも無邪気だった。


論理もない。


証明もない。


数学者なら真っ先に否定してしまいそうな言葉だった。


それなのに。


その一言だけは、不思議なくらい心へ染み込んでくる。


まるで未来を知っている誰かが、「大丈夫」と背中を押してくれたような気がした。


その時だった。


キーンコーン、カーンコーン。


図書館の外から、昼放課の終わりを告げるチャイムが聞こえてくる。


玲は「あっ!」と声を上げた。


腕時計を見る。


「やばっ!」


慌ててノートを抱え、椅子から立ち上がる。


「今日、図書委員だったの忘れてた!」


海斗は思わず笑う。


「大丈夫なのか。」


「全然大丈夫じゃない!」


玲は慌ただしく荷物をまとめながら、それでも海斗の方を振り返る。


「海斗君!」


「ああ。」


「また明日ね!」


その笑顔は、初めて会った相手とは思えないほど自然だった。


海斗も小さく手を上げる。


「またな。」


玲は満面の笑みを浮かべると、小走りで図書館を飛び出していった。


自動ドアが開き、閉じる。


再び館内には静けさが戻った。


海斗は開いたままの数学書へ視線を落とす。


だが、さっきまで読んでいた証明は、もう頭に入ってこなかった。


ページの文字を追っても、思い浮かぶのは数式ではない。


「海斗君ならきっと見つけられるよ。」


たったそれだけの言葉。


根拠のない、無責任な励まし。


それなのに、不思議と心が少し軽くなっている。


海斗は静かに本を閉じ、窓の外へ目を向けた。


西日に照らされたキャンパスを歩く学生たち。


その中に、もう玲の姿は見えなかった。


「変な子だな……。」


思わず小さく笑う。


その笑みには、研究に追われていた昨日までの硬さはなかった。


そして、この日を境に海斗は毎日のように図書館へ足を運ぶようになる。


もちろん、それは研究資料を読むためだった。


少なくとも、その時の海斗はそう思っていた。


けれど心のどこかでは、昼下がりの窓際で「海斗君!」と笑いながら声をかけてくる少女と、もう一度会えることを、少しだけ楽しみにしている自分がいることに、まだ気づいてはいなかった。

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― 新着の感想 ―
新しい数を探す海斗に訪れる運命的な出会い。あの最終回のようなプロローグのこともあって、とても先が気になるお話ですね。 私の知らない数学の用語がたくさん出てきて、作者が元々数学を好きなのか、この小説を書…
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