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君と契りて 言はで思ふ心の理  作者: はまちゃん
君と信じた不言論

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23/42

数の女神様③

静かな石畳の上に、朝とも夜とも言えない淡い光が降り注いでいた。


風はない。


鳥の声もしない。


それでも不思議と、そこには確かな「世界」が存在していた。


海斗――いや、夢の中ではセオドロスという名を持つ青年は、神殿へ続く道の途中で立ち止まっていた。


足元には白い石。


目の前には巨大な柱。


そのすべてが、以前から何度も訪れている場所のように感じられる。


「はあ……。」


自然とため息が漏れた。


理由は分かっていた。


夢の中で見た光景。


ピタゴラス教団。


そして、自分が見つけた数々の発見。


だが、その成果はいつも自分の名前では残らない。


「また悩んでいるの?」


優しい声が後ろから聞こえた。


振り返る。


そこには白い衣をまとった少女が立っていた。


白銀の髪。


穏やかな瞳。


どこか現実離れした美しさ。


「アリスモスか。」


彼女は微笑む。


「やっぱりここにいた。」


「考え事をすると、いつもこの場所に来るね。」


海斗は苦笑した。


「そうなのか。」


「自分では分からないんだけどな。」


アリスモスは隣へ歩いてくる。


そして、少しだけ寂しそうな表情で言った。


「ねえ、セオドロス。」


「何だ?」


「成果を奪われて……本当は悔しくないの?」


その言葉を聞いた瞬間。


海斗の胸に鋭い違和感が走った。


「……。」


周囲の景色が少しだけ揺らぐ。


胸の奥に、別の記憶が流れ込む。


教団。


師。


研究。


そして、自分の発見が別の人物の名で語られる光景。


だが。


その瞬間。


別の声が頭の中に響いた。


(違う。)


(俺はセオドロスじゃない。)


(俺は――)


海斗は目を閉じる。


(肥後海斗だ。)


その自覚が生まれた瞬間、夢の世界は以前とは違うものになった。


今まではただ流されるように、その人物として振る舞っていた。


しかし今は違う。


これは夢だ。


自分は現実世界で数学を研究する大学院生だ。


それでも。


不思議なことに、夢は終わらなかった。


むしろ、より鮮明になった。


海斗はセオドロスとして、ゆっくり答える。


「教団の方針だ。」


「仕方ないさ。」


アリスモスは黙って彼を見る。


その瞳には、悲しみが浮かんでいた。


「セオドロスは優しすぎるよ。」


「本当なら怒っていいのに。」


海斗は少し笑う。


「怒ったところで、数の美しさは変わらない。」


「誰が発見者として名前を残すかより。」


「その真理が存在することの方が大切だと思う。」


アリスモスはその言葉を聞いて、小さく目を細めた。


「やっぱり……。」


「あなたは数を愛しているんだね。」


その言葉に、海斗は少し照れた。


「大げさだ。」


「ただ、美しいものを見つけたいだけだ。」


すると。


ふと頭の中に、玲の姿が浮かんだ。


図書館で笑う姿。


病室で数学の話をする姿。


「交互完全数」という名前を嬉しそうにつけた瞬間。


海斗は思う。


数学とは、ただ数字を扱うものではない。


誰かと共有した思い。


誰かと見つけた瞬間。


それらすべてが、数学の一部になるのかもしれない。


「アリスモス。」


「ん?」


「また一つ、美しいものを見つけた。」


その言葉に、彼女の表情が明るくなる。


「本当?」


「ああ。」


海斗は近くにあった石板を拾う。


そして、そこへ数字を書く。


220


284


アリスモスは首を傾げた。


「これは?」


「二つの数だ。」


海斗は説明する。


「二百二十の真の約数を足す。」


「一、二、四、五、十……。」


アリスモスは指で追っていく。


やがて。


「……二百八十四。」


彼女の目が大きく開く。


「本当に?」


海斗は頷く。


「そして。」


「二百八十四の真の約数の和は。」


アリスモスは続きを計算する。


「二百二十……。」


しばらく沈黙が流れた。


二つの数字が、石板の上で静かに並んでいる。


まるで互いを必要としているように。


アリスモスは小さく呟いた。


「鏡みたい。」


「自分ではない誰かになることで、自分を完成させている。」


海斗はその表現に驚く。


「確かに、そうだな。」


完全数とは違う。


自分自身へ戻るのではない。


別の存在と関係を築く数。


その美しさに、海斗も心を奪われていた。


「この数を……。」


海斗は静かに言う。


「友愛数と名づけたい。」


アリスモスはその名前を何度も口にする。


「友愛数……。」


「素敵な名前。」


その瞬間。


彼女の瞳から涙が落ちた。


「どうした?」


海斗が尋ねる。


アリスモスは慌てて涙を拭う。


「ごめんなさい。」


「ただ……。」


数字を見つめる。


「こんなにも美しいものが、誰かの争いの道具になるのが嫌だった。」


海斗は黙って聞く。


「教団は、この発見をどうすると思う?」


その問いに、海斗は答えられなかった。


知識は人を豊かにする。


しかし同時に、権威や支配にも使われる。


アリスモスは小さな声で続けた。


「この数は。」


「誰かの名誉のためじゃない。」


「誰かを支配するためでもない。」


「ただ……美しいから。」


「だから、しばらくは私たちだけの宝物にしたい。」


その願いは、教団への反抗にも等しかった。


セオドロスにとっては危険な選択。


それでも。


海斗は迷わなかった。


「……分かった。」


アリスモスは顔を上げる。


「本当に?」


「ああ。」


「この数は、俺たちが見つけた。」


「だからまずは、俺たちが大切にすればいい。」


アリスモスは安心したように笑った。


その笑顔は、数学という概念そのものが形になったようだった。


「ありがとう。」


「セオドロス。」


その瞬間。


遠くから鐘の音が響いた。


一つ。


二つ。


世界が少しずつ白く染まっていく。


「また時間か。」


海斗が呟く。


アリスモスは寂しそうに微笑む。


「また会える?」


「分からない。」


海斗は正直に答える。


「でも。」


「数を追い続ける限り、きっとどこかで会える。」


アリスモスは嬉しそうに頷いた。


「うん。」


「数学は、時代を超えるから。」


光が強くなる。


石畳。


神殿。


アリスモス。


すべてが白い光の中へ溶けていく。


最後に見えたのは、石板に刻まれた二つの数字だった。


220


284


「……。」


海斗はゆっくり目を開けた。


天井。


研究室の時計。


机。


現実の景色。


朝日が窓から差し込んでいる。


「……またか。」


研究室のソファで眠っていたらしい。


海斗は体を起こし、机を見る。


そこには昨夜書いたノートが開いたままだった。


『交互友愛数』


その文字を見て、海斗は小さく笑う。


「夢なのに。」


「いつも数学だけは、妙に正確なんだよな。」


パソコンを開く。


昨日の研究データ。


探索結果。


交互友愛数の記録。


それらは確かに現実のものだった。


海斗はしばらく画面を眺めたあと、新しいページを開く。


そして、一行を書く。


『友愛数――220と284』


ペンを置く。


不思議な夢だった。


しかし。


夢の中で感じたことだけは、はっきり残っている。


数学は、ただ答えを求めるものではない。


誰かと出会い。


誰かと考え。


誰かと美しい瞬間を共有するものなのかもしれない。


海斗は窓の外を見る。


朝の空は、どこまでも青かった。


そしてその青空の向こうに。


まだ誰も知らない数の世界が、静かに広がっている気がした。

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