表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と契りて 言はで思ふ心の理  作者: はまちゃん
君と信じた不言論

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/42

病室の世界は狭すぎる

「ねえ、海斗君。」


病室の窓際に置かれた小さなテーブル。


そこには、先ほど海斗が持ってきたタモトユリが飾られていた。


白い花びらが、午後の日差しを受けて静かに輝いている。


玲はその花をしばらく眺めていた。


やがて。


ふと顔を上げる。


「外、行きたい。」


その言葉は、いつもの玲らしい明るさを含んでいた。


けれど。


海斗には分かった。


ただの気分転換ではない。


病室の外に出たいという、その小さな願いの奥には、もっと大きな想いがある。


「外……?」


海斗は少しだけ驚く。


玲は頷いた。


「うん。」


「ずっとここにいるとさ。」


「時間が止まってるみたいになるんだ。」


その言葉に、海斗は何も返せなかった。


病院の白い壁。


決まった時間の食事。


検査。


薬。


同じ景色の繰り返し。


健康な人間には想像しにくい閉塞感があるのだろう。


玲は笑って続ける。


「もちろん、病院の人たちには感謝してるよ。」


「先生も看護師さんも優しいし。」


「でも……。」


少しだけ窓の外を見る。


「たまには、自分が普通に生きてるって感じたい。」


その一言が、海斗の胸に刺さった。


普通。


それは誰もが当たり前だと思っているもの。


朝起きて。


学校へ行って。


友達と話して。


好きな場所へ行く。


しかし玲にとって、その一つ一つは簡単ではない。


海斗は静かに尋ねる。


「医師の許可は?」


玲はすぐに答える。


「少しなら大丈夫って言われてる。」


「屋上くらいなら。」


海斗は考える。


本当なら、無理をするなと言うべきなのかもしれない。


体調のことを考えれば、安静にしていた方がいい。


それは分かっている。


でも。


玲が今必要としているものは、ただ長く横になっている時間ではない気がした。


「……分かった。」


海斗が答える。


玲の顔がぱっと明るくなる。


「本当?」


「ああ。」


「ただし。」


海斗は指を一本立てる。


「短時間だけ。」


「疲れたらすぐ戻る。」


「約束だ。」


玲は笑った。


「分かった。」


「海斗君、先生みたい。」


「心配しているだけだ。」


「そこが先生っぽい。」


玲は楽しそうに笑う。


その笑顔を見ると、海斗も自然と表情が柔らかくなった。


二人はゆっくりと病室を出た。


廊下を歩く玲の足取りは、少しだけ軽い。


いつもの病室から数十メートル離れただけ。


それだけなのに。


玲にとっては、まるで遠い場所へ旅をしているようだった。


エレベーターの前に到着する。


ボタンを押す。


扉が開く。


二人で乗り込む。


静かな箱の中。


数字が一つずつ増えていく。


一階。


二階。


三階。


屋上階。


玲は表示を見ながら、小さく呟いた。


「屋上って初めてかも。」


「そうなのか?」


「うん。」


「病院って、基本的に下の階にいることが多いから。」


「そっか。」


海斗は少し考える。


「確かに、病院に来る人は上を目指すことって少ないかもしれないな。」


玲は少し笑う。


「海斗君らしい考え方。」


「数学っぽい?」


「うん。」


「何でも法則で考えてそう。」


海斗は苦笑する。


「否定できない。」


そんな会話をしているうちに。


エレベーターが止まる。


小さな音。


扉が開く。


そこには。


青い空が広がっていた。


屋上は想像していたより静かだった。


白い床。


安全柵。


いくつか置かれたベンチ。


そして。


どこまでも続く空。


玲は一歩外へ出た瞬間。


立ち止まった。


「……。」


言葉が出ない。


海斗は隣で待つ。


しばらくして。


玲が小さく息を吐いた。


「わあ……。」


その声には、純粋な感動が込められていた。


風が吹く。


玲の髪が揺れる。


病室の中では見られない表情だった。


「綺麗。」


遠くには街並み。


車の流れ。


建物。


人々の生活。


全てが小さく見える。


海斗も空を見上げる。


「意外といい景色だな。」


玲は頷く。


「うん。」


「すごくいい。」


二人は柵の近くへゆっくり歩く。


もちろん海斗は少し距離を確認しながら、玲の様子を見る。


無理をしていないか。


疲れていないか。


玲はそんな海斗の視線に気づいたのか、少し笑った。


「海斗君。」


「ん?」


「心配しすぎ。」


「……そうか?」


「そうだよ。」


玲は楽しそうに笑う。


「でも。」


少し間を置く。


「ありがとう。」


その言葉に、海斗は黙って頷いた。


風が吹く。


秋の始まりを感じる少し冷たい風。


玲は空を見上げながら言う。


「私ね。」


「ずっと病室にいると。」


「世界がどんどん小さくなっていく感じがしてた。」


海斗は静かに聞いている。


「最初はさ。」


「一日くらい我慢できるって思ってた。」


「数日でも平気って。」


「でも。」


玲は少し笑う。


「気づいたら、窓から見える景色ばっかり覚えてた。」


海斗の胸が締めつけられる。


「でもここに来ると。」


玲は空を見上げる。


「まだ世界って広いんだなって思う。」


「私が知らない場所も。」


「まだ見てない景色も。」


「いっぱいあるんだなって。」


海斗は静かに答える。


「ああ。」


「世界は広い。」


玲は微笑む。


「海斗君はさ。」


「数学でもそう思う?」


「どういう意味だ?」


「知らないことがいっぱいあるって。」


海斗は少し考える。


そして頷いた。


「そうだな。」


「数学は、分かったと思った瞬間に新しい疑問が出てくる。」


「終わりがない。」


玲は嬉しそうに笑う。


「じゃあ。」


「人生も数学みたいだね。」


海斗は少し驚く。


「人生が?」


「うん。」


玲は空を見る。


「答えが決まっているわけじゃない。」


「途中で新しいことを知ったり。」


「思いもしなかった人に出会ったり。」


「だから面白いのかも。」


海斗は玲を見る。


その横顔は、以前より少し大人びて見えた。


病気を抱えている少女。


そう思っていた。


けれど。


今目の前にいる玲は違う。


限られた時間の中で。


誰よりも世界を見ようとしている一人の人だった。


しばらく二人は何も話さなかった。


ただ並んで空を眺めていた。


東京の街。


遠くの建物。


流れる雲。


全てが静かに時間を刻んでいる。


やがて玲が小さく呟いた。


「ここ、好きかも。」


海斗は少し驚いてから笑った。


「俺もだ。」


玲は振り向く。


「本当?」


「ああ。」


「また来たい。」


その言葉を聞いた瞬間。


玲は嬉しそうに笑った。


「約束ね。」


海斗は頷く。


「ああ。」


「また来よう。」


その約束が、未来を保証するものではないことを。


二人とも分かっていた。


それでも。


今この瞬間に交わす約束には意味があった。


未来がどうなるかではなく。


今、一緒にいたいと思う気持ち。


それだけは確かなものだった。


屋上には、秋の風が静かに吹いていた。


白いユリのように。


どんな時でも上を向こうとする玲の姿を、海斗はずっと忘れないだろうと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ