東京旅行②
三河安城駅に着くと、朝の駅は多くの人で賑わっていた。
仕事へ向かう人。
旅行へ向かう家族。
大きな荷物を持った学生たち。
それぞれが、それぞれの目的地へ向かって歩いている。
玲はその光景を眺めながら、少しだけ目を輝かせた。
「なんか……。」
「普通の旅行って感じがする。」
海斗は隣を見る。
「普通?」
玲は頷く。
「うん。」
「病院にいるとさ。」
少しだけ間を置く。
「こういう場所に来ることって、当たり前じゃないんだなって思う。」
その言葉に、海斗は何も言えなかった。
玲は慌てて笑う。
「あ、ごめん。」
「暗い話するつもりじゃなかった。」
「ただ……。」
玲は駅のホームを見る。
「嬉しいんだ。」
「こうやって、海斗君と電車を待ってること。」
海斗は静かに頷いた。
「俺もだ。」
短い言葉。
けれど、それ以上必要なかった。
二人はホームで新幹線を待つ。
やがて。
遠くから列車の音が聞こえてくる。
「来た。」
玲が嬉しそうに言う。
白い車体がホームへ滑り込む。
二人は乗り込むと、窓側の席へ座った。
発車ベル。
扉が閉まる。
ゆっくりと車体が動き始める。
玲は窓の外を見つめていた。
流れていく街。
青い空。
遠ざかっていく駅。
「速いね。」
「何が?」
「景色。」
玲は笑う。
「いつも病室の窓から見る景色とは全然違う。」
海斗はその言葉を聞いて、少し胸が痛んだ。
玲にとって。
この何気ない移動時間すら、特別なのだ。
「東京に着いたら、まずどこへ行く?」
海斗が尋ねる。
玲は少し考える。
「うーん……。」
「数学者らしく、数学関係の場所?」
「それもいいな。」
「でも。」
玲は笑った。
「今日は普通の観光客になりたい。」
海斗は少し驚く。
「普通の?」
「うん。」
「有名な場所を見て。」
「美味しいもの食べて。」
「写真撮って。」
「そういうの。」
玲は少し照れたように笑う。
「数学の話も好きだけど。」
「今日は、海斗君と普通の思い出を作りたい。」
その言葉に、海斗は静かに頷いた。
「ああ。」
「そうしよう。」
新幹線は東京へ向かって走る。
その途中。
玲は楽しそうに窓の外を眺めていた。
富士山が見える。
雲の隙間から姿を現した山を見て、玲は声を上げる。
「海斗君!」
「富士山!」
「ああ。」
「綺麗だな。」
二人で同じ景色を見る。
ただそれだけ。
けれど。
海斗にとって、その時間はどんな研究成果よりも価値のあるものだった。
東京駅に到着すると、人の多さに玲は目を丸くした。
「すごい……。」
「人がいっぱい。」
海斗は周囲を見る。
「迷子になるなよ。」
玲は少し不満そうに頬を膨らませる。
「子供じゃないよ。」
「高校三年生。」
「でも。」
海斗は笑う。
「四歳以上違うんだろ?」
その瞬間。
玲は目を丸くする。
そして。
「それ、まだ覚えてたの?」
以前図書館で言われた言葉。
海斗は小さく笑う。
「もちろん。」
玲は楽しそうに笑った。
「じゃあ今日は、ちゃんと大人扱いしてね。」
「ああ。」
「分かった。」
二人は東京の街へ歩き出す。
そこには、数学の難問も。
研究室の重圧も。
病気への不安も。
少しだけ遠くに感じられた。
今日だけは。
ただの大学院生と高校生。
ただの二人の旅行だった。
そして海斗は思う。
この瞬間こそ。
玲が言っていた「幸せ」の形なのかもしれない、と。
数学は答えを証明する学問。
けれど。
人生の中には。
証明できなくても、確かに存在するものがある。
隣で笑う玲の姿。
この時間。
この思い出。
それだけは、どんな数式よりも確かなものだった。




