Case.2 罪は罪(3)
*大変お待たせいたしました。
「ふう……」
里奈はフードの下から、広い石畳の広場の中央を注意深く観察した。高さ十メートルはあろうと見られる大きな精霊像の前に、献花台のような台が置かれていた。白い布を掛けられたその台の上には、青い花が山のように供えられていた。あの青い花は聖花を模した物で、精霊に捧げる供物なのだそうだ。献花台の周囲には、白地に青いラインの入った軍服を着た兵士が、等間隔に立ち周囲を見張っている。あの軍服は、王家直属の近衛兵のものらしい。人々の噂を聞くだけで、ある程度事情は把握できる。
サッカー場がすっぽりと入りそうな大きさの広場内は、明らかに昨日よりも人が溢れている。今日行われるメインイベントは、あの中央の献花台に王が青き花を捧げ、精霊の守護を受けるというもの。毎年捧げられる青い花は造花だそうだが、今年は聖花リールバルドが咲くかもしれない、本物の聖花が捧げられるのかもしれない、と期待も大きい様だ。聖花は王族しか手に触れる事を許されておらず、実際に聖花を目にする機会は、今回を逃せばまた数百年後になると聞いた。
この王の御代は安泰だ、今年は豊作に違いない――人々の期待も高まっているのだろう。集まった人々の顔付きは、どれも明るかった。女性も男性も、聖花を模した青い造花を身に付けている。女性は髪飾りやネックレス、男性は胸元や帽子ににブローチを。そうすることで、精霊の加護のご利益が得られるのだという。
里奈は広場の周囲に視線を走らせた。この広場を中心に、ここから、東西南北に大きな道が伸びている。広場から北にあるのが、緑豊かな精霊が住むと言う王家の森と白い塔が目立つ王城だ。北が高貴な方角と言われ、北側には高位貴族が住む豪勢な建物が並んでいた。東には下位貴族、南に豪商、そして西が一般市民となっているらしい。普段、自分の住むエリアから出ることはないそうだが、この広場は身分に関係なく利用できるそうだ。王都に住んでいるという事は、『精霊の加護』を受けているという事。一般市民と言えど、この国の大半の民よりは、遥かにステータスは上だ。
(王が聖花を捧げるのは、夕暮れ。その時間に稲葉は事を起こすに違いないわ)
真北に一番星が輝くその時に王が献花台に聖花を捧げ、同時に鈴の音を鳴らして精霊を呼び出す儀式。当然、広場の中央以外の場所は手薄になる。盗賊団が狙うなら――そこだ。
(この国の住人なら、考えもつかないでしょうけどね……)
『精霊の加護』が人の位を決めてしまう国。だから皆、精霊祭で加護を得ようと必死になる。精霊の儀式の最中に、不届きな事をしようなどと、この国の人間では考えられないだろう。残念ながら、稲葉は異世界人――それも自分勝手な論理を振りかざす犯罪者だ。
この世界の犠牲者を出さないようにしないいけない。里奈は改めて決意し、再び注意深く周囲を観察し始めた。
里奈は広場の南、街道から少し離れた隅の方で露店を開いていた。同じような露店が、広場の隅にいくつも開かれている。目立たない場所に敷物を敷き、品物を並べただけだが、ガラス細工の青い花は飛ぶように売れた。ガラス工芸をする技術はまだこの国にはないらしく、透明で冷たい質感のガラスに皆魅せられるようだ。
(あら?)
里奈は店の前を行ったり来たりしている少女に目を止めた。ほぼ白色に見える淡い金髪に白い肌。捧げられた青い花と同じ青い瞳。耳元に青い花を挿している。十歳ぐらいだろうか。白のワンピース、というより長い下着に近い形の服に裸足。手に何も持っておらず、保護者らしい人間も周囲に見当たらなかった。
「何か見たいものがあるの?」
里奈が少女に声を掛けると、びくっと怯えたような表情をされた。少しフードを上げた里奈が微笑むと、少女の強張った表情が少し緩んだように見えた。
「……それ」
白くて細い指が指したのは、敷物の上に並ぶガラスの青い花だった。
「生きてない花なのに、キレイ」
里奈は小さな花の細工を一つ手に取り、少女の小さな手のひらに載せた。少女は目を見張り、ゆっくりと青い花を陽の光にかざした。ガラス越しの光がきらきらと少女の服の上に落ちる。
「……!」
ぱあっと少女の顔が明るくなった。硬かった口元に笑みが広がる。少女が何か言おうとした時、後ろからどんと突き飛ばされた。
「!?」
どんとしりもちをつく少女に、「大丈夫?」と里奈は思わず腰を浮かせた。
「お前、邪魔よ。退きなさい」
里奈が顔を上げると、黒いベールで顔を隠し、驕奢な扇を手にした女性と、御付きと見られる女性の二人組が立っていた。少女はよろと立ち上がると、女性たちから離れ、敷物の端近くに立った。
「透明な青い花を売っているのは、お前なの?」
襟元に羽の付いた黒いフードがひらと風に揺れた。その下から見えたドレスも、艶やかな濃紅の生地に、金糸で複雑な刺繍がしてあった。上位貴族がお忍びで来たというところだろう。
「はい、こちらになります」
里奈は敷物の上に置いたガラス細工を一つ取り上げ、そっと差し出した。白い手袋を履いた手が、その花を受け取る。
「まあ! ――本当に透明なのね。光を通して輝いているわ」
陽にかざした青い花に光が当たり、七色のプリズムが敷物の上に跳ねる。ベールの下からは、ほうと感嘆したような溜息が漏れた。
「本当に美しゅうございますね、お嬢様」
後ろに控えていた年配の女性が声を掛けると、ベールを被った女性は鷹揚に里奈に頷いた。
「この花、全て頂くわ。さっさと包んで頂戴」
「はい、ありがとうございます」
里奈は包装用の布を袋から取り出し、一つ一つ丁寧に包んでいった。木箱にそれを詰めながら、里奈は「これは大変割れやすいものですから、どこかにぶつけたり乱暴に扱ったりしないで下さいね」と念を押した。
「それくらい、分かっているわよ。ああ、それから」
女性の扇の先端が、隅で小さくなっていた少女を指した。
「お前も持っていたでしょう。それも寄こしなさい。一つでも多くの青い花を献上するのだから」
少女の顔が強張っている。里奈はそっと立ち上がり、少女に右手を差し出した。少女はゆっくりと青いガラスの花を里奈の右手のひらに置いた。里奈は持ち替えるフリをして、花の裏側にある小さな葉っぱに指を掛けた。少し衝撃が指に伝わる。里奈は何食わぬ顔で、「こちらをご覧ください」と女性に花の裏側を見せた。
「こちらは運搬途中で欠けてしまった品です。献上品にはふさわしくございません」
「……あら」
葉が折れた後の白い茎の部分を見た女性は、興味を失ったように「そう、なら要らないわ」と欠けたガラスの花を向こうに追いやるように手を振った。里奈はお辞儀をし、その花を再び少女の手に載せた。目をぱちくりさせた少女に、里奈は「割れた花で良ければ、もらってくれる?」と小声で言った。
「……うん」
小さく頷いた少女は、青い花を両手で大事そうに包んだ。里奈は微笑んだ後、木箱の蓋を閉め、年配の女性の前に持って行った。
「これは、代金です。では」
小さな革袋を一つ、里奈の手に渡した年配の女性は、木箱を抱えあげ、「このようなところに長居は無用です、お嬢様」と女性に声を掛けた。
小さく頷いた後、ベールの女性は年配の女性を従えて、さっさと露店から遠ざかった。その様子を見ていた男が、「あの花全部買って行ったのか! さすがは貴族のお嬢様だな」と感心したように言った。
里奈が革袋の中を確認すると、金貨がぎっしりと詰まっていた。大きさの割にずしりと重いはずだ。里奈は注意深く革袋をフードを捲り、皮のベルトに括り付けた。ガラスの青い花がなくなった途端、露店に注意を向ける人が減った。やはり青い花が人目を惹いていたのかと、里奈の口から苦笑が漏れた。
「……これ」
里奈の目の前に、青い花が差し出されていた。顔を上げると、少女が自分の髪に挿していた花を差し出していた。
「お礼。これの」
里奈はその花を受け取った。造花かと思ったが、生花の感触だった。五枚の先が尖った花びらが、星のように広がっている。桔梗の花によく似ていた。
「ありがとう。いいの? 青い花なのに」
少女は「うん」と頷き、左手に持つガラスの花を愛おしげに見た。かなり気に入ってくれたらしい。里奈は少女の気持ちを受け取ることにした。フードを下ろして、青い花を左耳の上に挿し、髪を撫ぜた。
「ありがとう」
里奈がそう言うと、少女は恥ずかしそうな笑顔を見せ、たたたっとその場から走り去った。里奈はまたフードを注意深く被り、店の商品を片付け始めた。遠くから正午を告げる鐘の音が聞こえて来た。
(そろそろ、準備しないと)
元の世界に戻りたいと願う今までの依頼人とは訳が違う。恐らく、稲葉は戻りたいなどと思っていないはずだ。この世界では『精霊の加護』を持たない人間に対し、略奪しようと、暴行しようと、罰せられる事はない。犯罪を楽しんでいる稲葉にとって、この世界は楽園のように見えているのではないだろうか、と里奈は思った。
――……いいか、倉橋。お前の仕事はあくまで『稲葉の意思確認』までだ。それを忘れるな。たとえ……奴が非道な行いをしていたとしても、だ
東郷係長の言葉が聞こえた気がした。気を付けろ、深入りするな、と。
「分かっています、係長」
里奈は左手首に嵌めたブレスレットに触れた。青銅色のそのブレスには、小さな青や赤の石が埋め込まれていて、一見庶民が好むような、ありふれた品に見える。これが高性能の防御力を有しているなどと、誰にも分らないだろう。
(水野君の技術力、いつもながら凄いわよね)
できれば使わずにいられたらいいのだが。溜息をつきながらも、里奈は手際よく荷物をまとめ、敷物をぐるぐると巻いて小脇に抱えたのだった。
***
広場を照らしていた太陽が、重いオレンジ色に染まりながら西の端へと消えていく。空の色から白さが抜け、代わりに闇の色が広がり始める。
献花台の前は大勢の人で溢れかえっていた。献花台の前は五メートルほどの幅の道が開けられており、その両脇には等間隔に簡素な白い衣装を身に纏った女性達が立っていた。彼女たちは、先端に金色の鈴をつけた棒を両手で持ち、天に向かって突き上げるように鈴を鳴らしている。澄んだ鈴の音が広場中に響き渡り、人々はうっとりとした表情を浮かべていた。
わあっと広場の一角から歓声が上がる。
「陛下だ! 陛下がいらっしゃった!」
二頭立ての白馬が引く、白と金の馬車がゆっくりと広場に入って来る。大きな歓声の中、馬車は広場を一周すると、献花台から続く道の手前で静かに停まった。鈴を持った女性達が一斉にお辞儀をする。金でふちどりされた扉が開き、中から一人の男性が現れ石畳の上に降り立った。青い生地の軍服に青いマント、そして金色の肩章。胸元に輝く大きな青い石のついたブローチ。月の色のようなブロンドに青い瞳の、まだ年若い男性の姿に、広場に集まった人々は熱狂した。現国王ヴァリク=シーリアスを間近で見る機会など、高位貴族でもなければ滅多にない。熱狂的な悲鳴が上がる中、笑顔を見せた国王は、鈴の音の道をゆっくりと歩み始めた。その国王は白い籠のようなものを両手で持っていた。その籠の中に小さな青い花が一つ、土に植わった状態で入れられていた。鈴の音が鳴るのと同時に、花がゆらりゆらりと揺れる。
「あれが聖花リードバルド!?」
「なんて可憐な花なんだ」
青い花に皆の目が釘付けになる。国王があの花を献花台の捧げ、精霊の加護を受ける瞬間が、祭りが最高潮に達する時。その時を今か今かと、広場の民衆は全員高鳴る胸を押さえながら待っていた。
***
「へっ、思った通りだったぜ」
薄暗くなった裏通りから、ぱらぱらと数名の男達が出て来た。全部で十名程だろうか。手には重そうな皮袋を持っている。広場からは歓声と鈴の音が聞こえてくるが、男達はそんな事を気にしている素振りではなかった。
「言った通りだったでしょう、お頭。この時間は誰もいやしねえって」
頭にバンダナを巻いた若い男がにやにやしながら、真ん中にいた男に話し掛けた。茶髪の男――稲葉は、にやりと笑い返した。闇に紛れるよう、皆黒っぽい上着にズボンを身に付けている。
「精霊様の加護とやらは、貴族のもんなんだろ? なら、俺達にはこっちの方がいいってものだよな」
今広場以外の場所には、必要最低限の人間しかいない。それでも王城近くは警備兵が配置されている。だが、その他のエリアなら。
「お頭の言う通りにして正解ですぜ! 一度でこんなに実入りがあるなんて、滅多にないことですぜ」
「次はあっちを狙うか?」
稲葉が大きな屋敷を指さした。玄関に灯りはついているものの、屋敷の窓は皆真っ黒だった。あの大きさなら、貴金属もあるに違いない。稲葉は舌なめずりをした。
「よし、お前ら――」
稲葉の声が止まった。男達が何だ? と目を見張る。稲葉達が向かおうとしたその方角に、一人の黒い影が立っていた。その影が身に付けている黒いフード付きのマントが、夜の風を受けてひらりとはためいていた。
「……何だ?」
稲葉がすっと目を細める。背の高さからいって、屈強な男ではない。だが、十人の男達を見ても、影は逃げようともしていない。稲葉の周囲で、男達が腰に付けた鞘から短剣を引き抜き、身構える。
かつん、と影が一歩、稲葉に近付き、左手首を稲葉に向けた。ふぁん……と機械質の音が響き、影の右手首が金色に光る。稲葉は右手でその光を遮りながら、黙って影を睨む。
『……網膜チェックOK。骨格チェックOK。本人ト断定』
無機質な機械音声が聞こえた後、影はまた一歩稲葉に近付いた。そして、稲葉の二メートルほど手前で影は立ち止まった。
「――稲葉 啓二さん、ですね?」
凛とした女性の声。稲葉は息を呑み、自分の名前を呼んだ影をじっと睨み付けた。影が右手を上げ、頭からフードを落とした。さらりと黒髪が肩に落ちる。
稲葉を真っすぐに見ているのは、小柄な女性だった。怯える様子もなく、ただそこにいる、そんな風に見えた。その女性が、ふっと何かを右手で掲げた。
「……っ!」
そこにあったのは――稲葉にとって、見覚えのある警察手帳だった。
「私、警視庁特命課時空捜査係の、倉橋 里奈と申します。あなたのご家族から依頼を受け、安否確認に参りました」
その場を沈黙が支配した数十秒後――稲葉が動いた。
「安否確認……だとう?」
稲葉は警察手帳を掲げる女性を一層睨み付けながら、脅すような低い声を出した。




