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4話 漆黒の魔眼と生徒会のお仕事

 放課後の生徒会室。


「……納得いかないわ」


 立花舞彩(たちばな・まい)は、机に置かれた書類を睨みつけていた。


「そう言いながら、もう三十分も手伝ってくれてるね」


「……うるさいわよ」


 向かいに座る生徒会長は、涼しい顔で紅茶を飲んでいる。


(……なんなの、この人!)


(……私だけ働かせて、自分は優雅にお茶!?)


 もっとも、会長の手元には舞彩の三倍ほどの書類が積まれていた。


 先ほどから目を通しては判を押し、時折ほかの役員へ指示を出している。


 それでも余裕そうなのが、何だか腹立たしい。


「立花さん、こっちの資料もお願いしていい?」


 水瀬琴音が、申し訳なさそうに笑った。


「……フッ。仕方ないわね」


「ありがとう! 本当に助かるよ!」


 素直に礼を言われると、断りづらい。


(……うぅ。水瀬先輩、ずるい……)


 舞彩は、渡された資料に目を落とした。


 来月開催される、天星学園の文化交流祭。


 地域の人々も招く学校行事で、生徒会は出展団体の調整や会場案内、当日の進行を担当するらしい。


「……随分と大がかりなのね」


「そうなんだよー。しかも今年は参加団体が増えちゃって」


 琴音が机に広げた校内図を指差す。


「今、各教室の配置を決めてるところなの」


「……配置?」


「うん。来場者が混雑しないようにね」


 舞彩は、図面をじっと見つめた。


 体育館、視聴覚室、普通教室。


 色分けされた付箋が、あちこちに貼られている。


「……この二つ」


「ん?」


「……どちらも人が集まる催しなのに、隣同士でいいのかしら」


 舞彩が指差したのは、人気のありそうな展示と飲食企画だった。


「……通路が狭いわ。人が滞留するでしょうね」


「あっ、確かに!」


 琴音が顔を上げる。


「会長! ここ、配置変えた方がいいかも!」


「どれどれ」


 会長が席を立ち、図面を覗き込んだ。


「……なるほど。よく気づいたね、立花さん」


「……フッ。当然よ」


「じゃあ、その二団体の入れ替え案も考えてもらおうかな」


「…………」


(……しまったぁぁぁ!!)


(……余計なこと言ったぁぁぁ!!)


 会長は楽しそうに笑った。


「頼りにしてるよ」


「……噛み殺すわよ」


「それは困るなぁ」


 少しも困っていない顔だった。


◇ ◇ ◇


「そういえば、立花さんって何か部活入ってる?」


 隣の席から声をかけてきたのは、二年生の副会長だった。


 きっちり結んだ黒髪に、細い銀縁眼鏡。


 名前は篠宮紗月(しのみや・さつき)。


 先ほどから電卓を叩きながら、予算表と格闘している。


「……無所属よ」


「そう。じゃあ放課後の予定は比較的空いてるのね」


「……待ちなさい」


 舞彩は嫌な予感がした。


「……今、何を考えたの?」


「来週の準備日、参加できそうだなって」


「……勝手に予定を組まないでちょうだい!」


「会長、立花さんは来週も参加できそうです」


「了解」


「……了解しないで!!」


 琴音が吹き出した。


「ふふっ、立花さんって面白いね!」


「……面白くないわよ!」


 紗月は眼鏡を押し上げる。


「大丈夫。無理な日はちゃんと言ってくれれば調整するから」


「…………」


「ただし、今日は最後まで手伝ってもらうわよ」


「……鬼ね」


「副会長よ」


(……この人もかぁぁぁ!!)


 舞彩は、深いため息をついた。


 どうやら、この生徒会にはまともな人間が少ないらしい。


 いや。


 琴音はまともだ。


 たぶん。


「立花さん、疲れた? お菓子食べる?」


「……えっ」


 琴音が、小さな箱を差し出した。


 中には個包装のチョコレートが入っている。


「……いただくわ」


「はい、どうぞ!」


 舞彩は一つ受け取り、そっと口へ運んだ。


 甘い。


(……美味しい……)


 張り詰めていた気持ちが、少しだけ緩んだ。


「……水瀬先輩」


「ん?」


「……ありがとう」


「どういたしまして!」


 琴音が笑う。


 舞彩は、慌てて資料へ視線を戻した。


(……うぅ。やっぱり、この人は断りづらい……)


◇ ◇ ◇


 一時間後。


「……終わったわ」


 舞彩は、最後の資料を机に置いた。


 配置変更案は、どうにか形になっていた。


「お疲れさま、立花さん」


 会長が資料を受け取る。


「初日なのに、よく頑張ってくれたね」


「……フッ。この程度、造作もないわ」


「じゃあ明日もお願いしようかな」


「……嫌よ!」


 即答だった。


 会長が笑う。


「冗談だよ。明日は来なくても大丈夫」


「…………」


(……本当に?)


(……この人の冗談、信用できない……!)


「今日はありがとう。気をつけて帰ってね」


 その言葉だけは、妙に優しかった。


 舞彩は、少しだけ戸惑った。


「……言われなくても分かっているわ」


「うん。またね」


「……フン」


 鞄を抱え、生徒会室を出る。


 扉を閉めた瞬間、舞彩は大きく息を吐いた。


「……疲れたぁ……」


 けれど、不思議と嫌な気分ばかりではなかった。


 自分が指摘した配置の問題を、みんなが真剣に考えてくれた。


 役に立ったと、言ってもらえた。


(……ちょっとだけ、楽しかったかも)


 そう思いかけて、慌てて首を振る。


(……いやいや!)


(……だからって、あの会長を許したわけじゃないから!)


◇ ◇ ◇


 校門を出る頃には、空が茜色に染まっていた。


 舞彩は、鞄を揺らしながら住宅街を歩いていた。


 途中、スマートフォンが震える。


『生徒会どうだった?』


 陽菜からだった。


 舞彩は、しばらく画面を見つめてから返信する。


『敵の本拠地への潜入は成功したわ』


 すぐに返事が来た。


『つまり楽しかったんだね!』


「……違うわよ」


 思わず声に出してしまった。


 そのとき。


 どこかで、犬が激しく吠え始めた。


「……?」


 舞彩は顔を上げた。


 夕暮れの住宅街。


 買い物帰りの主婦が自転車で通り過ぎ、遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる。


 何もおかしなところはない。


 ただ、路地の奥にある街灯が、ちかちかと点滅していた。


「……故障かしら」


 舞彩は、何となく足を止めた。


 細い路地。


 その先は、夕日の届かない薄暗い空間になっている。


 そこから、何かが転がってきた。


 ころん。


 小さな、赤いボールだった。


「…………」


 舞彩は、足元に転がってきたボールを拾い上げた。


 まだ新しい、子供用のゴムボール。


 持ち主を探して周囲を見渡す。


 しかし、誰もいなかった。


「……落とし物?」


 そのとき、路地の奥から小さな声が聞こえた。


「……あの」


「ひゃっ!?」


 舞彩が振り返ると、五歳くらいの女の子が立っていた。


 小さな手を胸の前で握りしめ、申し訳なさそうにこちらを見ている。


「……それ、わたしの……」


「……あっ」


 舞彩は、慌ててボールを差し出した。


「……フッ。落とし物には気をつけなさい」


「……ありがとう、お姉ちゃん!」


 女の子は嬉しそうに笑った。


「……べ、別に」


 舞彩は、少しだけ顔をそらした。


(……よかった。持ち主がいて……)


 女の子はボールを抱きしめ、路地の奥へ駆けていく。


「ばいばーい!」


「……ええ。気をつけて帰りなさい」


 舞彩は小さく手を振った。


 そして、再び歩き始める。


 けれど。


 数歩進んだところで、ふと振り返った。


 先ほどまで吠えていた犬が、いつの間にか静かになっていた。


 路地の奥の街灯は、まだ点滅している。


「…………」


 何となく、気になった。


 理由は分からない。


 ただ、あの女の子が一人で暗い路地へ入っていったことが、少しだけ引っかかった。


「……大丈夫、よね」


 舞彩は、小さく呟いた。


 そのまま、家路を急いだ。


◇ ◇ ◇


「……ただいま」


「舞彩ちゃーーん! おかえりーー!」


 玄関を開けると、いつもの元気な声が飛んできた。


「今日どうだった? 学校楽しかった?」


「……普通よ」


「そっかぁ! じゃあ手洗いうがいしておいで!」


「……分かってるわ」


 舞彩は靴を脱ぎ、廊下へ上がった。


 母親が、ふと笑いかける。


「何だか今日は、ちょっと楽しそうね」


「……っ!?」


「いいことあった?」


「……別に!」


「ふふっ、そっか!」


 母親は、それ以上聞かなかった。


 舞彩は階段へ向かいながら、小さく呟いた。


「……ほんと、お母さんには敵わないわね」


 自分の部屋に戻り、鞄を置く。


 窓の外には、すっかり夜の帳が下り始めていた。


 舞彩は、ふと帰り道のことを思い出した。


 赤いボール。


 小さな女の子。


 点滅する街灯。


「……変なの」


 気のせいだろう。


 そう思って、カーテンを閉めた。


 その頃。


 舞彩が通り過ぎた路地では、街灯が完全に消えていた。


 暗闇の奥から、何かを引きずるような音が聞こえる。


 ずるり。


 ずるり。


 そして。


「……ミ、ツケタ」


 人間のものとは思えない声が、静かな路地に響いた。

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