一九九五年 六月七日 一四時五〇分
ガチャンと玄関の方で扉が開いた音が聞こえた。
食卓の上で、遊戯をしていた手が止まる。
ギイギイと廊下の床の軋む音が近づくほど、鼓動が速まった。
「ただいま」
柔らかな声が帰宅を知らせると共に、廊下からひょいっと待ちわびていた顔が覗く。
食卓では、ぱっと一輪の笑顔の花が咲いた。
「お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「あら、なにしてたの?」
「パズル! お姉ちゃんが小さい頃から遊んでたやつ!」
食卓の上には完成間近のパズル。
残りはあと三ピース。どこにはめればいいのか、目を瞑ってもわかってしまう。
「……はい完成!」
所々が色褪せてしまっているこのパズルを自慢気に見せると、あなたは優しく微笑んでくれる。
それが嬉しくて、褒めてもらいたくて、私は何度もパズルを繰り返す。
ただ今日は違った。
あなたは困ったように、どこか悲しげに笑ったのだ。
「ごめんね。服もおもちゃも、私のお古ばっかりで」
そう言った瞳には、サイズが合っていないぶかぶかの上着を着た私が映っている。
すると瞳の中の私は両手を広げ、まるで滑空するムササビのような姿で無邪気に笑った。
「なんで? これ、お姉ちゃんの匂いがしてとっても安心するの! だから私、新しい服もおもちゃも、いらないよ!」
あなたは目を丸くして、さっきよりも静かに笑う。
そして、私を抱き締めた。
「もー! ほんとに可愛いんだから!」
「わっ! お姉ちゃん、苦しいよ……」
そう言いつつ、私も自然と腕を背中に回していた。
いつも包んでくれるこの温もり。
この温もりさえあれば、何事も大丈夫だ。そんな気がしてくる。
「……大丈夫、なにがあっても私が守ってあげるからね」
耳元でそう囁かれて、私はくすぐったそうに笑う。
――その時だった。
再び玄関の方でガチャン! と、戸が開く音が聞こえた。
でも、先程とは違う。
乱暴に開けられた扉が壁にぶつかる嫌な響きも一緒だ。
私の小さな体が、まるで電流でも流れたかのようにびくりと跳ねた。
「お姉ちゃん……」
絞り出した声は、恐怖と怯えで震えている。
応えるように私を抱き締める腕の力が強くなった。
「大丈夫……ちょっと違うところで遊ぼうね」
私の身体が抱き上げられる。連れられた先は襖で仕切られ、傷みきった畳が敷かれた部屋だった。
「ここにいてね」
私を降ろして、あなたは元の部屋へと戻って行く。
古い襖は最後までぴたりとは閉まらず、少しだけ隙間が残った。
畳の匂いと、古びた布団の湿った匂い。
部屋の隅で膝を抱えて座りながら、向こうの音に耳を澄ませるとあなたの声が聞こえた。
「お、おかえりなさい……」
いつもより低くて、何かに怯えたような声。
きっと機嫌が悪いんだろう……。
そう思った次の瞬間、鈍い音がして、大きな何かが倒れる音が聞こえた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
必死にあなたの叫びが聞こえる。
何に謝っているのか、考えたくない。
せめてもの防衛に、耳を塞ぐ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
気がつけば私も同じ言葉を口にしていた。
なにに対してのごめんなさいなのか、特に意味はない。
ただ呪いの様に、この言葉を口にし続けることが、当時できた唯一の抵抗だったのかもしれない。




