第八十七話:「今の兄さんの居場所は、あの屋敷でしょう」
魔王の一族、ギルガ家の血を受け継ぐ四人が魔王城へ向かった、あの日。
ユーマとティアラが屋敷で大喧嘩した裏で、魔王城では一体何が起こっていたのか。
ティアラが「もう屋敷は引き払われ、全員で魔王城に引っ越すんだわ!」と勘違いを拗らせ絶望の頂点にいた、あの日の裏側では──。
* * *
●魔王城(二度目)
アン、チート勇者、ゼノン、そしてクロムが魔王城へ向かったあの日。クロムが同行することになった経緯は、前日の夜に遡る。
「兄さん、明日一緒に来てください」
夕食後、アンがクロムに告げた。
「……どこへ」
「魔王城です」
「私は行かんと言っただろう」
「逃走防止に、付き合ってください」
「……逃走防止」
クロムが、チート勇者とゼノンに視線を向けた。二人は揃って、目を逸らした。
「……なるほど」
クロムは深い溜息をついた。しかし納得はしていない。
「なぜ私がそのような役回りを」
「兄さんが一緒にいれば、二人とも逃げられないでしょう」
「……それはそうだが」
「それに」
アンが、少し表情を和らげた。
「兄さんの顔を見たがっている者が、城にはたくさんいるはずよ。久しぶりに顔を見せてあげて」
クロムは何も言わなかった。
しばらく間があった。
「……分かった。付き合おう」
「ありがとうございます」
アンが静かに微笑んだ。
◇
翌日。
四人が魔王城に到着した瞬間、城内が沸き上がった。
「クロム様!!」
「お久しぶりでございます!!」
「お戻りになったのですか!?」
魔族たちが、我先にとクロムへ駆け寄ってくる。感涙している者もいた。古参の兵士が、目を真っ赤にしながら「クロム様……クロム様……」と繰り返していた。
「……おい、泣くな」
クロムが、困ったような顔で言った。
「し、しかし……クロム様のお顔を拝見できるとは……!」
「大袈裟な」
「大袈裟ではございません! クロム様がいなくなってから、この城がどれほど……!」
「こら、押すな。順番に──」
クロムが魔族たちに揉みくちゃにされている。
その様子を、少し離れた場所からゼノンが眺めていた。
「……兄上の人望は、相変わらずですな」
ゼノンの声に、感情は乗っていなかった。ただ静かに、事実を述べているだけだった。
「ゼノン」
アンが静かに弟の名を呼んだ。
「……はい」
「これが、本当の人望というものよ」
「……はい」
「積み上げるのに時間はかかるけど、失うのは一瞬。分かりますか?」
「……肝に銘じます」
ゼノンは神妙な顔で頷いた。
隣でチート勇者が、そっとゼノンに囁いた。
「おいゼノン……大丈夫か?」
「大丈夫ではないですが、大丈夫です」
「……そか」
二人してしょんぼりと立っていた。
*
ひとしきり再会の挨拶が落ち着いたところで、アンが声を上げた。
「では、始めましょうか」
「何をですか?」
魔族の一人が尋ねた。
「就任式です」
「……就任式、でございますか?」
「ゼノンの、正式な魔王就任式よ。ちゃんとした手順を踏んでいなかったでしょう?」
魔族たちが、しんと静まり返った。
そういえば、そうだった。ゼノンはクロムを魔族会議で追放しただけで、正式な儀式を経て魔王の座に就いたわけではなかった。
「……今から、ここで、ですか」
ゼノンが、若干引きつった顔で言った。
「今から、ここで、です」
「……はい」
就任式が、始まった。
アンが立ち会い人として壇上に立ち、クロムが同じく立ち会い人として並んだ。
クロムが壇上に現れた瞬間、再び割れんばかりの歓声が上がった。
「クロム様ーっ!!」
「クロム様が立ち会い人!!」
「なんと!」
どよめきと拍手が、城内に響き渡る。
クロムは無表情を保ったまま、小さく頷いた。
それからゼノンが壇上に上がった。
場が、すうっと静まり返った。
”シン……”
義務的な拍手が、ぽつぽつと起きた。
「あ……姉上」
ゼノンが、壇上で小声でアンに囁いた。
「なんですか」
「拍手が……少ないです」
「これが現実です」
「……はい」
「これから積み上げなさい」
「……はい」
「返事だけは立派ね」
「……はい」
ゼノンは神妙な顔で前を向いた。
就任の宣言が読み上げられ、正式にゼノンの魔王就任が決まった。
拍手は、先ほどよりは少し増えた。
少しだけ。
*
就任式が終わると、続いて役職の発表が行われた。
アンが一歩前に出た。
「魔王、ゼノン」
簡潔にそれだけを告げる。
ぽつぽつと拍手。
「参謀、アン」
どよめきと共に、大きな拍手が起きた。
アンは静かに一礼した。
「そして──」
アンが、一呼吸置いた。
「切り込み隊長」
ドラムロールでもあれば、さぞ映えただろう。
「チート勇者、改め。ジーン・モーリー!」
「え、俺!?」
チート勇者が素っ頓狂な声を上げた。
「なんで俺だけ役職名が微妙にダサいんだよ! 俺は暴走族かよ!!」
「あなたの存在自体が暴走してるのよ。特に、頭の中がね」
「ひどい! 実の母親なのに!!」
魔族たちが、どっと笑った。
「切り込み隊長というのは──」
アンが笑いの収まるのを待ってから続けた。
「どんな戦場でも必ず先頭を走る。それだけではなく、災害があれば真っ先に駆け付け、ボランティア活動にも率先して動く。魔王軍のイメージアップ戦略の、広告塔を兼ねてもらいます」
「イメージアップ!? 俺がァァ!?」
「あなたほど顔が売れている人間は、そうそういないでしょう」
「いや、売れ方が悪い方向だから!!」
「だから変えなさい、これから」
チート勇者は何も言えなかった。
「先生……お互い、大変ですね」
ゼノンが隣でぽそりと言った。
「お前は魔王だろうが」
「それはそれとして」
「ま……まあな」
二人してしょんぼりと肩を並べた。
「最後に」
アンが、クロムに顔を向けた。
「クロム様には──」
あえて「様」をつけて名前を読み上げる。
「私は今日、付き添いだと言っただろう」
クロムが先手を打った。それを無視して続けるアン。
「隠居……もとい、相談役をお願いしたいのですが」
「断る」
「兄さん」
「断ると言っている」
「相談役というのはね、兄さん」
アンが、穏やかに続けた。
「魔王城に縛られるわけではないの。ただ、何かあった時に相談に乗ってもらえればいい。それだけよ」
「それだけ、とは限らないだろう」
「それだけよ」
「……アン」
「それだけ」
クロムは深い溜息をついた。
「……分かった。ただし、あくまでも相談役だ。魔王城には戻らん」
「もちろんですとも」
アンがにこりと微笑んだ。
「兄さんに、魔王城に戻ってもらうつもりはないわ。今の兄さんの居場所は、あの屋敷でしょう」
クロムは何も言わなかった。
ただ、わずかに目を細めた。
その様子を、ゼノンがじっと見ていた。
「……兄上は」
ゼノンが小さな声で、チート勇者に囁く。
「ん、なんだゼノン?」
「屋敷が、気に入っているようですね」
「あぁ……みたいだな」
「よかった」
「……ああ」
二人は小声で、そっと笑い合った。
アンはその会話を聞いていたかどうか、表情一つ変えなかった。
ただ、口元が少しだけ緩んでいた。




