第八十六話:【魔王城改革×王宮無双】サキュバス廃止と。王宮での政治力【最強の女帝アン】
──と。
スローライフならぬ、適当勇者の戦わないヌルーライフは幕を閉じました──が、しかし!
ティアラが、アン・シャーリーばりに、悲劇のヒロインムーブにどっぷりと浸かっていた一方で、アン・モーリーの奮闘ぶりに、今回は目を向けてみましょう。
さて、ティアラが盛大な勘違いをしていた数日間、裏では一体何が起きていたのか。
時間を少し巻き戻します。
* * *
●魔王城(初回)
アン、チート勇者、ゼノンが魔王城へ向かったあの日。
三人が魔王城の門前に差し掛かった、その時のことだった。
「……先生」
ゼノンが、小声でチート勇者に囁いた。
「なんだ?」
「姉上が、城の中を見たら……どうなると思いますか」
チート勇者は少し考えた。いや考えるまでもなかった。
「……激怒するだろうな」
「で、ですよね……」
二人は顔を見合わせた。
魔王城の中では、チート勇者が「接待」と称して揃えたサキュバス隊が常駐していた。豪華な酒と食事が常にスタンバイし、内装もチート勇者の趣味全開に仕上げられている。それをアンが見たら……。
想像しただけで、背筋が凍った。
「逃げましょう、先生」
「賛成だ!!」
即断だった。
二人は示し合わせたように、来た道を引き返し始めた。その足の速さたるや、魔王城へ向かう時の比ではなかった。
「ちょ、ちょっと?」
アンの声が背中に飛んできた。
「ちょっと待ちなさい! 二人とも」
「「用事を思い出しました!」」
二人の声が揃った。
「どんな用事よ」
「「急ぎの用事です!」」
「どこへ行くつもりなの」
「「城下町です!」」
「待ちなさい」
「「では!」」
二人は全力で走った。
しかしアンは追いかけなかった。
例え城で待つ者が部下だったとしても、約束の時間を違えるような性格ではない。
と言いたいところだが、別の計算も働いていた。
「……ふぅ。これで邪魔者が消えましたわね」
こうしてアンは、静かに一人、魔王城の門をくぐった。
城の中を見たアンは、想像していた以上の惨状に思わず目を見開いた。
出迎えに現れたサキュバス隊を見た。
常にスタンバイされている酒と豪華な食事を見た。
そして、チート勇者の趣味全開に仕上げられた内装も見た。
「…………」
アンは無言のまま、配下の者を呼んだ。
「はい! アン様、何でございましょう」
「全部、変えなさい」
「……全部、でございますか」
「全部よ」
アンの声は、穏やかだった。たが、一切の反論を許さない響きがあった。
まずサキュバス隊が廃止された。
次に酒と豪華な食事が見直され、身になるものを基本とした食事に切り替えられた。
そして内装の改修が命じられた。威厳のある、昔ながらの重厚な外観へ戻すように、と。
配下の者たちは、震え上がるかと思われた。
ところが──。
「アン様! 流石でございます!!」
「ようやく、まともな城に戻ります!」
「待っておりました、この日を!!」
割れんばかりの拍手喝采が、魔王城に響き渡った。
アンは、その反応に少し目を瞠った。
「……みんな、嫌だったのね」
「当然でございます!」
「あのような堕落した空気、我々魔族には耐えられませんでした!」
「チート勇者様が来られてから、ずっとこうなんです!」
次々と不満が噴出する。
アンは静かに聞いていた。それから、ゆっくりと城内を見渡した。
「……弟の、魔王としての人望のなさには呆れるわね」
その言葉に、配下の者たちは微妙な表情で押し黙った。誰も否定はできなかったからだ。
◇
一方その頃、城下町の片隅の小さな飯屋の、さらに隅っこの席で、チート勇者とゼノンは肩を寄せ合ってぶるぶると震えていた。
「……逃げて、よかったんですかね」
ゼノンが、この世で一番安い具のないスープを啜りながら言った。
「そりゃあ……よくはないだろうな」
チート勇者も、同じようにスープを啜った。
「でも、あの現場を姉上が見たら……」
「見たら。うん……逃げたくなるよな」
「ですよね!」
「うん」
しばらく、二人して沈黙した。
「……先生」
「なんだ?」
「城の中、今頃どうなってると思いますか」
チート勇者は少し考えた。
「……考えたくない」
「同感です」
また沈黙。
「俺たち、今夜帰れると思うか」
「……無理でしょう」
「だよな……」
二人してどんよりと、夜が更けるのを待った。
飯屋の親父が、哀れみの目で二人を見ていた。
──────
●王宮
アンが一人で王宮へ向かったあの日。
謁見の間に通されたアンを待っていたのは、王宮側の重役たちだった。堅い表情で居並ぶ彼らを前に、アンは涼しい顔で椅子に座った。
「わざわざお越しいただき、恐縮です」
上座の男が、慎重に口を開いた。緊張しているようだ。
「いいえ。こちらから伺うべき話でしたから」
アンは静かに答えた。
そして続ける。
「単刀直入に申し上げます。チート勇者と、勇者ユーマ、あの二人への王宮の警戒心について。お話したいことがあって参りました」
重役たちが、微妙に表情を強張らせた。
「……チート勇者については、我々も長年頭を悩ませてきました。あの規格外の力は──」
「分かっています」
アンが静かに遮った。
「警戒する理由は、いくつかありますね」
そう言い、アンは指を一本立てた。
「まず、この世界の理が通じない、反則級のチート能力を持っている。次に──」
二本目の指を立てる。
「あまりにもチートすぎることから、この世界を簡単に我がものにできてしまう可能性への警戒。それはあなたがた人間が恐れる、それこそ魔王以上の脅威になりかねない」
重役たちは驚いた顔をした。
的を射ていたからだ。
「そして──」
三本目の指を立てる。
「勇者が召喚され、悪の魔王を打倒し、平和が訪れる。それがこの世界の常識として定着している物語……。しかし、チート勇者もユーマも、その筋書き通りには動かない。どこへ向かうか分からない存在への、漠然とした恐れ」
アンは指を下ろした。
「……概ね、その通りです」
上座の男が、慎重に認めた。
「あなたは、よく分かっておられる」
「ええ。息子と孫のことですから」
さらりと言ってのけるアンに、重役たちが微妙な顔をした。
「……それで」
上座の男が、改めて居住まいを正した。
「あなたは、その懸念を払拭できると?」
「払拭というより、正しく理解していただきたいのです」
アンは一息置いた。
「あの二人は確かに、規格外の力を持っています。しかし」
アンの穏やかな目が、重役たちを静かに見渡した。
「あの二人は、根っからの『アホ』で『スケベ』で『能天気』です」
謁見の間が、しんと静まり返った。
「…………」
重役たちが、言葉を失っていた。どういった反応をすればいいのかも分からない。
「そのままの意味ですよ」
アンは涼しい顔で続けた。
「世界征服より可愛い女の子たちの方が大事で、難しいことを考えるより美味しいものを食べていたい。そういう人間たちです。よほどのことがない限り、権力に執着するとお思いですか?」
「……それは、まあ」
重役の一人が、困惑したまま答えた。
「しかし、だからこそ危険とも言えます。悪意ある者に、簡単に利用されてしまうのでは?」
「……鋭いですね」
アンが素直に頷いた。その心配は至極当然のこと。
「その懸念は、もっともです。刹那的で能天気な人間は、甘い言葉に乗せられやすい。あるいは、面倒なことを誰かに丸投げした結果、思わぬ方向へ転がることもあります」
重役たちが、前のめりになった。
「では、やはり──」
「だから、働かせます」
「…………は?」
「暇にさせなければいいんです」
アンは静かに、しかし確信を持って言った。
「余計なことを考える隙を与えなければいい。常に役割を与えて、動かし続ける。それが一番シンプルで確実な対処法です」
重役たちが、また顔を見合わせた。
「……それだけですか」
「それだけです」
「……随分と、シンプルな」
「複雑にする必要がないのですから、シンプルでいいんです」
上座の男が、しばらく腕を組んで考え込んだ。
「……なるほど。理屈は分かります。しかし、具体的にどのような役職を?」
「それは、追ってご連絡します。今、詰めているところですから」
「詰めているところ、とは」
「魔王城との調整が必要なので。もう少しだけ、お時間をください」
上座の男は、アンをしばらく見つめた。
この女は、既に全体の絵を描いている。そう直感したのだろう。
「……分かりました。お任せします」
深く、頷いた。
「ありがとうございます」
アンは立ち上がり、軽く頭を下げようとして、急に、ひと際太った男に視線を移した。
「……ああ、それから。あの二人がサボらないよう、監視役として王宮の皆様にも現場で汗を流していただきますわ。財務大臣、そのお腹……少し絞ったほうが健康のためですわよ?」
そう告げられた財務大臣が、ヒッ、と短い悲鳴を上げて腹を引っ込める。
もちろんアンなりの、皮肉を込めた冗談である。
「では」
アンは颯爽と、謁見の間を後にした。
廊下に出たところで、ふと足を止める。誰もいないことを確認してから、小さく息をついた。
「……まったく。息子や孫のことを『アホ』だの『スケベ』だのと、王宮で言う羽目になるとは思わなかったわ」
苦笑いを一つ。
それから、また颯爽と歩き始めた。




