第八十一話:「あんたなんか、さっさと行っちゃいなさいよ!」素直になれない二人
ある昼下がり。
「ティアラちゃん、明日はアン様たちが、またお出かけになるそうよ」
シルフィが、何気なく言った。
「またァ!?」
思わず大きな声で訊き返していた。
正直もう、うんざりしていたのだ。アンが出かける度に心細くなる。
「今度は誰が行くの?」
あえて、そっけない口調でシルフィに尋ねる。
「アン様と、チート勇者様とゼノン様。それと──」
シルフィが少し間を置いた。
「クロム様も、ご一緒されるそうよ」
ティアラの表情が固まる。
「……クロムのおっさんも?」
「ええ。珍しいわよねぇ。クロム様がお出かけになるなんて」
シルフィは特に気にした様子もなく淡々と言った。その言葉を聞きながら、心ここにあらずで宙を見つめるティアラ。
魔王城へ行った。
王宮へも行った。
そして明日、今度はクロムまで加わって、また出かけていく。
そう考えた瞬間、一本の線に繋がった。
クロムがまた魔王に復帰する。そうなると元四天王たちもクロムに付いて行くだろう。ユーマも現世に帰るのだから、この屋敷を引き払ってしまうのかもしれない……と。
それはティアラに取って、たまらなく寂しいことだった。
「ティアラちゃん? 顔色が悪いわよ?」
シルフィの声で、ティアラは我に返った。
「……大丈夫。ちょっと寝不足で」
「無理しちゃダメよ?」
「……うん」
ティアラは、無理やり笑顔を作った。
*
──その日の夕方。
屋敷の庭で、ユーマが一人でぼーっと空を見上げていた。
(今だ!)
ティアラは深呼吸をしてから、近づいた。
「ユーマ」
「あん? 何?」
「……最近さ、なんか色々と忙しそうだよね」
「まあな。色々あってさ」
(やっぱり)
ティアラの胸がざわつく。
「そっか……大変だね」
「大変っちゃ大変だけど。まあしょうがないだろ」
「……しょうがない、か」
そんな言葉で片づけられるんだ……。
ティアラは唇を強く噛んだ。
「……ねえ、ユーマ」
「なんだよ」
「今、楽しい?」
「はっ? 急だな……」
ユーマが眉をひそめる。
「あ……いえ、なんとなく聞いてみたくって、さぁ」
「楽しいけど? それがどうした?」
「そっか……」
「なんだよ、歯切れ悪いな」
「……ユーマはさ、この屋敷、好き?」
「好きだけど? だから、なんで急にそんなこと聞くんだよ」
「なんでもない。ただ聞いてみたかっただけ」
「変なやつ……」
ユーマが呆れて視線を外した。
しばらく黙ってから、ティアラがまた口を開く。
「……ここを離れるのって、寂しくない?」
「離れる? なんだそれ。どこに?」
「だから……その、色々と、ね」
「色々ってなんだよ」
「だから……色々は、色々よ!」
つい語義が強くなる。
「意味わかんねっ!」
ユーマもつい反応してしまう。そこにティアラは、またカチンと来てしまった。
「ユーマって、鈍いよね!」
「突然、なんだよッ!!」
売り言葉に買い言葉。ユーマも声を張り上げてしまった。
「鈍いって言ってるのッ!」
「鈍いって言われても、意味わかんないこと言ってくるのは、そっちだろ!」
「意味わかんなくない! 普通わかるでしょ!」
「わかんないから聞いてんだろ!」
「もういい!」
「おい!」
ティアラはそのまま、足早に屋敷の中へ戻っていった。
ユーマは庭に一人残されて、夕空を仰いだ。
「……何っだよ、あいつ! 意味わかんね……」
*
一部始終を立ち聞きしていたカガミが、二人が喧嘩した話をミラに告げた。
「……ティアラが、泣いてました」
「……そうですか」
ミラはそう言い、静かに目を閉じた。
「……ユーマさんは、……気づいていない……たぶん」
カガミが残念そうに呟く。
「そうね」
二人は小さく溜息をついた。
一方バッシュは、庭で首を傾げているユーマの姿を窓から眺めていた。
「……クロム様。あの二人は、大丈夫でしょうか」
「さあな」
クロムは湯呑みを口に運んだ。
「バッシュよ……ユーマのやつは、本当に気づいておらんのか?」
「気づいていないからこそ、あの顔でしょう」
「まったく……」
クロムが、深い溜息をついた。
「鈍いにも程がある」
◇
翌日。
昨日ユーマと喧嘩したばかりなのに、そんなことお構いなしに時間は流れる。
「さて、いよいよ大詰めですね」
アンの視線が、傍らに立つチート勇者、ゼノン、そしてクロムと移動する。
「魔王城のほうも、最終調整に入ります。行きましょう」
元魔王と、現魔王、そしてチート勇者に、アン。
その顔ぶれで魔王城へ向かう──それが何を意味するのか。
四人を乗せた馬車が遠ざかっていく。
(行ってしまった……)
その直後、背後から緊張感の欠片もない欠伸が聞こえてきた。
「ふあぁ……。あーあ、朝っぱらから騒がしいな。……なんだティアラ、またそんな妙な顔して」
ティアラが真面目な顔で、ユーマに近づく。
「ユーマ。ちょっと、聞いていい?」
「いいけど」
ユーマの袖を掴むと、そのまま屋敷の奥へと引っ張った。
「ここで話しましょ……」
ティアラは一瞬迷った。
でも、もう限界だったのだ。
「ユーマ、現世に帰るの?」
ユーマが、きょとんとした顔をする。
「は? 急になんだよ」
「急じゃない! ずっと気になってたの!」
「なんか最近のお前、おかしいぞ?」
「でも、アンさんが! ユーマたちを説得出来るまでは、屋敷を離れないって……」
「言ってたけど、それがどうしたんだよ? つーかさァ、決めるのは俺だし」
「でも、でも! この前だって魔王城に行ったでしょ! 王宮にも行ったでしょ! 今日はクロムのおっさんまで連れて、また魔王城に行ったじゃない! 全部、ユーマが帰る準備じゃないの!?」
早口に捲し立てるティアラ。
ユーマは、面食らった顔をした。
「……お前、ずっとそんなこと考えてたのか」
「考えるでしょ! 普通!」
「普通じゃないだろ、その発想は」
「普通よ!」
ティアラの声が、庭に響く。
ユーマはしばらく黙っていた。
「……俺、帰るなんて一言も言ってないぞ」
「でも、いつか帰るんでしょ」
「知らねえよ、そんな先の話。つーか、決めるのは俺だから」
「それちょっと呑気すぎない!? アンさんは何度も外出してるのよ!」
「ばあちゃんがどこへ行こうと、俺には関係ないよ!」
「あんたはいつもそう! 自分のことなのに、全然真剣に考えてないじゃない!」
「考えてるし!」
「考えてたら、もっとちゃんと話してよ!」
二人の声が、夕暮れの庭に飛び交った。
「だったらさぁ、お前もちゃんと訊けよ! こんなになる前に!」
「”こんなに”って、何よ!!」
バッシュが庭の入り口から顔を出し、状況を察して速やかに引っ込んだ。
次の瞬間、ユーマがぽつりとこぼした愚痴が、ティアラを余計に怒らせることになる。普段なら怒るほどでもない言葉だった。
「……何で俺が、怒られてんだよ……」
気持ちに余裕のない今のティアラに、その言葉は最もふさわしくない言葉だった。
「何で私が、ユーマを責めてるみたいに言うの? 私…………別に怒ってないし!!」
売り言葉に買い言葉。
二人はまた、やらかしてしまう。
「絶対怒ってるだろ!」
「怒ってないって、言ってるでしょ!!」
「それが怒ってるって言うんだよ!!」
しばらく睨み合った。
先に目を逸らしたのは、ティアラだった。
「……もういい」
「おい」
「もういいって言ってるの」
「ケッ、またかよ……勝手にしろよ」
「ええ、勝手にするわよ! あんたなんか、さっさと、どっか行っちゃいなさいよ!」
下唇を強く噛みしめる。
「うるせぇー、ブサイク!」
「あぁぁぁ……」
ショックを受けるティアラ。
「そ、そのブサイクに、鼻の下伸ばしてたことも、ありましたけどね!!」
「はぁぁぁぁぁ???」
ティアラはそのまま、足早に自室へ戻っていった。
ユーマはその場に一人取り残された。
「……一体どうしたんだよ、あいつ」
答えてくれる者は、誰もいなかった。
*
ティアラはベッドに倒れ込むと、何度も独り言を呟いた。
「どうしてそんなに平気でいられるの……」
「……もっと、他に言うことあるでしょ」
「バカ」
「エロマ!」
「もう知らない!!」
堪えていた涙が溢れ出してきた。
(……いつ最後になるか分からないのに、あんな言い方しかできないなんて……)
外では、激しい雨が降り始めていた。
屋敷を叩く雨音は、まるですべてを洗い流し、消し去ってしまう別れの足音のように、ティアラの耳に響いていた。




