第八十話:深夜の密談、そして王宮へ──ティアラの止まらない悪い予感
翌朝。ティアラが廊下を歩いていると、チート勇者とゼノンの会話が聞こえてきた。
「……なあゼノン。俺たち、本当に行かないといけないのか?」
「嫌なら先生が、姉上に直接申し上げてください」
「それができたら、苦労しねえーよ」
「ですよね。……私もです」
二人は珍しく正装をしていた。
玄関先に視線を移すと、アンが外出の支度をしている姿が見える。
「あら、ティアラちゃん。おはよう」
シルフィが、荷物を持ちながら声をかけてきた。
「おはようございます……。どうかしたの?」
「ええ、アン様がお出かけになるそうです」
(えっっ!?)
瞬時に、昨晩のアンとミラの会話を思い出す。
「へ、へえ…………ど、どこへ?」
落ち着いた声を装い、訊き返すティアラ。
「さあ……私には」
シルフィが困ったように首を振った。
(それに……ユーマもいない)
直感的にシルフィも何かを隠している──ティアラはそう思った。
もしその直感が正しければ、自分の知らないところで何かの話が進んいるようで、気分のいいものではない。知らないのは私だけ?
ティアラは思い切って聞いてみた。
「あの……アンさん。ユーマは?」
するとアンは、事も無げにこう答えた。
「ユーマなら、佳代さんへのお土産を買いに行かせました」
それを聞いた瞬間、ティアラの頭の中が真っ白になった。「お土産」という言葉が、やけに現実味を帯びて響く。
以前アンは言っていた。「全員で異世界に来て、佳代さん一人だけを、現世に置いてくるなんて、そんなの許されることじゃないわ!」ティアラは、その話を思い出したのだ。
(お土産を持たせて、そのまま……ユーマは)
なんとも壮大な大勘違いである。どうすればそういう解釈になるのやら……。しかしティアラは大真面目である。
「そんな! 酷すぎます」
彼女は顔を覆ったまま、屋敷の奥へ駆けていくと、そのまま部屋に飛び込み、扉を強く閉めた。
”バタン!”
気まずい沈黙が流れた。
ゼノンが困り果てたように眉根を寄せ、アンを振り返る。
「……姉上。今の言い方は、さすがに語弊があるのでは」
ティアラの性格を考えれば「お土産」という言葉が誤解を与えませんか? とアンに説明するゼノン。
「あっ! 確かに……。そうでしたね。私としたことが」
アンには珍しい失言だった。
それもこれも、土壇場になってチート勇者が「やっぱり、母さんなんかと行きたくない!」と駄目をこねた結果、その対応に追われていたせいで、アンも余裕を失っていたのだ。
今さら追いかけて説明する時間もない。アンは小さく首を振った。その傍らで、チート勇者は大きな欠伸を一つ漏らす。
「……別に死ぬわけでもあるまいし」
と、どこ吹く風。
それがアンの導火線に触れた。
「あなたが遅いからでしょう!! いい歳したオッサンが、いつまでも『行きたくない』なんて、ぐずってんじゃないの!」
チート勇者の耳を強く引っ張るアン。
「あだだだだ! やめ……、痛てててて! 今のは母さんの失言が悪いんだろ! 俺は関係ないだろぉ。なぁゼノン!?」
「……どっちも、どっちだと思います」
こうして三人は、予定時間のギリギリで出発した。
*
──その日の夜。
アンは疲れた顔で、一人で屋敷に帰って来た。
そのまま部屋に直行し何も語らなかった。何があったのかは分からないが、相当機嫌が悪そうだ。
なぜかチート勇者とゼノンは、まだ帰って来ていなかった。
そしてユーマも──。
ティアラの頭の中で、色んな考えがぐるぐる回る。アンが屋敷に滞在している理由や、その目的についても考えた。
アンの目的は、ユーマとチート勇者を現世へ帰らせることだ。だが二人は帰ることを拒んだため、苦肉の策でクロムに説得を任せたのだ。
そして、その説得が成功するまでは、アンは屋敷を離れないと宣言していた。それなのになぜ今日、アンは屋敷を離れたのか?
(ユーマの説得が、もう決まりそうだから?)
そして母親へ渡す「お土産」を買いに出かけていたユーマ……。
ただ一つ安心出来たことと言えば、ユーマがお土産を買いに行ったのは王都で、観光客向けの名産品だと、あとから聞かされたことだ。
取り合えず、今すぐユーマがお土産を持参して現世に帰るわけじゃない。それが分かっただけでも安心できた。
しかし……。
「ティアラ? どうしたの、そんな顔して」
咲が廊下から声をかけてきた。
「え、あ……なんでもない!」
慌てて笑顔を作るティアラ。
「ほんとに? なんか、難しい顔してたけど」
「してない、してない。気のせいだって」
「そう?」
咲は首を傾げながら、奥へ戻っていった。
(……考えすぎだよね。きっと)
そう自分に言い聞かせた。
そんな心配をよそに、呑気に鼻歌交じりにユーマが帰って来た。
「ただいまーっ」
どこか上機嫌だ。
「おかえり、ユーマ!! ご飯、ご飯まだ食べてないよね!? お腹減ったでしょう?」
「なんだよお前?」
普段と違うティアラの態度に、訝し気な視線を送るユーマ。
いつも食事の用意をするシルフィやミラではなく、今日はティアラが茶碗に山盛りのご飯とおかずを盛ってユーマに差し出した。
「ん、……サンキュ」
早速ティアラは、何気ない素振りを装い、ユーマに聞いてみた。
「ねえ、ユーマ。チート勇者とゼノンって、どこ行ったか知ってる?」
「さあ? 魔王城じゃないの」
ユーマはあっさり答えた。
その表情に嘘はないか観察したが、いつもの通りの能天気なユーマだった。
「どうして魔王城に!?」
「俺が知るわけねーだろ。飯、冷めるぞ」
「あっ……うん、食べる」
話はそこで終わった。
本当に訊きたかったのは、もちろんそこではない。
一方、なぜティアラだけが、まだ食事を済ませてなかったのかなんて、ユーマが知る由もない。
*
ご飯を食べ終わって、お風呂に入り、それから部屋へ戻ろうとした時だった。ティアラは、廊下で会話するアンとミラに気が付いた。
立ち止まるつもりはなかった。ただ、聞こえてしまったのだ。だが、次の瞬間には身を隠し、会話に聞き入ってしまった。
(……私、こんなことばっかりしてる)
少し罪悪感もあった。
「……王宮へは、私一人で行くわ」
アンの声だった。
ティアラの心が冷たく凍りついた。
魔王城の次は王宮。
一体何が始まろうとしているのか……?
悪い予感しかない。
「よろしいのですか? お一人で」
「ええ。あちらの話は、私が直接しないと意味がないから」
「……承知しました。何かあればすぐに」
「大丈夫よ。長くはかからないわ」
聞こえたのはその一部始終だけで、すぐに二人の足音が遠ざかっていった。
ティアラは、息を潜めたまま動けなかった。
(アンさんが一人で王宮へ行く。一体、何をしに行くの?)
じわりと一つの考えが浮かんだ。
ユーマが現世に帰るのなら、勇者を続けられない。そのことを王宮に伝えなければならないのかも……と。
(そのための挨拶を……)
「おいティアラ? どうしたんだ、こんなところで」
突然声をかけられて、ティアラは飛び上がった。
「っ! ユーマ! び、びっくりさせないでよ!」
「いや、お前が廊下で固まってたんだろ」
ユーマが不思議そうな顔をしている。
「ど、どうもしてない! ちょっと考えごとしてただけ!」
「そか」
ユーマはあっさり頷いて、そのまま通り過ぎようとした。
(聞いてみようかな……)
ティアラは一瞬迷った。
「……なんかあった?」
立ち止まったユーマが、急に振り返り聞いてきた。
「な、ない! 何もない!」
「……ほんとか?」
「ほんとほんと。行っていいよ」
「そうか。なんかあったら言えよ」
ユーマはそれだけ言って、廊下の奥へ消えていった。
その背中を見送りながら、ティアラは唇をぎゅっと結んだ。
(……何もないわけ、ないじゃない! 馬鹿)
その日、アンが一人で王宮へ向かう姿を、ティアラは屋敷の窓から静かに見送った。




