第七十九話:深夜に交わされた密談。アンとミラが語る“条件”とは?
静かになった居間の隅で、ティアラはミラと並んで座っていた。
「……ねえ、ミラさん」
「なんですか?」
「アンさんって、本気で言ってるの? ユーマを現世に帰らせるって」
ミラは少し間を置いてから、静かに答えた。
「……本気だと思います。アン様は、そういう方ですから」
「そっか……」
ティアラは膝を抱えた。
心なしか耳が力なく垂れ下がっている。
「ユーマ、帰っちゃうのかな」
その口調は、アンが帰らせたいと思うのと、ユーマ自身が帰りたいと思うのとは、また別の話だ。と……静かに訴えかけているようだった。
「ユーマさんは、元々あちらの人間ですし……誤って異世界へ来てしまっただけですから」
「……うん、分かってる。分かってるけど」
ティアラは唇を尖らせた。
「なんか、急すぎない?」
「まあ……そうですね」
ミラが、珍しく歯切れ悪く答えた。
しばらく二人で黙っていると、ティアラがぽつりと言った。
「ねえ。もしユーマが、正式な勇者並みに強くて……ちゃんと勇者の務めを果たしたりすれば、こっちに残れたりしないかな」
「それは……分かりませんが」
ミラが困ったように眉を寄せた。
そもそもユーマは、王宮から厄介払いされた立場なので、勇者の務めも何もない。
「仮にそうなったとしても、ユーマさんにはあちらの生活がありますし、ご家族の都合もあります。そう簡単には──」
「……ミラさんは魔族だし。どうせアンさんの味方だもんね」
ティアラが、少しいじけた顔で言った。
「私は……」
ミラは、あくまでも正論として言ったまでで、私だって本心では──と言いかけて、止めた。
「ミラさん、そんな顔しないでよ。責めてるわけじゃないんだから」
ティアラが慌てて付け加える。
「そう……ですか」
「そうだよ。ただ、ちょっと……ね」
ティアラが視線を落とした。
その会話を、たまたま近くを通りかかったシルフィが聞いていた。
「あらあら、ティアラちゃん。元気がないわねぇ」
しゃがみ込んで、ティアラの顔を覗き込むシルフィ。
「べ、別に元気ないわけじゃ……」
「顔に書いてあるわよ」
「書いてない!」
「ユーマさんのことが、心配なの?」
シルフィの優しい声に、ティアラは返事ができなかった。
「……あの、何の……騒ぎですか……」
そこへカガミが顔を出した。
「ティアラが、ユーマさんのことで……」
とミラが説明をはじめるも、カガミは最後まで聞かずとも状況を察したようだ。
「あー……、なるほど」
カガミは、その一言で片付けた。
「なるほどって何よ!」
「そのままの……意味ですが……何か?」
「もっと気の利いたこと言いなさいよ!」
「気の利いた……ことを……言う必要性を……感じません」
「カガミ!」
ミラが小声で「もう少し……」と目配せをする。カガミはしばらく考えてから、ティアラの隣に無言で腰を下ろした。
「何よ?」
ティアラが怪訝な目を、カガミに向ける。
「別に……」
「別にって何よ……!」
「隣に……います」
「…………」
ティアラは脱力した。
「なんかもう、ありがとう」
「……どういたまして」
そこへ、咲も近づいてきた。
「あの……私も、いていいですか?」
「……咲まで」
もう何なの!? とティアラは呆れた。
「だって、なんか放っておけなくて」
咲がぺたりと床に座る。
そこへ女神が「私も混ぜてー!」とかけつける。
「女神、まだいたの!?」
「ずっと、いましたけど!」
「気配消さないで」
「神だもの」
「神じゃなくて……、駄女神でしょ」
居間の隅が、いつの間にか小さな女子会のようになっていた。
「最悪の場合、チート勇者だけ返せばいいのよ!」
女神が、完璧な答えを導き出したような顔で言と、
「あんたこそ、とっとと天界に帰りなさいよ!」
とティアラが茶化す。
そんな騒がしい輪を、ミラはふっと穏やかな目で見つめた。その視線には、どこか姉のような優しさが滲んでいた。
一方、その騒ぎを居間の反対側から眺めていたバッシュが、クロムに小声で問いかけた。
「……閣下。あれは、どういう状況でございますか」
「さあな」
軽く流すクロム。
「ティアラが、ユーマを心配しているようですが」
「見れば分かる」
「閣下は、どうお思いで?」
クロムは腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
「まあ……。ユーマのやつが、鈍いだけだろう」
「はい?」
「まったく……普段は、あれだけ分かりやすいというのに──」
クロムは心底呆れたような、しかし、どこか可笑しそうな顔をした。
その視線の先では、女性陣に囲まれたティアラが「もう! みんなして、からかわないでよ!」と真っ赤な顔で叫んでいた。
「……賑やかな屋敷になったものだ」
クロムが感慨深げに、そう呟いた。
◇
アンが屋敷に滞在するようになってから、数日が経過した。
チート勇者が妙におとなしい。食事の時間には必ず席に着き、夜更かしもしない。
カガミの水晶で魔王城の様子を覗いた時とは大違いだった。実に模範的な生活ぶりだ。
「……なんか、別人みたいだね」
ティアラが呟く。
「まあ、ばあちゃんが監視してるからな」
ユーマが小声で返す。
「アンさんって、いつも、あんか感じなの?」
ティアラが不思議そうに尋ねる。
「いや……」
現世でのアンは、多少口うるさいことはあっても、ここまで厳しくはなかった。
「ばあちゃんは元々、異世界の人だから、接し方が現世の時と違うんかなァ? 知らんけど」
二人が小声で話していると、チート勇者がぴくりと耳をそばだてた。
「……聞こえてるからな、ユーマ!」
「聞こえてていいよ」
ユーマが堂々と答えた。
その時、アンが後ろを通り過ぎた。
「ユーマ、こんっっのぉぉ!」
「仁!」
「えっ? は、はいぃぃ!!」
アンが一言発しただけで、チート勇者は瞬時に背筋を伸ばした。
「お行儀よくしなさい」
「……はい」
ゼノンが、隣でこっそりチート勇者に囁く。
「先生……これが毎日続くのですか……」
「黙れ。お前の姉だろ、なんとかしろよ!」
「それを言ったら、先生の母上ではありませんか!」
ヒソヒソ話をする二人を、アンがジロリに睨みつける。
「うう……」
二人して肩を落とす姿を見て、ユーマはケタケタ笑った。
「ユーマ!」
「あ、はいィ!」
*
その夜──。
ふと喉の渇きで目を覚ましたティアラが、一階のキッチンへと向かった。
寝静まったはずの屋敷。だが、広間の扉の隙間から、微かな明かりと話し声が漏れていることに気づき、ティアラは足を止めた。
(アンさんと……ミラさん?)
二人は声を潜めて会話していた。いけないとは思いつつも、扉の影に身を潜める。
「──も済みました。──までも中途半端な状態に──からね」
会話が小声なのと、扉の影ということもあり、話の内容は所々しか聞き取れない。それでも気になって、その場を動けなかった。
(住みました? どういう意味なんだろう……)
聞き間違いに気づかず、更に耳を澄ませるティアラ。
「──で、ユーマさんたちは──?」
「──と言ってます──の出した条件にも”一応は”──しました」
(……条件?)
「そうですか。答えは──」
「ええ。ですから──、一度──城へ向かい──」
かすかな足音がした。
二人が動いたようだ。次の瞬間、声が少しだけ聞き取りやすくなる。
ティアラは隠れて息を殺したまま、会話が更によく聞こえるようにと、影に沿ってわずかに位置をずらす。
「なのでミラ。ティアラさんの様子も気にかけてやってね。あの子、一見快活そうに見えて、繊細なところもありそうなので、フォローをお願いします」
「かしこまりました」
その言葉を最後に、話し声は途切れた。




