第七十二話:【実録】隣の田中さんとの不毛なゴミ出し抗争史。奴は天敵だ…
王宮の地下、冷たく湿った石壁に囲まれた監獄に、チート勇者は放り込まれていた。
「……ったく。情けない姿を、ユーマに見られてしまったな……」
情けない親父の姿とは────ムチムチ女性に、すぐ鼻の下を伸ばしてしまうお父さんの姿だという認識は”まだないらしい”
「はぁ……ぁ」
チート勇者は、鉄格子を握りしめながら、数か月前のことを思い出した──。
息子のユーマは、下心満々で同級生の女の子を納屋に連れ込み、鼻の下を伸ばしながら迫った挙句、突き飛ばされてゲートに落ちた。
その息子を追って、ゲートに飛び込んでから数ヶ月……。
まさかあんな王宮のど真ん中で、ドレスアップした二人の巨乳女や、ロリなケモナー少女を連れたユーマに再会するとは……。
(チクショウ!)
この期に及んで、何を考えているのやら……。
だが、ゆっくりと嫉妬に浸る余裕などない。チート勇者はジンジンと脈打つ自分の耳たぶをさすった。
「いてぇ……指先の力が尋常じゃねぇな、あのジジイ! ……キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズで鍛えてんのか?」
恐らくはNo. 1か?
握力はきっと……140 lb(63kg)レベルだろう。
つまり──”まぁまぁ強い”
「あーあ、どうすりゃいいんだ、俺?」
脳裏にこびりついて離れないのは、先ほど自分をボコにして引きずり回した、隣ん家の田中さんの鬼の形相。
これまで退けてきた異世界魔法への無効化や、神にも勝てるはずの自分の「尺度」も、あの田中さんの前では一ミリも機能しなかった。
(なるほど、あいつ。結構強かったんだな……喧嘩)
◇
二人の因縁は、日本にいた頃から続く「漢の戦い」の歴史でもあった。
【回想:隣人・田中さんとの不毛な戦記】
ある日の早朝。
「あなたプラプラしてるんだから、朝のゴミ出しくらいしなさいよ!」
母親のアンに怒鳴られ、チート勇者は仕方なくゴミ袋を持って外に出た。
ちょうどその時、隣の家の玄関も開く。
(田中さんだ)
六十を過ぎた、昭和気質の雷親父。二人は昔から妙に馬が合わない。
「……」
「……」
互いに意味もなく、軽く睨み合いながら、黙ってゴミ置き場まで歩く。
チート勇者はゴミを捨て、そして家へと戻る。
その途中。
自分の家の前の道路に、小さなゴミ袋が転がっていた。
チート勇者は足を止める。
(あんのォォ親父ぃぃ!)
さっき田中さんもゴミを持っていたよな? チート勇者の頭にある疑惑が浮上する。
つまり──。
(うちの前に、落として行きやがったなぁぁ!)
実際はただの勘違いだろう。もしかするとカラスの仕業だったかもしれない。だがチート勇者は、すでに「あの親父がやったな!」とそう思い込んでいる。
「チッ……」
ぶつぶつ文句を言いながら、そのゴミを足で蹴るチート勇者。コロコロと転がったゴミ袋は、田中家の玄関の前で止まった。
「ったく……人ん家の前に落としてんじゃねぇよ……」
満足して家に入ろうとした、その時。
──コトン。
背後で、何かが落ちる音がした。
振り返る。
さっき蹴ったはずのゴミ袋が、また自分の家の領域に転がっている。
「……はぁン!?」
チート勇者は周囲を見る。
誰もいない。だが、ついさっき田中さんは家に入ったばかりだ。
(あんの親父めェ……!)
チート勇者は理解した。
(あいつ、やり返してきやがったな!)
そしてまた、無言でゴミ袋を蹴るチート勇者。
田中家の玄関の前まで転がしてから──。
少し待ったが、今度は音がしない。
「……ったくよォ」
チート勇者は安堵して家に入った。
しかし家に入ってからも、気になってしまい、ふと窓から外を覗いてみた。
すると。
田中さんが家から出てきて、ゴミ袋を見下ろしているところだった。田中さんは顔を真っ赤にして、何の躊躇もなくチート勇者の家の前まで蹴り返した。
「くっ……そッ!」
チート勇者は再び家を飛び出した。
「この野郎!」
再びゴミを蹴り飛ばす。コロコロと、田中家の前で止まる。
数秒後。
またゴミが戻っている。
蹴る。
戻る。
蹴る。
戻る。
蹴る。
戻る。
……。
このアホみたいな攻防は、しばらく続いた。
最終的に、
「あなたたち、朝っぱらから何してるの!!」
アンの怒鳴り声で、ようやく不毛な争いが終わった。(この日は)
二人は同時に顔を逸らす。
「チッ」
「チッ」
舌打ちのタイミングまで、完全に同じだ。
*
「……あいつ、俺が何言っても話が通じねぇんだもんな……」
監獄の隅で膝を抱えたチート勇者は、思い出しては、怒りに震える。
「俺が何言っても『知らん』『だから何だ』『うるせぇ』の三つで全部返してきやがる……」
田中さんにとっては「勇者」だろうが「チート」だろうが関係ない。ただの──「目つきの悪い隣のろくでなしが!」それだけである。
理屈も、威圧も、異世界の常識を変える能力も、田中さんには一切通じない。チート勇者がいくら大層なことを言っても「だから何だ」その一言で終わる。
その圧倒的な「本物の現実」「実在する現実」を前にすると、チート勇者の不条理な力など効力を持たない「無駄ムーブ」でしかなかった。
一方、王宮の外では。
「ユーマさん、急ぎますよ! あの田中さんが、いつユーマさんに『現実返し』をしてくるか分かりません。ユーマさんにターゲットが向く前に、立て直しましょう」
女神に急かされながら、王宮を振り返るユーマ。
「……分かってるよ。現実的に考えて、あのジジイは異世界のどんな魔物より始末に負えねぇ……」
「一旦、屋敷に戻りましょう……。ね?」
ミラが優しく声をかける。
「ああ……」
ユーマは、屋敷で留守番をしているであろう、あの「最強で最悪の住人たち」の顔を思い浮かべていた。
◇
その一方で、ユーマたちとゼノンの間で、取り決めがなされていた。
チート勇者を奪われたゼノンとルージュ、そしてノアは、一時的な共闘を申し入れ、それをユーマたちが快く受け入れたのだ。
「……信じられない。あの人が、あんな老人に耳を引っ張られて連行されるなんて。一体何なの、あのジジイは!」
ノアの背の上で、ルージュが苛立ちを露わにする。隣に座るゼノンもまた、深刻な面持ちで頷いた。
「田中さん……言いましたかな。先生やユーマ氏が田中さんを『変質』させられなかった以上、こちらの世界の住人ではないのは確かでしょう」
「ああ、ゼノンの言う通りだ。田中さんは現世の俺ん家の隣に住む頑固親父で、向こうの世界では親父の天敵みたいなもんだったんだよ」
「……なるほど。──それよりユーマ氏、急ぎましょう! 先生の救出が遅れれば、王宮に何らかの不当な扱いを受けるやもしれません」
「ああ、分かってるよ。親父を助けるには、屋敷の連中を連れてくるしかねぇしな」
ユーマ、ティアラ、ミラ、女神、そしてゼノン、ルージュの六人がノアの背中に乗る。早速ノアは、漆黒の翼を広げて力強く羽ばたかせた。
あっと言う間に黒龍の巨体は、雲を突き抜け上空に辿り着く。
進むは、クロムの屋敷!
王都の喧騒が、遠ざかっていく。
*
だが、屋敷が近づくにつれ、ゼノンの様子が目に見えておかしくなり始めた。その額には嫌な汗が浮かび、端正な顔が青ざめている。
「……どうかしたのですか?」
ミラが心配そうに首を傾げると、ゼノンは震える声で答えた。
「い、いえ……。これから向かう先には、あの方がいらっしゃるのでしょう?」
「あの方?」
ユーマが怪訝な顔で訊き返す。
「……かつて私が、魔王の座から引きずり落とした……あ、兄上が」
「あー、はいはい。そういやそうだったな。ゼノンはクロムのおっさんの、後任だもんな!」
ユーマが特に気に留める様子もなく、超ポジティブに笑い飛ばす。
「まぁ大丈夫だろ! 今のおっさんは庭で肉を焼くのが趣味の、気さくな隠居じじいだしな!」
そう言って爆笑するユーマ。
「ちょっと、ユーマ! それはあまりにも、楽観的すぎるんじゃない!?」
絶望するゼノンを見て、ティアラがニヤリと悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ、ゼノン。クロムのおっさんって、意外と根に持つタイプかもよ? 『あの時の落とし前、つけてもらおうか』なんて言われちゃうかもね!」
「ひぃっ!」
「ティアラさん! そんなに脅しては可哀想ですよ」
軽くティアラを戒めたあと、ゼノンに向き直るミラ。
「ゼノン様、安心してください。クロム様は懐の深いお方です。今更そんな昔のことを気になさっているとは思いません。それに────」
ミラのフォローに、ゼノンは少しだけ安堵の表情を見せた。
ミラが言葉を飲んだのは、クロムとバッシュが、ゼノンが魔王の座を落とされたのは、チート勇者から逃すために、あえて悪役を買って出た『兄弟愛』などと勘違いしているからだ。
今でもそう思っているんだとしたら、また暑苦しい兄弟愛をクロムから熱く語られるんじゃないか? との危惧があった。(正直メンドクサイ……)
最後列に座る女神は、ただ無言で遠くの空を見つめていた。
「女神? お前から、何か言わないのかよ?」
「……私からは、特にコメントはありません……」
それぞれの思惑と不安を乗せ、ノアは静まり返ったユーマの屋敷へと降下していった。




