第六十六話:騎士と骸骨、境界なき主従関係。骨に宿りし忠誠心、その名はボーン
「……もう、いやぁぁぁぁぁ!」
ついに女神が泣き崩れた。手元には、泥にまみれの『天界公認・勇者熟成マニュアル』が転がっている。
「こんなにも特訓したのに、あんな標本みたいな骸骨の方がキレがあるなんて! 私のプロデュース、完全に無駄でしたーっ!」
女神の慟哭が虚しく響く中、ユーマは遠い目で空を見上げた。
「……骨相手に敗北宣言してる女神って」
さて。そんなカオスな主導権争いが終焉を迎えた頃。屋敷の裏手では、全く別の「理」が動き出していた。
「ふむ。貴殿、その雑草の引き方、なかなかに筋が良いな」
バッシュが腕を組み、感心したように声をかけた。
他の骸骨たちが機械的に作業をこなす中、その個体だけは、なぜかバッシュの後ろを三歩下がって歩き、彼が腰を下ろせばすぐさま岩の汚れを払い、彼が剣を抜けば、どこから取り出したのかボロ布で刀身を磨こうとする。
「カタ……カタカタ……」
骸骨は顎の骨を鳴らし、バッシュを見上げている。性別など不明だ。ただの白い骨の集まりに過ぎないはずなのだが、その虚ろな眼窩には、形容しがたい「忠誠心」のような光が宿っているように見えた。
「……ほう。私の武人としての覇気に、当てられたか。死してなお、強き者に惹かれるとは、貴殿もまた数奇な運命を辿ったのであろうな」
バッシュは満足げに鼻を鳴らし、骸骨の細い肩にガシッと手を置いた。
「よかろう! 貴殿のその真摯な奉仕、このバッシュが受け止めよう。今日から貴殿は、私の第一従者だ。名は……そうだな、『ボーン』と呼ぶことにしよう!」
「カタッ!」
ボーンと呼ばれた骸骨は、嬉しそうに全身の骨を鳴らして跳ねた。
それからというもの、バッシュが歩けばボーンが付いていき、バッシュが「喉が渇いたな」と呟けば、冷えた水を運んでくるという、奇妙な主従関係が成立してしまった。
その光景を、屋敷の窓から眺めていたユーマとティアラ。
「……ねえ。バッシュが骨に懐かれて、なんか悦に浸ってるんだけど……」
「バッシュの威圧感って、死者にしか通用しねーのかよ? 生きている人間には、あんなに無視されてるのにな……」
ユーマが呆れていると、隣でカガミが静かに水晶を構え、その光景を記録し始めた。
「騎士と、骸骨……生と死の……境界なき絆。……これもまた……一つの真理」
「カガミも、変なもん感化されるなよ。あ、おい! バッシュのやつ、ボーンに『名乗りの口上』を教え始めたぞ!」
庭では、バッシュがボーンに向かって「名乗り特訓」の再現を始めていた。
「いいかボーン! 声は出ぬだろうが、心で叫ぶのだ! 『我が主の道に、敵はなし!』……さあ、やってみろ!」
「カタカタカタカタカタ!」
激しく顎を鳴らすボーン。その姿は、ある意味でユーマよりも遥かに「騎士」としての風格に満ち溢れていた。
こうして、騎士と骸骨の奇妙な主従関係は、静かに深まりつつあった。
──だが、その誓いが試される時は、意外なほど早く訪れる。
*
バッシュとボーンによる、奇妙な特訓が始まってから、すでに数時間が経過していた。
屋敷の庭の隅では、まるで由緒ある騎士叙任の儀式でも行われているかのような、妙に厳かな空気が漂っている。
バッシュは自前の黒いマントを外し、それを丁寧にボーンの細い肩へと掛けてやった。風に揺れるマントが、骨だけの身体には少し大きすぎる。それでもボーンは背筋をぴんと伸ばし、まるで本物の騎士のように胸を張っていた。
バッシュはゆっくりと愛剣を抜き、その刃をボーンの頭上に掲げる。
夕日が刀身に反射し、白い骸骨の顔に淡く光が落ちた。
「……ボーンよ」
低く、厳かな声だった。
「貴殿の騎士道、しかと見届けた」
ボーンは小さく顎を鳴らす。
「カタ……」
「今、この時より貴殿を我が義弟とし、不滅の盾に叙任する!」
「カタカタ……ッ!」
感激したように、ボーンは全身の骨を鳴らした。カタカタと軽快な音が庭に響く。そして次の瞬間、バッシュの前に跪き、騎士の誓いを立てるかのように頭を垂れた。
その時だった。
不意に、空を横切る大きな影が庭を覆う。
鋭い羽ばたきの音と共に、屋敷の屋根へと舞い降りたのは、黒々とした巨大な鴉──影鴉だった。どこからともなく迷い込んできたようだ。
だが、次の瞬間。
鴉は鋭く鳴き声を上げると、獲物を狙うように急降下した。
「──危ない、バッシュ!」
ユーマの叫び声よりも早く、ボーンが動いた。音もなく地面を蹴り、白い影が跳躍する。
「カタカタカタァァーッ!」
名乗りの代わりに顎を激しく打ち鳴らしながら、ボーンは丸腰のまま、巨大な鴉の前へと立ちはだかった。
鋭い爪が振り下ろされる。
”ガキィィィィィィン!”と衝撃音が響く。生身の人間なら一瞬で引き裂かれる一撃を、ボーンはその白い肋骨で受け止めた。
衝撃で骨が軋む。
それでも、ボーンは一歩も退かなかった。
「……ボーン!?」
バッシュの叫びが庭に響く。
影鴉は予想外の抵抗に驚いたのか、忌々しげに羽ばたくと、そのまま森の奥へと逃げ去っていった。
静寂が戻る。
だが、ボーンの体には深い亀裂が走っていた。胸骨から肩へ、蜘蛛の巣のように広がるひび。
「ボーン、しっかりしろ!」
バッシュが駆け寄り、崩れかけた骸骨を抱き止める。
ボーンは震える腕で、そっとバッシュの手を掴んだ。
骨の指が、かすかに動く。
「カ……タ……」
「無理をするな! 退けと言ったはずだ!」
「……カタ」
顎が、わずかに鳴る。
その音が、まるで「大丈夫だ」と言っているかのように聞こえた。
バッシュの喉が詰まる。
「……なぜだ」
低く、掠れた声だった。
「なぜそこまでして……」
ボーンは答えない。
ただ、もう一度だけ。
「カチリ」
満足げに顎を鳴らすと──その身体は、さらさらと白い塵となって崩れ落ちていった。
夕風に乗って、骨の欠片が静かに舞う。
庭に残ったのは、ほんのわずかな白い粉だけだった。
「ボーーーーーン!!」
バッシュの慟哭が、夕焼けの空へと響き渡る。
「友よ……! 我が弟よぉぉぉぉ!!」
その光景を、少し離れた場所から見ていたユーマは、腕を組んだままぼそりと呟いた。
「……いや、現実的に考えて、それただの『魔法の持続時間が切れただけ』だろ」
しかし、バッシュは聞いていない。
膝をつき、塵を掻き集めながら震えていた。
「……散り際……。……美しき、一閃……」
隣ではカガミが、静かに目を伏せる。
「ボーンよ……騎士が主を守り、散る。……これぞ誉れ」
「いや、だから骨なんだっての!」
ユーマが額を押さえる。
その時だった。
「あら?」
のんびりした声が庭に響いた。
キッチンの扉から、エプロン姿のシルフィがひょっこり顔を出していた。
「バッシュさん。どうしたんです?」
「……シル……フィ」
バッシュは震える声で答える。
「ボーンは……私を護って!」
「ああ、それなら大丈夫ですよ?」
シルフィはあっさりと言った。
「ナニぃぃ!?」
「だってあれ、私の魔力を籠めた『記録媒体』みたいなものですから」
彼女は軽く指を鳴らす。
パチン。
すると……。
バッシュの足元に散らばっていた白い塵が、ふわりと宙に舞い上がった。
骨片が集まり、組み合わさり、元の形へと戻っていく。やがてそこには、先ほどと同じ骸骨が立っていた。
「カタッ?」
きょとんとした様子で、ボーンが首を傾げる。
バッシュは目を見開いた。
「ボ、ボォォォーーン!!」
次の瞬間、勢いよく抱きつく。
「生きていたのかぁぁぁ!」
「カタカタッ!?」
「……もう、茶番もいい加減にしろよ」
ユーマが深いため息をつく。
「生き返るなら、さっきの無駄な感動(茶番)シーンは何だったんだよ!」
庭には再び、いつもの騒がしい日常が戻っていた。




