表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/58

第五十六話:ユーマが異世界の理に違和感を覚える時、対象者は強制的に現実に収まる

ギルドの資料室から「借りてきた」図鑑を、ユーマは屋敷の庭でぼんやり眺めていた。そこには朝倉咲の手によって、元の記述が読めないほどに真っ赤な添削と、精密な骨格比較図がびっしりと書き込まれていた。


「ユーマさん、そこそこ! 見てください、このワイバーンのページ!」


隣からひょいと覗き込む咲。その声は、心なしか弾んでいる。


(ひゃぃ!)


興奮した咲の鼻息が、ユーマの耳元に当たる。


「彼ら(ワイバーン)はまだ、生物として筋が通ってるんですよ。前肢がそのまま翼に進化している。これ、私たちの世界の鳥類や翼手目と同じ収斂しゅうれん進化の原理なんです。素晴らしいと思いませんか!」


「へー、じゃあワイバーンは、俺たちの世界の生き物に近いってことか」


「はい、理屈に合ってます! 解剖学的にも『納得』がいきます。……でも! 問題は次ですよ」


咲が震える指先でページをめくる。そこには四本足で立ち、背中から巨大な翼を生やした『ドラゴン』の解剖図が描かれていた。咲の目が、獲物を定める肉食獣のようにきらりと光る。


「これ……根本的におかしいんです。『バグ』ですよ。存在自体がバグなんです」


「は? おかしい? いや、まんまドラゴンじゃん。何がおかしいんだよ。かっこいいだろ!」


ユーマの不用意な一言が、完全に咲の生物オタクのスイッチを押してしまった。


「いいですか。脊椎動物の基本構造は『四肢』なんです。なのにこいつは六肢ろくしになっています! 本来、翼というのは前足が変化してできるもの。それなのに、四本足があるのに、背中からさらに『アレ』が生えてるんですよ? そこがもうおかしいでしょう! 筋肉の付着点(起始・停止)はどこにあるんです? 肩甲骨が三対あるとでも? 構造的に破綻しすぎてて、見てるだけで頭が痛くなります!!」


咲は早口でまくしたて『ハァ……ハァ……ハァ』と呼吸も荒く顔を紅潮させ、興奮のあまり汗ばんだ肌に赤みが射している。


(こ……こいつ、妙にエロいなぁ)


早口で専門用語をまくしたてる彼女からは、知的な悦びに当てられたような、危うい色気すら漂っていた


「はっきり言って、四本足があるならそれで歩けばいいんです。空を飛ぶなら、ワイバーンみたいに前足を翼にすればいい。なのに両方欲しがるなんて、進化の過程で絶対にありえない『贅沢』なんです!」


「うーん……ま、言われてみれば、確かに変な形だよな。四本足があるなら、普通に歩けよって話だし。あんな重そうなもん背負って飛ぶのも合理的じゃないっていうか」


「そう! 現実的ではないんです!」


ユーマは、愉悦に浸り時折「はぁはぁ」と荒い息をつく咲の表情から目が離せず、半分上の空で話を合わせた。


本来なら聞き流すはずの学術的な愚痴が、咲の異様な熱量によって、強烈な「真実」としてユーマの深層意識に刻み込まれてしまった。


(白い肌を真っ赤にさせて、妙にエロいんだけど。言ってることは正論……なのか?)



その日の午後──。


買い出しのために街の外へ出たユーマたちは、偶然にも、咲曰く「設計ミス」だと言ってはばからない、そのドラゴンに遭遇することとなる。


「ドラゴンだ! 上空に古龍が出現したぞ!」


悲鳴が上がり、一瞬のうちに巨大な影が街路を覆う。悠然と空を舞う巨大な体躯は、本来なら絶望の象徴だ。

だがユーマの脳裏には先ほどの咲の講釈が、まだ頭にこびりついて離れていなかった。


(確かに……あんな四本足の骨格してるのに、わざわざ背中に翼を生やすなんて、物理的に無理があるよな)


「現実的に考えて、あんなデタラメな構造で、空なんか飛べるわけねーよな? 重心どうなってんだよ」


ユーマが呆れて鼻で笑った、その瞬間だった。


「グオォッ!?」


ドラゴンの叫びが、悲鳴に変わった。

上空で、ドラゴンの背中から「何か」が剥がれ落ちた。霧のように翼が薄れて消え、数十メートルあった巨体が、まるで空気が抜けるように縮んでいく。


──ドスン。


凄まじい土煙と共に地面へ激突したのは、伝説の古龍ではなく、庭先を這いずる「トカゲ」のサイズまで矮小化した爬虫類だった。


「……古龍が、縮んだ……? 翼が、消えた……?」


ベテラン冒険者たちが、あり得ない光景に腰を抜かす中、咲だけは「待ってました!」と言わんばかりに、スカートの汚れも気にせず墜落現場へ猛ダッシュした。


「やっぱり! 見てくださいユーマさん! 翼のあった場所には傷跡すら無いのに、皮膚が完全に癒合していて、最初から『翼という器官が存在しなかった』ように、骨格が変わっています!」


「わ、馬鹿! 咲! 危ないぞ!!」


ユーマの言葉など気にもとめず、咲はカバンからメジャーとピンセット、さらにはどこで手に入れたのか聴診器まで取り出して、バタつくトカゲを押さえつけて狂ったように計測を始める。


「見てください! この大腿骨の太さは完全に地上歩行専用です。空を飛ぶための気嚢きのうも退化……いえ、消失しています! 素晴らしいです! 今の、自分がやったって自覚はないんですか!?」


「自覚って何だよ。俺はただ『咲の言う通り、あんな無理な形は飛べねーだろ』って思っただけだ」


「……」


咲は小さく息を吐き、手帳に震える文字を書き記した。


『確信:私の「解剖学的指摘」が、彼の認識を誘導した。その結果、異世界の理を現実世界(現世)の常識へと強制収束させた』


そして、こう呟いた。


「……これ、論文に書いたら暗殺されるレベルですね」


咲は顔を上げると、頬を上気させたまま、興奮した表情でユーマを仰ぎ見た。


「ユーマさん! 帰ったら次は『ケンタウルスの内臓配置』について朝まで語り合いましょう! 人間の腹筋の下にすぐ馬の肺があるなんて、横隔膜の気密性が保てないはずなんです。そこを詳しく検証したいんです!」


「……頼むから、もう黙っててくれ。あとそのトカゲを俺の方に向けるな」


ユーマは少し疲れた顔でそう言った。その傍らで、地に落ちた古龍トカゲたちは、駆けつけた冒険者たちによって「稀少な肉」として、実に現実的な手際で解体・捕獲されていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ