第五十話:チートスキルですらない異物。ゼノンが感じた禁忌
魔王城の財政難は、赤髪の美女──ルージュの一言で解決した。
彼女が「家賃」として、魔王城に運び入れたのは、眩いばかりの金銀財宝の山だった。
「ひ、ひぃぃ……! 予算、予算がカンストしましたぞ先生! これでボロボロだった兵舎も、穴が開いたままだった先生の、寝室の天井も直せますぞ!」
サングラスがなければ目が潰れそうな輝きを前に、ゼノンが狂喜乱舞して叫ぶ。
その傍らで、チート勇者は山積みの金貨の一枚を拾い上げ「これ、偽物じゃないのか?」と、しげしげと眺め「急遽精錬したから、純度が甘いです! とか言うんじゃねーだろうな?」と軽口まで出る始末。
数日後。
ゼノンの大家(?)としての情熱と、ルージュの「ドラゴンの家はこうあるべき」という強力なアドバイスによって、魔王城は生まれ変わった。
「まっぶしっ!! おいゼノン、廊下が反射してて前が見えねーぞ。あと床が滑って歩きにくいんだよ!」
リフォーム後の城内を歩いていたチート勇者が、怒鳴り声を上げた。
壁、床、天井。視界に入るすべての構造物が、ルージュの持ち込んだ純金によってコーティングされ、もはや城というよりは巨大な金塊だ。
「我慢してください先生! これが富の可視化というやつですぞ! 魔王城たるもの、まずは光らねば威厳が出ません!」
ゼノンは既にサングラスを三枚重ねて装着し、壁に手を突きながらヨロヨロと歩いている。
「威厳とかいいから、普通に歩かせろよ! 滑るんだよ!」
「あら、贅沢ね。これでも控えめにしたつもりなのだけれど」
廊下の角から現れたルージュが、優雅に髪をかき上げた。
「お前、これで、本当に落ち着けるのか?」
チート勇者が怪訝な目で尋ねると、ルージュはこう言って息巻いた。
「ええ。ドラゴンの巣は、これくらい輝いていないと眠れないわね!」
「なに言ってやがんだ。この前までジメジメしたダンジョンを新居にしてたやつが」
しかし、ルージュ言葉通りで。チート勇者が自分の寝室に戻ると、そこにはさらなる惨状が待っていた。ベッドの上にはノアが持ち込んだ金貨が山と積まれ、その頂で丸くなって眠っていた。
「おい、ノア。そこ俺のベッドだぞ。どけ」
「……やだ。ここ、おじさんの匂いと金貨の匂いがして、一番落ち着くもん……」
寝ぼけ眼の幼女にそう言われては、チート勇者も強くは言えない。仕方なく、金貨の山の隙間に体をねじ込もうとしたが──。
「いてっ! あー、もう! 金貨の角が背中に刺さるんだよ! 全然リラックスできねーよ!」
さらには純金の壁が室内の明かりを過剰に反射し、目を閉じても瞼の裏が明るい。
「滑るわ! 眩しいわ! 硬いわ! 痛いわ! こんなんで寝れるかぁぁぁ!!」
チート勇者の堪忍袋の緒が切れた。彼にとって、この「この派手な成金空間」は、生理的に受け付けないものだった。
「金ピカなんてのは成金の趣味だよ! 落ち着かねーわ! 結局、ただの石造りが一番なんだよ!」
チート勇者が苛立ちに任せて吐き捨てると、その瞬間に異変が起きた。
彼の周囲を覆っていた「過剰な装飾」である純金が、まるで幻だったかのように霧散し、元の味気ない灰色の石壁が剥き出しになったのである。
「ああっ!? 私の、私の予算があぁぁぁ!!」
廊下からゼノンの絶望の叫びが響き渡る。
「……あら? 消えちゃったじゃない」
様子を見に来たルージュが、石造りに戻った壁を見て、不満そうに眉をひそめた。
「せっかく最高に居心地の良い寝床にしてあげたのに。これじゃあ、ただの冷たい岩場じゃない。人間の美意識って、本当に貧相なのね」
ルージュはため息をつき、信じられないものを見るような目でチート勇者を見つめた。
「ボク、金貨がなくなって背中が寂しいよ……おじさん、変な魔法使ったの?」
ベッドの上で金貨の山を失ったノアも、ショックを受けた様子でシーツをまさぐっている。
「魔法じゃねーよ。……つーか、これが普通なんだよ。いいから寝ろ」
チート勇者はようやく訪れた暗闇と、見慣れた「普通」の石壁の感触に安堵しながら眠りについた。
その一方で、ゼノンは涙を流しながら、消えてしまった純金の幻を求めて、冷たい石の床を掻きむしり続けるのであった。
「先生……せめて、雨漏りの修理代くらいは残してほしかったですぞぉ……」
魔王城の大家の受難は、まだ始まったばかりである。
◇
それから数日後。
純金に変えられた魔王城は、元のボロい城に逆戻りしたことから、赤髪の美女──ルージュは、今度は「防衛」という名目で鼻息を荒くしていた。
「あまりにも無用心だわ。ノアがまたどこかの隙間から逃げ出してしまうかもしれない。……そうだわ、結界を張りましょう」
その提案を聞いたゼノンは、内心で(しめしめ)と膝を打った。
伝説の赤龍が張る結界となれば、その強度は神話級だ。それが家賃のついでにタダで手に入るのなら、大家としてこれほど有り難い話はない。
「結界! さすがはルージュ殿、それは頼もしい。ぜひ、この城を鉄壁の守りで包んでいただきたい!」
ゼノンが二つ返事で快諾すると、ルージュは不敵な笑みを浮かべ、その双眸を真紅に輝かせた。
彼女が構築したのは、大きく膨らんだその独占欲を術式へと昇華させた「愛の巣」一度閉じ込めれば、あらゆる者が通過を拒まれるという究極の監禁結界である。
だが翌朝、その「鉄壁の守り」は、魔王城の住人たちにとって最悪の絶望へと変わった。
「報告します! 正門、通用門、さらには排水溝に至るまで、ピンク色の魔力壁に阻まれ、一切の出入りが不可能です! 物理・魔法、どちらの干渉も通用しません!」
血相を変えて飛び込んできた部下の報告に、ゼノンは朝食のパンを喉に詰まらせた。
「な、なんだと……!? 先生の朝食の買い出しに行けないではないか! ルージュ殿、ひとまず私と先生、それから買い出し部隊だけでも通れるように調整を……!」
「ダメよ。例外を作れば、そこからノアが逃げるかもしれないもの」
ルージュは優雅に紅茶を啜りながら、ピシャリと言い放った。その隣で、ノアがチート勇者の背中にしがみつき震えている。
「おじさん、ボク、一生ここに閉じ込められるの? 怖いよぉ」
「……おい、ゼノン」
ゼノンの背後から、地を這うような低い声が響いた。
振り返れば、そこには空腹と、自由を奪われた不快感で不機嫌が限界に達したチート勇者が立っていた。
「俺は外の定食屋で『焼き鳥丼』が食いたいんだよ。なんで自分の家から出られねーんだよ」
「も、申し訳ありません先生! しかしこれ、ルージュ殿の魔力が……ッ!」
ゼノンは必死に門を開けようと、自らの魔力を指先に集中させて壁に触れた。だが、触れた瞬間に猛烈な斥力が走り、指先が痺れる。
(……まずい。これは『強い』なんてレベルじゃない。こんなもの、この世の誰にも干渉できん……!)
ゼノンの背中に嫌な汗が流れる。
もし先生がこのまま外に出られず、不機嫌が頂点に達すれば、魔王城が物理的に消滅しかねない。それだけは、大家として絶対に阻止せねばならない。
だがゼノンの焦りをよそに、チート勇者は気怠げに正門へと歩み寄った。
「愛だの結界だの知らねーけどよ。扉が開かねえなら、蹴っ飛ばして開けるしかねーだろ!」
チート勇者は、ただの「開かないドア」に苛立っている近所のおじさんのような顔で、無造作にその足を門へと振り抜いた。
ドォォォォォォォン!!
城全体が激震に見舞われた。
直後、ガラスが粉々に砕け散るような、高い音が響き渡り、最強を誇ったはずのピンク色の結界が、光の塵となって霧散した。
それどころか、結界に固着されていた巨大な城門までもが、蝶番ごと引きちぎられて遥か彼方へと吹き飛んでいく。
「……ふん。やっと開いたか。ほらゼノン行くぞ。遅れると限定メニューが売り切れる」
「は、はいぃ……っ! 行きます、すぐ行きます!」
チート勇者は、自分が今しがた、無意識に発動させた自身の”特異体質”によって結界を粉砕したことなど、微塵も気づいていない様子で歩き出した。
一方、その場に取り残されたルージュは、信じられないものを見たという顔で硬直していた。
「私の……魔力を、ただの足蹴一つで? 術式を解いたんじゃないわ『壊した』……物理現象として」
彼女の震える呟きを聞きながら、ゼノンは吹き飛んだ城門の残骸を見つめ、不意に胃の底に氷を流し込まれたような感覚を覚えた。
(……そうだ。ルージュ殿の言う通りだ)
ゼノンは、自らの震える掌を見つめた。
これまで彼は、先生の力を「底知れない魔力」や「高度な技術」の類だと解釈してきた。あるいは「勇者」というくらいだから、神々から与えられた特別なスキルなのかもしれない? と考えたこともあった。
だが、今の光景はどうだ。
結界を破るには、通常、相手を上回る魔力で破壊するか、術式を読み解くしかない。しかし先生は、そのどちらも行っていない。
ただ、門を蹴っただけだ。
まるで、そこに「結界魔法」という概念など、最初から存在していなかったかのように。
(先生が触れた瞬間、結界魔法が霧散した……この世界そのもののルールが、先生の周囲だけ適用されていないか? もしくは『別の何か』に置き換わっているかのような……)
ゼノンは、かつて兄クロムが言っていた「あの男は、チート依存拒否すら効かない」という言葉を思い出す。すなわち……チートスキルですらないのだろうか?
もし、先生の力が「強い魔法」ですらないとしたら、そもそも、先生が我々と同じ「この世界の住人としての理」の中にいないのだとしたら……。
「大家さーん。早くしないと、限定メニューなくなっちゃうよー?」
先を歩くノアが、明るい声で手招きしている。
ゼノンはハッと我に返り、冷や汗を拭った。
「お、おう、今行くぞ! ……全く、門の修理費がまた嵩むではないか!」
いつものように「大家」としての愚痴を叫びながら、ゼノンは駆け出した。
だが、その脳裏に焼き付いた違和感は、消えることなく静かに澱のように沈んでいった。
魔王城の平穏な日常の裏で、ゼノンの疑問という名の好奇心が、初めて禁忌の問いに触れようとしていた。




