第四十九話:魔王城襲撃!グラマラス美女が放つ、逃げ場なき愛の覇気
ダンジョンを飛び出したルージュ(嫁ドラゴン)は、その足で各地を巡っていた。
ある時は街道で商人を捕まえ、ある時は村の広場で「黒い鱗を持った、私の旦那を見なかった?」と聞いて回った。
もっとも、赤龍の溢れんばかりの美貌と、隠しきれない龍の威圧感に、誰もが「見てません!」と震えながら首を振るばかりだったが。
(……おかしいわ。あの人のことだから、私から逃げるなら、人のいない荒野か、あるいは……)
ふと、彼女は鼻先をかすめる微かな風を追った。
それは龍の気配。それも、かつて自分と「新居」で睦み合っていた、懐かしくも愛しい漆黒の魔力。
(……私の束縛から逃れるために、あえて魔族の総本山へ飛び込んだのね。ふふ、逃げ場所の選び方まで勇敢だわ、私のノア(ノワール)!)
赤龍は、自分自身の重すぎる愛に、ほんの少しの反省(私が追い詰めすぎたのね)をしたものの、一方でそれ以上の期待を込めて、魔王城へと進路を取った。
魔王城の正門──。
そこを守る精鋭の門兵たちが、正面から歩いてくる、布切れ一枚だけ巻いたグラマラスな赤髪美女に槍を向けた。
「止まれ! ここを何処と心得る。魔王さ……」
言いかけた言葉は、物理的な衝撃となって彼らの喉を焼いた。ルージュが放ったのは、攻撃魔法ではない。ただの「視線」と、漏れ出た「覇気」だ。
ビリビリと空気が震え、門兵たちの本能が「これに逆らえば、死すら生ぬるい」と警鐘を鳴らす。彼らは一言も発せぬまま、磁石に吸い寄せられるように門を開け、道を開けた。
ルージュは無言のまま、迷いのない足取りで玉座の間を目指した。
◇
その頃、魔王城の奥。
チート勇者の膝の上でお菓子を頬張っていた幼女が、突然ビクリと肩を震わせた。
「どうしたノア。またおかわりか?」
チート勇者が呑気に尋ねたが、黒龍の顔はみるみるうちに青ざめていく。
「お、おじさん……。隠して。ボクをどこかに隠して!」
「隠すって、どこにだよ」
「どこでもいい! 樽の中とか、ベッドの下とか! あ、足音が聞こえる……。ボクを捕まえに来る死神の足音が……」
ノワールはチート勇者の背後に回り込み、その服の裾を千切れんばかりの力で握りしめた。
これまでの「懐いている」という甘い空気どころではない。それは天敵に遭遇した小動物のような、切実な拒絶の意思表示だった。
ゼノンもまた、廊下から近づいてくる規格外の魔力反応に冷汗を流す。
「先生……。どうやらお客様のようです。それも極めて『熱心な』」
直後、玉座の間の扉が爆発するかのような音を立てて開け放たれた。
(ノワール……ノワール……ノワール!)
玉座の間に現れた赤髪の美女ルージュは、迷いのない足取りで部屋の中央へと進み出た。その視線は鋭く、獲物を追い詰める捕食者のそれだ。
「やっと見つけた。あなた…………、って! ええェェー!?」
ルージュが勝利を確信して視線を向けた先。そこにいたのは、チート勇者の膝の上でお菓子を頬張る見知らぬ幼女だった。しかし、その魂が放つ魔力の波形に覚えがある。
ルージュは眉をひそめ、まずは目の前の男──チート勇者を値踏みするように眺めた。
「あんたが今の魔王ね……いえ、違うわね。この底の浅そうな面構え……まあいいわ」
そう言いつつも、一瞬でチート勇者に得体のしれないものを感じたルージュ。しかし今はそれどころではない。腰を落としてチート勇者の背後を覗き込んだ。
「ところで……誰、この子?」
「ん? ああ、なんか俺に懐いててな」
チート勇者が呑気に答える。
「懐いててな……って、あなた。誘拐でもしたの?」
「失礼なこと言うなよ。この子が勝手についてきたんだ」
ルージュは納得がいかない様子で、きょろきょろと辺りを見回すが、他に人影はない。
「で、私の旦那は? ここに来てないかしら」
「旦那? 知らねーよ。つーか、その前にお前が誰だよ」
二人の会話が噛み合わない中、チート勇者の背後に隠れた幼女は、震える手でチート勇者の服の裾をぎゅっと掴み、気配を殺そうと必死になっていた。
ルージュはその「隠れ方」に、強烈な既視感を覚える。
「……ねえ、あなた。その子、なんでそんなに怯えてるの?」
「さあな。人見知りなんじゃねーの」
ルージュはじっと幼女を見つめた。幼女はルージュの視線から逃れるように、さらにチート勇者の背中へと潜り込む。その所作、そのタイミング、そしてその絶望に満ちた逃避行動。
「その、隠れ方……まさか」
ルージュがゆっくりと歩み寄る。
「ねえ、お嬢ちゃん。ちょっとこっち向いて?」
「……やだ」
拒絶の声。しかしルージュは見逃さなかった。
幼女の黒髪の隙間から覗く、まだ柔らかそうな、しかし間違いなく龍の証である小さな「角」そして首筋に浮かび上がる、夜の闇を溶かしたような漆黒の鱗。
「!」
ルージュの表情が驚愕から確信へと塗り替えられた。
「……角がある。それに、この鱗の色……間違いないわ。『黒き漆黒の鱗』あなた、私のノアね!?」
「……!」
ビクッと、幼女の肩が跳ねた。
「はぁ? 何言ってんだ、この女。こいつは女の子だぞ?」
チート勇者が呆れる中、ルージュは幼女の前で膝をつき視線を合わせた。
「なんで……なんでこんな姿に?」
「……ボク、知らないよ。気づいたらこうなってた」
ノワールが消え入るような声で白白した。
「誰が? 誰があなたをこんな姿に?」
「……わかんない。ダンジョンにいた時に、急に体が小さくなって、それで……」
話についていけないチート勇者が、割り込むように尋ねる。
「ちょっと待て。お前ら、マジで夫婦なのか?」
「……ええ、そうよ」
ルージュは愛おしそうに、しかしどこか不穏な温度を孕んだ目でノワールを見つめる。
「いや、だから。この子は、女の子じゃねーか」
「……それも、わかんない。姿が変わった時に、性別も変わってた」
ノワールの告白に、チート勇者は内心で頭を抱えた。
(ば、馬鹿! そこは女の子で通せよ! まぁ擬人化して子供の思考になってるから、嘘がつけねーのか)
ルージュは、ノワールの小さな手を優しく、壊れ物を扱うように握った。
「……ごめんなさい、ノア。私、あなたを束縛しすぎた。それで、あなたは逃げ出したのよね」
「……うん」
「これからは、もっとあなたを信じる。だから……」
「帰ってきてほしい、って言うんでしょ?」
ルージュが聖母のような微笑みを浮かべ、頷いた。
「ええ。……一緒に、帰りましょう」
春の陽だまりのような、穏やかな笑顔。
だが、次の瞬間。
「その代わり、今度こそ、絶対に逃がさないから」
笑顔のまま、ルージュの手の力がミシリと強まる。その瞳の奥には、以前よりも深く、昏い独占欲が渦巻いていた。
「や、やっぱり怖いよぉ! おじさん助けて!」
ノワールは再びチート勇者にしがみついた。
「……おい、お前ら。俺の城で夫婦喧嘩すんな」
チート勇者が辟易として口を挟む。
「あら、ごめんなさい。でも、うちの旦那をこんな軟派な男のところに置いておくわけにはいかないわ」
「軟派って、お前……」
「というわけで、私たちはこれで失礼するわ。ほら、行くわよ、ノア」
ルージュがノワールの手を引っ張ろうとするが、ノワールはチート勇者の腰に必死にしがみついて離れない。
「やだ! ボク、ここにいる! おじさんとお酒飲むんだ!」
「おいおい、俺を巻き込むなよ!」
ルージュの額に青筋が浮かぶ。
「ノア。あなた何してるの? 早く来なさい」
「だ、だって……家に帰ったら、また一歩も外に出してくれないもん……!」
「……」
ピキッ、と何かが弾ける音がした。
が、ルージュは深呼吸をすると、何かを決心したかのような顔になり、笑みを浮かべた。
「……分かったわ。じゃあ、こうしましょう」
チート勇者が怪訝な顔でルージュを見る。
「私も、ここに住むわ」
「はぁぁぁぁ!?」
秒で反応するチート勇者。その叫びが玉座の間に木霊した。
「だって、うちの旦那が、ここにいたいって言うんだもの。仕方ないわ。妻として、私も一緒にいるしかないじゃない」
「え……ええ?」
ノワールが顔を引き攣らせる。
「ちょっと待て! 俺の許可は!?」
チート勇者が抗議するも、ルージュは得意げに鼻を鳴らした。
「もちろん、家賃は払うわよ。知らないの? ドラゴンの財宝がどれほどのものか。……一生かかっても使いきれないほど持っているわ」
「……」
チート勇者が言葉を詰まらせた瞬間、横からゼノンが小声で耳打ちした。
「先生……魔王城の金庫は現在、深刻な財政難です。ドラゴンの財宝があれば、雨漏りの修理も、兵たちの給料も……」
「……チッ。好きにしろ」
「ありがとう。じゃあ、よろしくね、大家さん」
ルージュが満面の笑みで手を差し出す。
(大家さん?)
「お……おぅ」
チート勇者が握手を交わした直後、即座にゼノンが反論した。
「大家は、私です!」
そのやり取りを、魔族の精鋭である部下たちが、憐れみの目で見つめていた。
(いやいや……大家じゃないでしょう)
──こうして、魔王城に最強で最悪に騒がしい居候生活が始まった。




