第四十二話:【忘却の岩窟】赤と黒の激突!女神が視た「予知夢」謎の穴
天界から地上を見下ろすと、雲よりもさらに低い空で、巨大な質量が激しくぶつかり合っていた。
(……あれは)
世界を揺さぶるほどの衝撃。赤と黒。二つの巨大な色の奔流が、激しく交差している。
これは、かつて世界が崩壊の危機に瀕した時の光景だろうか? それとも、これから訪れる破滅の予兆なのだろうか。
私は必死にその正体を思い出そうとした。
なぜだろう。ただの夢にしては、心が騒ぎすぎる。見覚えがあるような、忘れてはいけないもののような──そんな感覚を覚える。
(……思い出せない)
おぼろげな感覚が、はっきりと形になる前に──私の意識が、ふっと現実に引き戻された。
「……あれぇ。なんだっけ?」
夢から覚めた瞬間、夢の内容も急速に薄れていった。
◇
早朝。ユーマたちの住む屋敷は、夜の名残を引きずったまま、まだ静まり返っていた。
その静けさを、乱暴に叩き壊す音がする。
「ちょっと! いつまで寝てるんですか!」
玄関の扉を叩きながら、聞き慣れた女性の声。
「……ミラさん? 何だよォ……こんな早くに」
ユーマは布団の中で不満げに呟き、のろのろと起き上がった。寝ぼけ眼のままリビングへ降り、ふと視線を向けたところで違和感に気づく。
キッチンの壁に、昨夜まではなかったはずの不自然な亀裂が走っていた。
「は? 何だこれ!」
「まだ気づいてなかったんですか!?」
勢いよく飛び込んできたミラが、呆れたように声を上げる。
「街はもっと酷いことになってますよ! 石畳は一部めくれ上がり、建物にはヒビが入り。ギルドなんて朝から苦情で大混乱なんですから」
「……街まで?」
シルフィが不安げに、壁の亀裂を指でなぞった。
「一方向からの衝撃、というわけではなさそうですね……。まるで点在している、とでも言うのでしょうか」
「その通りよ」
ミラが深く頷き、言葉を引き継ぐ。
「壊れている場所に統一性がなくて、被害の規模もまちまち。とにかく、めちゃくちゃなの」
ミラが街の被害状況を説明する中、指先をモジモジさせている女神の姿に、ふと気づいたクロム。
「……女神。先ほどから落ち着きがないな。何か心当たりでもあるのか」
クロムの問いかけに、女神はビクッと肩を跳ねさせ、バツの悪そうな顔で視線を泳がせた。
「あ、あの……それで。今、ふと思い出したんですけど」
女神が躊躇いながらも、独り言のようなトーンで話し出した。
「今朝見た夢の話なんですが。はっきりと細部まで覚えているわけじゃないんですが……地上より遥か高空で、何かが激しくぶつかり合っていて。それを天界から見下ろしていたんです」
女神はそこで一度言葉を止め、記憶の断片を手繰り寄せるように視線を伏せた。
「なんだ。出し惜しみせず、はっきりと言え。女神が見たのなら予知夢かもしれん」
クロムが促すと、女神は困惑気味に続けた。
「……色だけが、やけに鮮明なんです。赤と、黒。その二つの影が衝突するたびに、周囲の世界がボロボロと削り取られていくような光景で……」
「二つの影、だと?」
クロムが尋ねる。
「いえ……まぁ」
とは言っても、ただの夢なんですが──女神がそう念を押そうとするも、クロムが被せるようにこう言った。
「なるほど。二つの影が、戦っている……、と言うんだな?」
思いのほかクロムがすんなり受け入れたため、慌てて女神が訂正を入れる。
「いえ! 戦ってるかどうかは分かりません。ただ、今思っても不可解なんですけど、その激突している二つの影の下の方に、ぽっかりと暗い空間が広がっていた気がします。大きな穴というか、まるで洞窟のような……」
「洞窟?」
その一言に、真っ先に反応したのはミラだった。
「洞窟と言っても、この近辺はあらかたダンジョン化が進んでいます。手付かずの自然洞窟なんて、今時、探す方が難しいと思いますが」
そこへ、待ってましたとばかりにユーマが割って入った。
「洞窟か? それともダンジョンか? その二択なら──」
と言って言葉を切り、わざわざもったいぶって一呼吸置いてから捲し立てる。
「そりゃあ冒険者らしく、ダンジョンから当たるのが定石だろ! それこそが勇者の歩むべき道ってやつだろ!?」
全く持って無責任、且つ、雑なノリである。
「おお! ユーマ、まさにそれだ! 聞いているだけで血沸き肉躍るではないか!」
バッシュが身を乗り出し、激しく同意の意を示す。もはや自分も冒険者パーティの一員であるかのような厚かましさだ。
そこへすかさず、カガミの無機質なツッコミが、ボソリと差し込まれる。
「バッシュ……冒険者、違う。ただの魔族」
「そもそも、ユーマが勇者らしい活躍をしてるところなんて、私は一度も見たことないんだけど?」
ティアラも呆れ果てた様子で、口を挟んだ。
「ま、女の子のお尻を追いかけてるところなら、それこそ山ほど見てるけどね」
そんな外野の野次に構わず、女神が記憶の断片を補足するように添える。
「……詳細は曖昧なのですが。ただ、その場所は都心部ではなく、もっと街の外れにあったように思います」
「街の外れ、ですか……」
シルフィが頬に手を当て、考え込むように目を細めた。
「もし原因がその洞窟にあるのだとすれば、これほどの事態です。相応の魔力の漏出が観測されるはずですわ。夢で見たというその激しい衝突──その莫大なエネルギーを蓄え、溢れ出させる器となる場所……」
「それなら、心当たりがあります」
ミラがテーブルに古い地図を広げ、街の北西、切り立った崖の麓を指差した。
「この辺一帯で一番古く、そして最大の規模を誇る洞窟。形成された年代すら不明で、内部は完全に迷宮化しています」
「一番古くて、一番デカい、おまけに誰も近寄らない曰く付きの洞窟か」
ユーマが不敵に口角を上げた。
「いえ! 夢の話なので、予知夢かどうかも分かりませんし、あくまでも夢を見た、というだけの話なのですが……」
「不穏な夢を見た。その夢を見たのが女神──理由としては、十分すぎるだろ」
雑な解釈のように思えるが、実際はるか昔から、女神の見る夢は予知夢だと拡大解釈されてきたのも事実だ。
それに触発されたのか、脳筋バッシュが勢いよく椅子から立ち上がり、傍らに立てかけていた剣の柄を力強く握りしめた。
「よし、決まりだ! ぐずぐずしてはおれん! 他の冒険者共に先を越されてしまうぞ! なあユーマ!? その『忘却の岩窟』とやらへ、一番乗りといこうではないか!」
「あんた、いつから冒険者になったのよ……」
ティアラが心底呆れたように吐き捨てる。
「バッシュ……勝手に、ダンジョンに……名前をつけないで。……非常に、紛らわしい」
カガミもまた、感情の起伏のない声でバッシュの妄想を切り捨てる。
「まあ、バッシュの浮かれ具合はともかくとしてだ。原因が何であれ、水道と壁を直さないことには、生活がままならんからな」
最後は屋敷の主であるクロムが重々しく決断を下し、謎の洞窟──もとい、バッシュ命名の「忘却の岩窟」行きが確定した。
こうして一行は、アホみたいな考察を経て、調査という名の洞窟探検へと向かうこととなった。
◇
時を同じくして──。
魔王城「ゼノン城」の上空でも、異変は起きていた。
どんよりとした魔界の空を、ひと際目立つ「赤い影」が旋回している。
それは、燃えるような鱗を持つ巨大なドラゴンであった。
「おい、なんだあれ……ドラゴンか?」
見張りの魔族たちが、空を仰ぎ見て不安げにざわつく。
ドラゴンは城を攻撃するわけでもなく、ただ何かを探すように、そして威嚇するように、上空を何度も何度も旋回し続けていた。
魔物でありながら、魔族勢力と交わることのない、龍族。その存在感に、城内には張り詰めた緊張感が漂っていた。そこへ、さらなる報告が飛び込む。
「大変です、ゼノン様! 地下の食糧庫の壁に、原因不明の巨大な亀裂が発見されました!」
報告を受けた魔王ゼノンは、顔を引き攣らせて現場へ急行した。
現場に到着したゼノンの目が点になる。そこにあったのは「亀裂」などという生易しいものではなかった。
「な、なんだこれは!? 亀裂どころか、ぱっくりと穴が空いているではないか!」
分厚い石壁が押し広げられたかのように無惨に割れ、大人が一人、余裕で通れるほどの暗い空洞が口を開けていた。
「地震か? それとも刺客の仕業か!」
そこへ、欠伸をしながらチート勇者がふらふらとやってきた。彼は壁の穴を見ると、面白そうに目を細めた。
「おっ、なんだよ。隠し通路か? 楽しそうなことしてんじゃん!」
「楽しそうではありません! 城の防衛に関わる大問題ですぞ!」
ゼノンの焦りは、魔王として当然の反応だ。しかしチート勇者はそんなものお構いなし。
「いいから、いいから。暇つぶしに覗いてみようぜ。上空を飛んでるあの赤いドラゴンと、何か関係あるかもしれないじゃん?」
その言葉に、使命感や責任感などは一切なく、ただの野次馬根性でしかない。
「待ってください! 一人で行かないでください!」
穴の奥へと無造作に足を踏み入れるチート勇者。ゼノンも慌ててその後に続く。
内部はひどく狭く、数十センチ先すら見えない闇の中、この穴がどこまで続いているのか。
壁に手を突きながら、慎重に進む──。
「……待て!」
ゼノンが声を潜める。
穴のさらに奥数メートル先で、何かが擦れるような鈍い音が微かに響いたのだ。
「何かいるのか?」
チート勇者以外は皆、緊迫した顔をしている。
音がした方へさらに数歩、這いずるようにして進んでいくと、不意に目の前の壁がバラバラと音を立てて崩れ落ちた。
「わっ!?」
ゼノンが腕で顔を覆い、土煙が収まるのを待って目を開ける。
そこには、先ほどまでの「自然に割れた窮屈な穴」とは明らかに異なる光景が広がっていた。
「なんだ……ここは」
崩れた壁の向こう側。そこは一定の幅を保ち、天井も高く、人工的に削られたような石造りの通路が続いていた。
「通路? 城の地下に、こんな場所は存在しないはずだ」
通路は明らかに「行き先」を持った構造をしていた。偶然生まれた亀裂の先が、知られざる巨大な空間──。
「……ダンジョン、か」
ゼノンの呟きが、静かな通路に不気味に反響した。
こうして魔族側一行は、ダンジョンへと足を踏み入れるのであった。




