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第三十五話:夜の廊下は観客席。影に潜む「最強の野次馬たち」

夕食後の屋敷は、嵐が去った後のように静かだった。

各自、思い思いに自室へ戻り、廊下には燭台の灯りが落とす細長い影だけが揺れている。


その影の先に、ティアラが立っていた。

背中を向けたまま、腕組みをして動かない。


多分……俺待ちだ。


(……やれやれ。ここで逃げたら明日の朝飯が毒入りになるな)


などと、内心、いつもの調子を維持しつつ近づいたが、数歩離れた位置で足が止まってしまった。


クロムおっさんが言っていた「種族の基準(実年齢百歳超え)」という説が、もし正しければ、目の前にいるのは「怒れる美少女」ではなく「へそを曲げたご長老」だ。慎重にいかなければならない。


一度、喉を慣らしてから声をかけた。


「……ティアラ」


名前を呼ぶと、ティアラの肩がわずかに揺れた。だが、返事はない。


「えっと……怒ってるのは、分かってる」


自分でも間の抜けた切り出しだと思った。案の定、すぐに冷たい声が返ってくる。


「……分かってるなら、話しかけないでよ」


振り向かないまま、ティアラは吐き捨てるように続けた。


「どうせまた、変な理屈で茶化すんでしょ。私が怒ってることなんて、あんたにとっては、そんなに大してことでもなんでもないんでしょ……」


(めっちゃ拗ねてるやん……)


俺は反射的に出かかった言い訳を、ぐっと飲み込んだ。


「今回は、しない。黙って聞くから」


俺がそう言うと、ティアラの組んだ腕にぐっと力が入るのが見えた。少しの沈黙の後、ティアラはぶっきらぼうを装った声で切り出した。


「あ……あたしが怒ってるのはね。チラシのせいじゃないからね」


「うん」


「大事な時に、あんたが『私』を見てなかったこと。いつもそう。私が何言っても、軽く流して……それが、一番ムカつくのよ」


少しだけ揺れの混じった声。もしティアラが本当に「百歳の長老」なら、これは若造の無作法に対する積み重なった不満なんだろう。だけど、もしミラさんの言う通り「一人の女の子としての怒り」だとしたら……。


「悪かった。何が悪かったか、正直……全部は分かってないけど」


ティアラの背中が、ほんの少し強張る。俺は取り繕うのをやめ、慎重に言葉を選んだ。


「でも、お前がそこまで本気で怒るくらいだから。俺の態度が雑だったのは確かだよ。……悪かったな」


俺が柄にもなく素直にそう言ったのに。


「……ほんとバカ。死ねばいいのに」


キツイことを言う。なのに、ほんの少しだけティアラの口角が上がっている。


「うん。分かってる」


俺がそう返事したら、ティアラは小さくため息をき、ポケットに手を入れた。


「これ……」


女神がニヤニヤしながら言っていた“あのお菓子”の包みだと思う……。


「街で見かけてさぁ。あんたが好きそうだったから。……湿気る前に食べなさいよ」


無造作に差し出されたそれを、俺は一瞬躊躇してから受け取った。


「……あ、ありがと。これ、美味うまそうだな」


俺が受け取ったのを確認すると、ティアラは少しだけ肩の力を抜いたようだった。


「じゃあ……今日はこれで。もう、寝るね?」


そう言って立ち去ろうとするティアラの背中に、俺はつい余計な一言を付け加えた。


「次は……ああ、その、敬意を持って接するように頑張るよ」


すると、ティアラが足を止める。顔だけをこちらに向け、ジロリと俺を睨んだ。


「“頑張る”じゃなくて、“やりなさい”。……あと、『敬意』って何よ。あんた、私を何だと思ってるわけ?」


「人生の……大先輩?」


「死になさい!!」


ティアラが「フン!」と鼻を鳴らして、自室へ駆け込んでいく。


「……あっ」


しかし、扉を閉める前に一瞬俺の方を向いて、思いっきり「ベェェーーっ!」と舌を出してから「バン!」と強く扉を閉めた。その音が余韻のように廊下に響いていた。


(ふぅ……ま、お菓子をくれたんだから、仲直り成功ってことでいいよな?)


俺が菓子を片手に溜息を漏らした、その時だ。


ギィ……、と。

角の影にある物置の扉が、不自然に数センチ開いた。


(……?)


さらに、反対側の廊下の植木鉢の陰から、シルフィさんのメイド服の裾がチラリと見えた気がした。


「……おい! お前ら、そこにいるのは分かってんだぞ」


俺が声をかけると、物置からはクロムのおっさんとバッシュが。植木鉢の影からはミラさんとシルフィさん。そして空中には浮いたままの女神が。


ぞろぞろと、気まずそうな顔で現れた。


「……小僧。仲直りの作法としては、及第点だ」


「ガハハ! ユーマ。お返しするんなら、肉を贈れ!」


「お静かに……ご主人様、実に初々しい『飼い主への歩み寄り』でしたわ」


「……お前らなぁ! 現実的に考えて、人のプライバシーって言葉を知らねえのか!」


俺の怒鳴り声が夜の屋敷に響き渡る。


……ま、仲直りのお菓子は、後で一人でこっそり食うことにしよう。



因みにだが────。


クロムのおっさんの、教育係の件なんだが。

俺とティアラが仲直りする数刻前──つまり夕食直後に。なぜかクロムのおっさんが、ティアラとミラに、何やら責められているのを偶然目撃した。


特にティアラからは……。


「何なの? その単純思考は!?」やら「それじゃあ『──ーマ!』って叫んだだけで、そう決めつけたわけ?」やら。しまいには「ちょっと、おかしいんじゃないの? ほんっと! 大丈夫?」と散々責められていた。


可笑しかったのは、ティアラが言葉を発する度に、クロムのおっさんは、どんどん小さくなって頬を赤らめていたことだ。


なんの話かは、盗み聞きだったので詳しくは聞き取れなかったが「ちょっとどうかしてるんじゃない? 世の中に似た名前なんて、いくらでもあるでしょ」なんてことを言っていたので、俺が推測するに「──ーマ!」と、名前がどうとか言ってる事から──、きっと俺の名前を馬鹿にしてたのか? ネタにでもしてたんだと思う。


ま、ティアラなりの、可愛い仕返しか何かだったんだろう。


モテる男はつらいぜ……。(なぁ、バッシュよ!)

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