第三十一話:空耳の三重奏。ユグマ、イルマ、ユルマー
「あの……現実的に考えて……見たいものは……見たい。それ一択です」
リビングで、カガミが水晶を抱えたまま、うわ言のようにブツブツと呟いている。こいつは一度こうなると、もう誰の言葉も届かない。
「カガミ。だからもっと論理的根拠を……」
ミラさんの問いかけも、全然聞こえていないようだ。
「……現実的に……それ一択」
「はぁ……もぉ。分かったよ、カガミ。ほら、どけ。とりあえず前ん時と同じようにやっときゃいいんだろ?」
俺はカガミから水晶を取り上げると、リビングに広げられた魔法陣の写しの上に置いた。
理屈なんて知らない。ただ、前はこうして一番外側の層を「逆方向」に書き換えたら動いたような気が……。
「おい小僧、また勝手に! それは父が遺した深遠な……」
「おっさん、うるせーよ。今はこれしか手がねーだろ。現実的に考えてさ」
俺がそう言った瞬間。水晶がパッと輝き、魔法陣の図形が生き物のように蠢き始めた。
力を込めた覚えはないのに、ただ「そうなるはずだ」と思ったら、まるでその通りに、現象の方が追いついてくる感じだ……。
「……ユーマさん、今の……?」
シルフィさんが驚いた声を上げた、その時だった! 俺がペンをしまおうとした拍子に、ポケットから「それ」がひらりと舞っての床に落ちた。
『南街の楽園・バニーキャッスル ─ 豊穣の女神(特大サイズ)が貴方をお出迎え!』
よりによって一番どピンクで、胸が強調されたやつだ。
「…………」
この場にいる全員の視線が、一斉に『それ』に釘付けになった。
「え……あっ、いやぁ」
リビング全体が、凍り付いたような空気になる。
「……ユーマ、またあんた、それ」
ティアラの咎めるような低い声。
「あ、いや……これは。ほら、調査の資料というか、そのぉ……」
俺が何か言おうとしても、あとの祭りだった。
「……もういいよ」
「え? ちょ、ティアラ?」
「あんたには、もう、何も期待しない」
売り言葉に、買い言葉。
「は? んだよ、それ! 期待しないとか、なんで上から目線なんだよ!」
次の瞬間、ティアラが俺の襟首を掴んだ。
「ちょっと、こっち来なよ……」
襟首を掴まれたまま、俺は隣の部屋へ引きずられていく。
「おい小僧! 映像が! 今、一番いいところだ!」
「ちょ、ティアラ! 離せって! 映像が……」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! アホスケベユーマ!!」
そして──。
扉が、壊れそうな勢いで閉まった。
◇
一方、ユーマとティアラが抜けたリビングでは──。
既に映像が流れていた。
「……映りました! 皆さん、見てください!」
ミラの鋭い声に、皆が水晶に釘付けになる。そこには、王宮の召喚の間が映っていた。
しかし……何かが、おかしい。
床に魔法陣は描かれておらず、召喚の予兆である光も、術式の発動音も一切ない。
「えっ? どうして……」
息を飲むミラ。
「召喚魔法陣が……ない!?」
シルフィが驚愕の声を上げた──その直後。何もない虚空から、一人の男がボトッと無様に落ちてきた。着古したシャツに、少し出た腹。どこにでもいる冴えない中年男だ。
「これって……どういうこと!?」
ミラが絶句する。
「なっ!? 召喚ではなかっただと! 今、空間が……」
クロムが目を見開く。他の皆も、魔法の理を無視して「降って湧いた」不審者の姿に、一様に驚きを隠せない。
そのあと映像は、不審な中年男から少し離れた廊下を映しはじめた──。異変を察知した三人の衛兵が、甲冑を鳴らして駆け寄ってくるところだった。
『おい、イルマ! そっちで何か音がしなかったか?』
そう言って、先頭を走る衛兵の名札には「ユグマ」と刻み込まれている。
『いや、勘違いじゃない。何かが落ちる音がした! 見てくる』
そう返した衛兵「イルマ」が、一人で先行し、不審な音がした召喚の間の方へと走り去った。
残されたのは「ユグマ」と、若手の衛兵「ユルマー」の二人のみ。
『……っ!』
その時、召喚の間の方角から、野太い絶叫が響き渡った。
『──ーマぁぁぁ! どこだー!?』
年配の男らしい野太い声だ。ユグマは足を止め、隣の若手ユルマーに問いかける。
『ユルマー、お前の名前を呼んでないか?』
すると、今度はさらに苦しげな、絞り出すような声が重なった。
『ユー……ッ……マ……!』
それは、先ほど一人で先行した「イルマ」が、助けを求めている悲鳴のようにも聞こえる。
『いえ、ユグマと言ってるようです』
ユルマーが困惑して答える。だが、再び苛立ちの混じった怒鳴り声が廊下に反響した。
『──ーマ! おい、返事しろ! どこに行ったんだ!』
ユグマの顔が強張る。
『いや待て……あの声は、本当にイルマの声なのか』
──映像は再び、召喚の間を映し出した。
そこには、必死に周囲を見渡し、右往左往する中年男の姿があった。
『どこにいるんだ? ったく!』
男がそう吐き捨てる。
──映像は、そこで途切れた。
「──ーマ! ……だと? なぜあの男は、ユーマの名前を……」
バッシュが言葉を詰まらせる傍ら、ずっと茫然自失といった表情のクロムが、我に返り口を開いた。
「あ……あ奴だ! 間違いない!」
クロムが唸るように言った。
突然降って湧いた、冴えない中年男の姿に、どうやら見覚えがあるようだ。
「あ奴、とは?」
「あの男……かつて私と女神が、苦汁をなめさせられた……」
皆の視線がクロムに集中する。
「クロム様! やはりあの映像の男こそが……チート勇者だったのですね!?」
ミラの問いかける。
クロムは二十年前の記憶を手繰った。
恐らく今、魔王城に居座っている男こそが、この映像の男で──つまりチート勇者だろう。そう結論付ける。想像していた通りだった。
が、しかし。クロムの心の中は、そう単純なものではなかった。
「そうだ。いくぶん年は取っていたが……あのマヌケ面は忘れもしないわ!!」
「しかし、クロム様。あの男は私の聞き間違いでなければ、確かに『ユーマ』と呼んでいたように聞こえましたが」
シルフィが困惑した顔でそう問うと、その言葉に同調するように、バッシュも無言で頷いた。
少しの沈黙を挟んで、ミラが口を開いた。
「あの男の必死な声。あれは、知り合いというよりは──もっと親しい間柄の……」
言葉を探すミラを、クロムが引き継ぐ
「ああ、確かに私も聞いた。そして『──ーマ! おい、返事しろ! どこに行ったんだ!』と叫ぶ顔は、あれは、まるで子を探す親のようであった。それに……」
「それに?」
「うむ。考えてみれば……おかしなものだ。今まで気づかなかったことの方が不思議なくらい、”あの二人”には共通するところがある。つまり……」
今度はミラが引き継いだ。
「……つまり。この世界の理すら曲げてしまう、特殊な力を持っているということ……ですね?」
そしてシルフィも同調するように深く頷いた。
「ええ、ミラさんの言う通りですわ。そして、二人に共通するのは、その特殊な力が、先天的だということです」
盛り上がりを見せる謎解きは、数珠が繋がるように、スルスルと面白いように一本の線で繋がってしまった──。
結果。ミラが出した結論は、こうだった。
「あの『現実主義』の能力は、あの冴えない中年男の血を引いていると考えれば、納得だわ……」
バラバラだったピースが「血筋」というキーワードで、一つに絵を描いた瞬間だっ──……た?
(((((あのアホさの根源は遺伝だったのか)))))
すると、そこへ。
疲れ果てた顔のユーマが戻ってきた。
「……ったく。あいつ、なにマジになっちゃってんの!? ……なあ、みんな。あれ? どうしたの?」
ユーマは何も知らない。チート勇者が映像の中で「──ーマ!」と叫んでいたことや、その必死な姿から、親子の可能性が浮上していることなど、露ほども知らず、ただ「喧嘩の声が響いて気まずいな」くらいしか頭になかった。
ユーマは、ふぅ……と溜息をついた。その所作が偶然にも、映像の男と全く同じ角度で首を傾げたので、それを見た一同が、顔を見合わせた。
そして今一度、ユーマに視線が注がれる。
「何……ミラさん? その『お気の毒なものを見る目』は」
「いえ……。ユーマさんがなぜ、これほどまでに話が通じないのか、その根源を理解しただけです。……ええ、本当にお気の毒に」
「お、おい小僧……」
クロムが、まじまじとユーマの締まりのない口元を凝視し、深い溜息とともに天を仰いだ。
「うむ……似ている。あの、人を食ったようなマヌケな面構え……。遺伝とは、なんと残酷なのだ。もはやこれは呪いだな」
「なんだよ呪いって! 失礼な魔王だな!」
遺伝って何だよ!? そう訊き返す前に、ユーマの前に二本の腕が伸びてくる。
「ご主人様、いいんですよ……」
シルフィが急に慈愛に満ちた微笑みで、ユーマを優しく抱きしめた。久々の「メイドモード」全開だ。
「大変な環境だったのでしょうね……。もう、お菓子を好きなだけ食べていいですからね。お風呂を覗くのも……この際許しましょう(三十一回に一回くらいは)」
「は? 何っ、怖っ! ……うわっっぷ!!」
シルフィの、柔らかな、ふかふかの爆乳に顔を埋めるユーマ。頭がぼんやりしてくる──(げっ!)その刹那、自分に憐みの目を向けるバッシュの顔が見えた。
「おい! バッシュまで、そんな顔すんなよ! ってか、お前だけには『そういう目』で見られたくないわ!!」
ユーマが目を吊り上げて激怒した、その醜い怒り顔を見て、バッシュはフガフガとクシャミをする直前のように口元を緩め、今にも吹き出しそうになっていた。
「お、お前、あまり……か、鏡は見ない方がいいぞ。じ……自分のルーツに、死にたくなるほど絶望するからな」
もう吹き出す寸前だ。
「だから何なんだよ、さっきから!! お前らーっ」
リビングが、奇妙な「アホの遺伝子に対する忖度」に包まれる中、水晶を抱えたまま、これまで一度も口を開かなかったカガミが、ようやく震える声を出した。
「……あ、あの映像の男……が、チ、チート勇者……?」
カガミが、小さな声で呟いた。
「……師匠……」
全員の視線が、カガミに注がれる。
「「「「え?」」」」
クロム、ミラ、シルフィ、そしてバッシュの声が重なった。




