第57話 ホルンの帰還
【前回までのあらすじ】
アルスたちは姫巫女に別れを告げ、ガルトデウスを出立することに。
街の入り口には伝書鳩が来ており、近況を書き込む。
再び天空の賢者・アリオトの家に寄り、これから砂漠地帯に進むことを伝えるのだった。
話は数週間前にさかのぼる。
ガルトデウスでアルスたちに敗れたホルンは、城に戻り、壁をつたいながら広間へ向かっていた。
“闇の使者”の拠点であるこの城は、年中真冬が居座り続けているかのように寒いところだった。
広間へ続く通路は奥へ進むほどに冷気が篭っており、冷たい氷の手が足元から這い上がってくるような感覚に襲われた。
ただでさえ負傷しているのに、この寒さは体力と気力を否応なしに削ぎ落としてきた。
ホルンはだんだんと意識が朦朧とし、口からはヒューヒューと、か細い呼吸の音がした。
白鷲の恐ろしい握力を持ってして握りしめられた首は、骨折寸前で、無事でいるのが不思議なくらいだった。
――なんたる不覚……。このあたしが負けるなんて……!
ようやく広間にたどり着いた。
広間の中心にある大きな円卓には、2人の姿があった。
「おや、誰かと思えば、ホルンではないですか」
フレイが冷ややかに言った。
「その痛々しい傷はどうしたのです? まさか“光の使者”にやられたのではないでしょうね?
愚かな狼・フェンリルのように……クククッ」
「……ぐっ!途中まで、完ッ璧なショーだったのよ!
だけど予想外なやつに笛を壊されたの! あたしの命よりも大事な笛をね!
あーーーー!! 思い出しただけでイライラする! 」
「おやおや。あなたにしては珍しく取り乱していますねえ。
みているこちらからすると、愉快な喜劇をみているかのようだ」
「なんですって……? あたしは今、最ッ高に腹が立ってるのよ! 」
ホルンは怒りにまかせてフレイの襟元をグッと掴んだ。
しかしフレイは動じることなく、淡々と続けた。
「それ以上怒ると血圧が上昇して、さらに怪我が悪化しますよ。
今すぐこの手を離し、大人しく席に座るのが賢明な判断かと思いますがねえ? 」
「ああ!? こんなときに医者ぶってんじゃないわよ! 」
「だって本業なんですから仕方ないでしょう……。クククッ」
「……その辺にしたらどうだ。じきに陛下がお見えになられるぞ」
もう1人が静かにたしなめた。
「……フン! 」
ホルンは勢いよく手を離し、数席離れたところに座った。
そのタイミングで、王の姿が現れた。隣に誰かを連れているようだ。
みんなと同じように仮面と黒いローブを身につけている。
「皆の者、集まっておるようだな。……おや、ホルン。戻ったのか」
「は、はい、陛下……」
ホルンはその場に跪いたが、体勢が崩れ、床に倒れこんだ。
――王の前だというのに、何たる失態を……!?
慌てて立ち上がろうとするが、依然として力は入らなかった。もはや体力の限界を迎えていた。
王はというと、そんなホルンにはお構いなしで、(むしろ敗者には興味がないのか)話を続けた。
「その痛々しい傷。一体何があった? それよりも、“未来は”……。聞けたのだろうな? 」
「はい、陛下。……それが、やつらときたらデタラメな嘘をついたのですよ」
そのとき、ホルンの周りに無数の黒い手が現れ、ホルンをギリギリと締め上げた。
「がっ……あああっ……!」
ホルンの体はだんだん宙に浮いていった。
「……ホルン。我はおまえに、未来は聞けたのか? と聞いたのだぞ」
周りの手がスッと消え、ホルンは重力に従って床に叩きつけられた。
「キャアッ! 」
足から着地した瞬間、何かが折れる音がした。
他の2人は一部始終を固唾を飲んで見守っていた。
ホルンは力の限り上体を起こし、痛みに顔を歪めつつも、平静を保とうとしながら言った。
「は、はい……。未来は、『光』であると……」
「それでまんまとやられて帰ってきたのか! 愚か者めが! 」
突如、強い風が正面からホルンに当たり、吹き抜けていった。
ホルンの髪が後ろになびく。
「……え? 」
間髪入れずホルンの顔や手足に無数の切り傷が走り、床や壁に血潮が飛んだ。
「あっ……いやあああああ!! 」
ホルンは顔を押さえ、床に這いつくばった。
さらに、硬い鉱物で作られている円卓すらも真っ二つに割れ、音を立てながら崩れ落ちた。
フレイたちも思わず立ち退き、その場に跪き、頭を下げた。
……震えが、止まらなかった。
おそるおそる視線を上げると、王の隣にいる者がホルンに右手を向けていた。
王ではなく、こいつがやったのか?
「……さてフレイ。お前に預けたフェンリルだが、その後調子はどうだ? 」
王は何事もなかったかのように話題を振った。王に呼ばれ、フレイはビクッとした。
ホルンに与えられた罰の重さを目の当たりにし、この上ない恐怖に支配されていたところだった。
「……は、はい! フェンリルは“光の使者”に対し、激しい憎悪と復讐の念に駆られております。
現在もその力を増幅させており、止まるところを知りません。
きっと次こそ、“光の使者”の1人や2人、簡単に殺してみせるでしょう」
「ふふふ、そうか。楽しみだな。……さて、ホルンだが……」
王は再びホルンに向き直った。ホルンは尚も床に伏せっていたが、もはや死を覚悟した。
“光の使者”に負けた瞬間から。この広間に戻った時から。王が姿を表した時から。
――あたしも罰を受ける運命なのだと……。
血がポタポタと床にしたたり落ち、そこに映る自分の顔は、どうあがこうと無駄であることを悟っていた。
もはや王の一言一句が拷問にしか思えなかった。
しかし、王から発せられた言葉は、意外なものだった。
「……かわいそうに、お前は命よりも大事な笛を失ったようだな。
そこでぜひ試してほしい笛がある」
「えっ……? 」
フェンリルの前例から、死刑かまたはそれに近い罰を覚悟していたホルンは、まさかの言葉に拍子抜けした。
王がローブから取り出したのは、金色に輝く丸い形状をした笛だった。
細い金属の管が何重にも円を描くように湾曲し、音の出るベルの部分が大きく開けた形をしている。
「こ、これは……!? 」
まばゆく輝くその笛は、まるで救世主のように映った。
「つい先ほど、フレイが完成させた笛だ。
今までの笛よりも倍以上の長さがあり、力が増幅されるようになっている。
金属製ゆえに多少のことでは壊れまい。大事に使いなさい。
この笛があれば、“光の使者”は手出しはできぬだろう」
「あっ……、ありがとう、ございます! 」
ホルンは頭を下げた。そのまま意識を失い、バタリと倒れた。
「さて、我は行こう。……そうだ、“トール”。ホルンを地下の治療室へ運んでやれ。
何もせずとも自力で治癒はするだろうが、ここにいるよりかはマシだろう」
「ハハッ! 」
“トール”と呼ばれたフレイの隣に座る者は、顔を下げたまま即座に返事を返した。
王と側にいる者がその場を去った。
「……ふ、ふふふ。命拾いしたようですね、ホルン」
恐怖と威圧感と緊張から解放されて、フレイが言った。
「……王の側にいた者、さっきどのような力を? ……あれは、風か? 」
トールが静かに問いかけた。ホルンを抱き起こし、肩に担ぐ。ホルンの血がじわじわとローブに染み込んでいく。
「さあ。そのうちわかるでしょう。
それとトール、あなたは真面目で従順な性格なんでしょうけど、一応気を付けた方が身のためですよ。
陛下の気まぐれに巻き込まれないとは限りませんからね」
「……忠告、誠に感謝する」
フレイは自分の研究室へ戻っていった。
トールもホルンを治療室へ運ぶためその場を離れようとし、もう一度真っ二つにされた円卓を見た。
まるで鋭利な刃物で肉を割いたかのように、断面は垂直に美しく割れていた。
さらに先ほどは気づかなかったが、その下の床にも爪痕のような裂け目ができていた。
「……なんという力だ……。ただの風かと思いきや、硬度さえも関係なく切り裂いているのか……?
一体どういう仕組みなんだ……? 」
見れば見るほどに謎は深まるばかりだ。
トールはこれ以上見るのは止め、治療室へ向かうことにした。
怪我人をいつまでも放置するのは気が引ける。
「いや、待てよ……」
1つの察知がいった。
「あの者、まさか……! 」
王は城の最上階にある部屋に戻っていた。
大きく開けられた窓からは、月明かりが差し込んでおり、薄暗い室内をほのかに照らしていた。
「なんて素晴らしいんだ! 」
王は息子を背後から強く抱きしめた。
「見たか! やつらの恐れ慄き、震える姿を!
我が求めていたのはこれだ! 長年待った甲斐があったというものだ!
これは世界でお前だけが持つ力なのだ! 」
王は正面に向き直り、息子と同じ目線に顔を合わせた。
そして息子の仮面を外すと、月の色と同じシルバーの瞳が露わになった。
その目はどこかうつろで、王の言葉さえ届いているのかどうか定かではなかった。
それでも、王は気にせずに続けた。
「お前は我の誇りだ……! これからも我の右腕として動いてもらうぞ!
我の願いを叶えるには、お前の力が必要なのだからな! 」
王は息子をベッドまで連れて行き、横に寝かせた。
「さあ、今日はもう遅いから先に休みなさい。
まだ本調子ではないのだから、これ以上無理をしないことだ。
……我は残った仕事を片付けてくるが、終わり次第すぐに戻ろう」
王は息子を残して、部屋を後にした。
――“闇の使者”が1人や2人失敗したところで、何ら問題はない。
物事は計画通りに動いている。
邪魔なものは……我の手で直接消せば済むのだから。
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