第十三話 ダイヤモンドが欲しかった
「お目覚めですか?」
塔の内部は、風通しがよくて寒々しい。
それでも眠れることができたのは、酷く疲れていたからね。
薄らと昔の夢を見たのだと思い出すと同時に、目の前の男をじっと見つめる。
黒髪に、黒い瞳。気障な立ち振る舞いも、嫌みなほど似合う――彦、という塔の案内人。
「夢を見たよ、振られたのに」
「振られたからこそ夢を見るのですよ、おかしな人だ。恋い焦がれて、夢でだけでも会えるように願う。それが恋でしょう? 私だって夢によく見ます、千湖を。どうしてああなる前に気づけなかったのか、とね」
「ほんっとうにおかしな話になったわ、ふられた者同士が、ふった相手を護る為に動いてるなんて」
アタシの揶揄する声に、彦はにやっと嫌な笑い方をする。
笑みを見るだけで、背筋に悪寒が走るような、気持ち悪い程に綺麗な笑み。
「おかしな話じゃないでしょう、貴方は千湖と龍臣様を守りたい、私は千湖を守りたい。ただ、それだけなのです。護る為には、ただ塔を登るだけ。簡単ですよね?」
「雲よりも高い塔を登るのを簡単だと言うなら、エレベーターでも設置しろよ」
アタシは起きるなり、荷物に詰めてきたパンを手に取り、囓る。
この塔は、ゲームのセーブポイントのような場所があって、そこに触れれば、地上に戻ることを選択しても再びセーブした箇所から登り直しができる。
地上に行きたくなったら、彦に頼めば良い。
食べ物はいずれ尽きる。風呂は地上に戻ればいいから、セーブポイントまで我慢、トイレは偶に登る途中にある。
ココは、本当に登る為だけの塔だ――この塔を登るだけで、願いが叶えられる。
アタシが、アタシが登らないと、龍臣が自分を犠牲にするから、アタシが登りたい。
階段をゆっくり登る、最初は走るように登っていたけど、徐々に判ってきた。この塔は、そんな力任せのごり押しで登れやしない。
この塔に必要なのは、きっと「諦めない心」とか「行動力」とかなんだと思う。
強く願うだけじゃ駄目だけど、強く願って諦めないで行動していればいつかは、と願い続けなければやってられない。
だって、――果てしない。
この塔を登るという行為は、きっと果てしないことへのチャレンジに似ている。
「アンタの嫁さん、ホントにアンタが嫌いみたいね。龍臣は、よっぽどアンタが信じられないみたいで、アンタの名前を出すだけで目に拒絶反応があったよ」
こうして塔に登りながら会話するのも、塔主が狂わない為に必要だと、彦は最初に教えてくれた。
一人きりで黙々と登るのは無理、だと。
「そうですね、だって最初の私は千湖の腹の子だけが、欲しかったのですから。千湖には冷たくしていました」
「どんなことして千湖を虐めていたのさ」
「……――千湖の唄を、封じていました。私と婚姻する上で、唄えば破談にすると。それはもう、千湖の実家は大慌てで封じました。反対したのは――……光香さんだけでした」
新たに聞くお婆さまの武勇伝に、誇らしくなると同時に彦が嫌いになる。
――本当に不思議な縁だ、お婆さまと千湖が姉妹だなんて。
千湖とこいつが、夫婦だったというのも、意外な話で。
「自慢にならないのですが、うちは相当な名家でしてね。女は皆、実家の名前を出せば、大喜びで靴を舐めるような雌犬ばかりでした。そういう環境が大嫌いで、千湖のことも白上家の当主を見て判断していたのですが、あれと光香さんだけは違うのだと気付いたのは死ぬ直前でした」
「どうして千湖さんの歌を封じていたの。もっと虐めをするにも、判りやすいのがあるだろ、命令をするとか」
暇つぶしの会話だけども、反吐が出る内容だわ。
彦も自覚しているのか、儚い笑みを浮かべて、遠慮しがちな声でしどろもどろに話す。
「皆が千湖の歌に心酔していました。千湖が唄えば、誰もが振り向き、歌声を称賛していました。千湖が唄わなくなれば、皆は千湖に歌を要求しあの子を苦しめました。――歪んだ楽しみですよ。私は才に秀でてる千湖を見ると、自分が何も持っていない空っぽの男だと気付くのが怖かったのです」
彦は私の前を、階段に背を向けながら器用に登り、美しい顔を曇らせてから笑いかける。
「貴方と同じで」
――アタシが、こいつを信じられるのは、千湖と夫婦で親族だからというだけではない。
龍臣に言いたかった彦を信じられる理由は、彦が親族の一人だったから、だけど。
でもホントの理由は、こいつとアタシは同じだからだ。
夢を見ている。
世界に向けて輝いてるダイヤモンドを、手に入れる夢を見ているんだ。
ダイヤモンドを持つ千湖、ダイヤモンドを持つ龍臣を、大事に大事に守って自分だけにダイヤモンドを見せて欲しいんだ。
ダイヤモンドを持つ二人は、嬉しげに頼まれれば誰にでもダイヤモンドを見せる。
才能というダイヤモンドを。
見せて貰った人々は皆、ダイヤモンドに喜んだり羨ましがったり妬んだり。
表向きは大体が、ダイヤモンドを持つことを「すごい」って褒めている。
褒められれば、千湖も龍臣も、「有難う」って疑わずに喜ぶのだろう。
龍臣が、喜ぶ顔を見ている裏で、自覚していく。
アタシには、龍臣の持っているダイヤモンドほど、価値のある物は自力で生み出せない、って。
「貴方も色々探していたんでしょう? 運動、勉強、お茶に、習字。それから生け花」
どれも駄目だった。
アタシは生粋のお嬢様でいながら、お嬢様不適合だった。
「でも、これだ!――なんて、思うものが見つからない。お気持ち、お察しします」
「うるせぇ、察するな」
「その口調も、やっと見つけた〝個性〟でしょう? 女の子が男っぽくなれば、それはそれは目立つ。何より、対等に龍臣といられる気持ちだけは安泰ですもんね」
「うるさい」
「女であることを恨み、恋をすれば女であることを喜び――不安定な貴方の出来上がり」
「うるさいってば! やめてよ! アタシを勝たせたいなら、精神攻撃はやめて!」
彦は肩を竦めて立ち止まったアタシに近づき、頬をさらりと撫でる。
その手つきは妖しく、アタシが龍臣に恋をしていなければ、くらりときていたかもしれないほどに、色気のある手つき。
「美衣さん、最初にお話ししましたよね、この塔を登りきって塔主になるには、強い心でいなければ世界が狂うと。貴方が塔を登りきるまでの訓練です」
「だって……酷いわ、アタシが何も持たないって自覚するのは、龍臣の前だけで充分よ」
アタシはしゃがみ込んで、その場で泣き出してしまう。
知ってるわ。
アタシ、知ってるの、塔主候補者の中でアタシが一番心が弱いってコト。
忠臣は、心の中に理想のヒーローを飼っているから、その理想通りに進めば大丈夫。理想が崩れさえしなければ、
龍臣は、一度決めたら頑固だから、大丈夫。
でもきっと、アタシだけは違う。
「美衣さん、この塔に真っ先に登り終えれば、貴方が塔主様だ。登った先では願いが叶い続けてしまう――ひとりきりの世界で、貴方は願いを制さなければならない。人であるのを拒むほどの、制御」
「でも、それでも登らなければいけない。だって、この塔は、白上家の不始末だもの」
「どうして?」
「刃鐘という化け物を、産んでしまったから」
「――その結論に至るようでは、貴方はまだ、君塚という血筋に勝てません。さぁ、ほら立って。登りましょう。泣いても始まらない、塔の頂上まで登りながら考えれば良い。貴方の人生の果てである結論を」
「アタシに人生なんて、あるもんかよ。アタシにあるのは、家の無念と不始末の責任だけよ」
「皮肉を泣きながらも笑って言える余裕があるのなら、宜しい。充分貴方は強い」
しゃがんでめそめそするのは、後回しでいい。
心が弱いって自覚するのも、いつか後日でもいい。
今はただ只管にこの塔を登れと、彦の瞳は訴えていた。
笑っちゃう、アンタ最高のパートナーだよ、ゲスい意味で。
弱気になって泣いてる女の顔を、にこにこと真正面から見つめられるのだから。目を背けることなく。
「泣いて助けを待つ可愛らしい女の子など、地上の馬鹿女に譲って貴方はただ登るのです」
アタシはそれでも知ってるよ。
泣いて助けを待つ女の子の方が、本能的な意味で頭が良いこと。
素直に泣いて喚いて助けてって言えるほうが、世渡り美味いから。
だから。
アタシは馬鹿な生き方をしていこう。
望む出来事を全て自分で叶えられるような、強い女で生きていこう。
今は、ただ、この一歩を踏みしめるだけ。
アタシは立ち上がって、服の裾で涙を拭うと、黙って登り始める。




