英雄
それから二時間ほど、アルゲンとリズは森を南へ進み続けた。
「まだ国を出ないのか」
アルゲンの背後で、リズは肩で息をしながら木に体を預けた。
「あと少しだ」
アルゲンも近くの木の根元へ腰を下ろした。
「それ、さっきも言ってた」
「間違ってはいない。この森の中を国境が通っているからな」
「国境を越えたって、どうやって分かるんだ」
「森を出れば分かる」
リズは木の根元へ座り込み、森の奥を見た。頭上を覆う枝葉は厚く、木々の間を見ても遠くまで見通すことはできない。
「森を出たら、どこへ行くの」
「ひとまず一番近い街へ向かう」
リズはアルゲンの背中を見た。
「どんなところ」
「国境を守るための街だ。かなりでかい」
リズは何も言わなかった。
「怖くなったか?」
「くそじじい」
アルゲンの肩が、わずかに揺れた。
「少し休んだら行くぞ」
リズは木の幹に背を預けたまま目を閉じた。アルゲンは腰を下ろしたまま、木々の間へ目を向けていた。
*
森を抜けた頃には、日はすでに沈んでいた。
ようやく視界の開けた場所へ出ると、アルゲンは足を止めて息を吐いた。振り返ると、リズは地面に仰向けになっていた。
遠くに、いくつもの灯りが並んでいる。月明かりの下でも、建物の形までは見えなかった。
森の脇には、石を敷き詰めた広い街道が伸びていた。
「おい、ガキ。まだ歩けるか?」
「むり」
アルゲンはため息を吐き、その場に腰を下ろした。
「続きは明日だ」
兜を外して地面に置き、街道の先に並ぶ灯りを眺めていると、やがて後ろから小さな寝息が聞こえてきた。
アルゲンはしばらく灯りを見たあと、木の幹に背を預けた。
*
翌朝、石畳を鳴らす馬車の車輪の音で、リズは目を覚ました。
目を向けると、数人の兵士に護衛された馬車が、街へ向かって街道を進んでいた。
「起きたなら行くぞ」
アルゲンは兜を拾い上げ、頭にかぶった。
リズも立ち上がり、外套についた土を両手で払った。
二人は街道へ出ると、遠くに見える街へ向かって歩き始めた。
「道が広い」
「帝国の軍を通すためだ」
「帝国?」
「ライカ帝国。軍隊のでかい国だ」
リズは石を敷き詰めた街道へ目を落とし、すれ違う兵士たちを振り返った。
「あの街にもエルフがいるのか」
「いるだろうな」
「奴隷なんだろ」
「そうだな」
「どこも同じなんだな」
街へ近づくにつれ、街道を行き交う馬車と兵士の数は増えていった。荷台に樽や木箱を積んだ馬車が何台も続き、その脇を槍を担いだ兵士たちが歩いている。
兵士とすれ違うたび、リズは頭巾の端へ手を伸ばした。
やがて街道の先に、灰色の城壁がはっきりと見えてきた。
城壁は森の木々よりも高く、左右へ延びた先は遠く霞んでいる。その上には、槍を持った兵士たちが一定の間隔を空けて立っていた。
リズは足を止め、城壁を見上げた。
「でかい」
「言っただろう」
アルゲンは歩調を変えず、門へ続く列の最後に並んだ。
門の前では、荷馬車の中身を兵士たちが確認していた。徒歩で街へ入る者も、一人ずつ呼び止められ、名前と用件を尋ねられている。
列が進むにつれ、リズはアルゲンのすぐ後ろまで近づいた。
「頭巾を取るなよ」
「分かってる」
しばらくして、二人の順番が来た。
門の脇に座っていた兵士が、机の上に広げた紙へ目を落としたまま尋ねた。
「名と用件は」
「アルゲン。仕事を探しに来た」
紙の上を動いていた筆が止まった。
兵士は顔を上げ、アルゲンの兜と右腕の腕甲を見比べた。
「アルゲン……北方戦役の?」
アルゲンは答えなかった。
兵士は椅子から立ち上がると、改めてアルゲンを見た。
「本物なのか」
「他に用がないなら通るぞ」
アルゲンが歩き出すと、兵士は反射的に道を空けた。だが、その後ろを通ろうとしたリズを見て、慌てて呼び止めた。
「ま、待て。その子供は?」
アルゲンの背後で、リズの指が外套の裾をつかんだ。
「連れだ」
「名は?」
アルゲンは背後のリズを見た。
「自分で言え」
「リズ」
兵士は頭巾をかぶったリズとアルゲンを見比べたあと、紙へ名前を書きつけた。
門を抜けると、石造りの建物が道の両脇に並んでいた。荷馬車が何台も通れるほど広い道には人が溢れ、兵士や商人、荷物を抱えた人々が絶えず行き交っている。
リズは頭巾の下から街を見回した。
「じじい」
「なんだ」
「あのエルフも、お前を知ってた」
アルゲンの足がわずかに遅くなった。
「人間は嬉しそうだったな」
アルゲンは何も答えず、人の流れの中を歩き続けた。
その外套の裾を、リズはつかんだままだった。




