選択
それからしばらく森を進むと、リズが足を止めた。
アルゲンも立ち止まり、肩越しに振り返った。
「どうした」
リズは答えず、頭上へ顔を向けていた。
枝の間で小さな鳥が鳴いている。アルゲンが見上げると、鳥はさらに森の奥へ飛び、別の枝へ移った。
「なんでもない」
リズは木々の奥を見たまま答えた。
アルゲンは木々の向こうから差す光を確かめ、南へ歩き始めたが、リズは動かなかった。
背後から足音が続かず、アルゲンは振り返った。
「どうした。何もないんじゃないのか」
リズは眉根を寄せ、アルゲンを見た。
「そっちには行きたくない」
アルゲンは黙ってリズを見返した。
「何がある」
リズは答えず、俯いた。
アルゲンは待ったが、やがて南へ顔を向けた。
「エルフか」
リズが顔を上げた。
アルゲンはそのまま南へ歩き出した。
「殺すのか」
背後からリズの声がした。
「なにもしない」
アルゲンは足を止めず、木々の間を進んだ。
リズはその背を見ていたが、やがて後を追った。二人の間には、数歩分の距離が空いたままだった。
さらに進むと、獣道は細くなり、低く伸びた枝が行く手を遮るようになった。
人が通った跡は見えなかった。
それでも、折れた枝の断面は新しく、地面の一部だけが不自然に踏み固められている。
アルゲンは足を止めた。
頭上で葉が擦れた。
身体を横へずらした直後、矢が目の前を通り過ぎ、地面へ深く突き刺さった。
アルゲンは腰の剣へ手を伸ばしながら、矢の飛んできた方を見上げた。
太い枝の上に、弓を構えた男が立っていた。頭巾の脇から、長い耳が覗いている。
男はすぐに次の矢をつがえたが、弦を引き絞りかけた手が止まる。
男の視線が、アルゲンの背後へ向いていた。
「その子をどうした」
アルゲンは答えなかった。
男が枝から地面へ飛び降りると、反対側の茂みからもう一人のエルフが姿を現した。こちらは女で、すでに矢をつがえた弓をアルゲンへ向けていた。
「その子をこちらへ寄こせ」
「断る」
「なぜ人間がエルフの子供を連れている」
「本人に聞け」
男の視線がリズへ移った。
「名前は」
リズはアルゲンの背後に立ったまま、答えなかった。
「同じエルフだ。何もしない」
その言葉を聞いても、リズは動かなかった。
アルゲンが腰から剣を鞘ごと外し、地面へ置いた。続けて短剣も抜かずに外し、剣のそばへ置いた。
「これでいいか」
男はアルゲンの兜を見た。
「兜も取れ」
アルゲンは兜を脱ぎ、剣の上へ置いた。
女がリズを見た。
「こっちへ来なさい」
リズはアルゲンを見上げた。
アルゲンは何も言わなかった。
リズはアルゲンの横へ並んだが、それ以上は動かなかった。
二人のエルフは顔を見合わせたが、やがて男がアルゲンの武器と兜を拾った。
「ついてこい。長に判断してもらう」
「俺を殺さないのか」
男はアルゲンを見た。
「その子がいなければ、とうに射ている」
そう言うと、男は森の奥へ歩き始めた。
女は弓を下ろしはしたが、矢は弦に掛けたままアルゲンたちの後ろへ回った。
*
森の奥へ進むにつれ、枝や葉に隠されていた細い道が見え始めた。
何度も道を曲がり、沢を一つ越えた先で、木々の間に低い屋根が見えた。
少し開けた場所には、枝と土で覆われた四つの小屋が建っていた。小屋の間に狭い畑があるだけで、煙も上がっていない。
一行に気づいたエルフたちが小屋から姿を現したが、子供や老人を合わせても十人ほどしかいなかった。
その全員がアルゲンを見ていた。
リズは小屋よりも、その前に立つ者たちの耳を見ていた。
一人の子供がリズへ近づこうとしたが、そばの女が肩をつかみ、自分の後ろへ引いた。
男がアルゲンの武器と兜を地面へ置いた。
「森へ入り込んでいた。エルフの子も一緒だ」
小屋の入口から、杖をついた老いたエルフが出てきた。片方の耳が途中から欠けており、頬から首へ古い傷が伸びている。
老人はリズを見たあと、アルゲンへ顔を向けた。
「名は」
「アルゲン」
老人は杖をついたまま動かなかった。
周囲のエルフたちの間で、小さく息を呑む音がした。
「アルゲン……」
「知っているのか」
弓を持った男が尋ねた。
老人は地面に置かれた黒い兜と、アルゲンの右腕を覆う腕甲を見た。
「この男がいた場所では、多くの同胞が死んだ」
リズがアルゲンを見た。
老人はリズへ目を移した。
「知らなかったのか」
「十数年前、北の谷にあった里が焼かれた。逃げた者を追った人間たちの中に、この男がいた」
アルゲンは否定しなかった。
「その後も、何度も討伐へ加わっている。人間の間では英雄と呼ばれているが、我々の間でも知られた名だ」
リズはアルゲンから目を逸らさなかった。
「ほんとなの」
「そうだ」
「ずっと殺してたのか」
「そうだ」
リズの視線が、地面に置かれた武器へ落ちた。
誰も動かない中、リズはアルゲンの短剣へ近づいた。
弓を持った男が手を伸ばしかけたが、老人はアルゲンを見たまま、杖を上げてそれを止めた。
リズは短剣を拾い、鞘から抜いた。
両手で柄を握り、刃をアルゲンへ向ける。
アルゲンは動かなかった。
「やっぱり、信じてるじゃないか」
リズの肩が震えていた。
「どちらでもないと言ったはずだ」
「じゃあ、なんで殺した」
アルゲンはリズを見た。
短剣の切っ先が小さく揺れている。
小屋の間にいた者たちは、誰も声を出さなかった。
アルゲンは何も言わなかった。
やがてリズは短剣を下ろした。
「……くそじじい」
短剣を地面へ落とすと、森の中へ走っていった。
弓を持った女が後を追おうとした。
「放っておけ」
女が振り返る。
「人間が決めることではない」
「戻ってくる」
「なぜ分かる」
アルゲンは答えず、短剣を拾って鞘に収め、腰へ差した。
「人間が俺たちを追っている」
老人の目が森へ向いた。
「どこまで来ている」
「昨日、森へ入った。沢で撒いたが、諦めるとは思えん」
周囲のエルフたちの顔がこわばった。
「ここは捨てた方がいい」
「簡単に言う」
「見つかれば全員死ぬ」
老人はアルゲンを見返した。
「お前が連れてきた」
「すまなかった」
老人が地面の剣と兜へ目を向けると、アルゲンは剣を拾い、兜を脇に抱えた。
「ガキを頼む」
老人の眉がわずかに動いた。
「本人が望むなら受け入れる」
「それでいい」
「お前はどうする」
「国を出る」
「あの子を置いてか」
アルゲンは剣を腰に差し、兜をかぶった。
「ここなら俺は要らん」
老人は何も返さなかった。
アルゲンは森の奥へ目を向けたあと、小屋に背を向けた。
*
リズが戻ったとき、小屋の前にアルゲンの姿はなかった。
地面に置かれていた武器も、兜もなくなっている。
リズは立ち止まり、辺りを見回した。
「あいつは」
弓を持っていた女が、畑のそばから顔を上げた。
「出ていった」
「どこに」
「お前はここに残れる」
リズは女を見た。
「どこに行った」
女はそれ以上答えず、顔を背けた。
頭上で鳥が一度鳴いた。
リズは森の奥へ顔を向け、そのまま小屋を背に走り出した。
背後から呼び止める声がしたが、振り返らなかった。
枝が外套に引っかかり、木の根に何度も足を取られた。それでも立ち止まらず、森の奥へ進んだ。
やがて木々の間に、黒い外套が見えた。
「じじい!」
アルゲンは足を止めた。
振り返らない。
リズは息を切らしながら近づき、その背後で立ち止まった。
「なんで──」
「あそこがお前の居場所だ」
「勝手に決めるな」
リズは何かを言おうと口を開いたが、息だけが漏れた。
拳を握り、俯いた。
「私を殺してくれるんじゃないのか」
アルゲンが肩越しに振り返った。
「生きたいんじゃないのか」
リズは顔を上げた。
何も答えず、アルゲンを見つめた。
アルゲンもしばらくその顔を見ていたが、やがて前へ向き直った。
「ついてこい」




