居場所
リズが目を覚まさないまま、数日が過ぎた。
アルゲンは先に意識を取り戻していたが、左腕は布で胸の前に吊られ、胸には包帯が厚く巻かれていた。
寝台では、リズが浅い呼吸を繰り返していた。アルゲンはそのそばの椅子に座り、開いた本を右手で支えていた。
その日の夕方、メルクリウスが部屋へ入ってきた。
「帝国軍が、街を取り戻したそうです」
アルゲンは本から顔を上げた。
「今朝、この町へ来た兵から聞きました。街が落ちてから三日後に到着したと」
「そうか」
アルゲンは再び本に目を落とした。
「住民の多くが殺されていたそうです」
窓の外を荷車が通り過ぎた。車輪の音が遠ざかってから、メルクリウスは続けた。
「あの場に残っていれば、私もクレアも死んでいたかもしれません」
アルゲンは何も答えず、本を閉じてメルクリウスへ顔を向けた。
「ありがとうございました」
「お前たちが勝手についてきただけだ。礼を言われることではない」
「ですが、あの水路の話を聞かなければ、私もクレアも街に残っていました」
メルクリウスは眠っているリズへ目を向けた。
「私たちは、あなたに命を救われたと思っています。何か礼をさせてください」
アルゲンはすぐには答えず、眠っているリズをしばらく見てから、小卓の封書へ右手を伸ばした。
「なら、一つ頼みがある」
メルクリウスは答えた。
「聞きましょう」
※
翌日、リズは目を覚ました。
白い天井をしばらく見つめたあと、身を起こそうとして左脇腹を押さえた。
痛みに顔を歪め、寝台へ身体を戻しかけたところで、リズは動きを止めた。
「じじい……っ!」
「しずかにしろ、ガキ」
声のした方を見ると、寝台のそばにアルゲンが座り、本を読んでいる。
リズはしばらくその姿を見ていたが、やがて窓の外へ顔を向けた。
「生きてたんだ?」
アルゲンは右手だけで本を閉じた。
「お前が死ぬまではな」
椅子から立ち上がると、本を小卓へ置いた。
「食事を持ってきてやる。おとなしくしてろ」
アルゲンが部屋の扉に向かうと、リズが後ろから声をかけた。
「クレアは」
足を止め、振り返らずに答えた。
「生きてる」
「そう」
アルゲンはそのまま部屋を出た。
しばらくして、アルゲンが木の盆にスープとパンを載せて戻ってきた。
リズは寝台の上で身体を起こしたまま、窓の外を眺めていたが、アルゲンが戻ると顔を向けた。
布で吊られた左腕と、包帯の巻かれた胸を見て、リズは俯いた。
アルゲンは木の盆を小卓へ置き、本を開いた。
「食え」
リズが食事に手をつけないまま、頁をめくる音だけがしばらく部屋に続いた。
「なあ、じじい」
アルゲンは頁をめくる。
「私が……」
そこで言葉が止まった。
しばらくして、リズはもう一度口を開いた。
「私の居場所はないんじゃないのか」
アルゲンは目だけをリズに移した。
「お前に限った話ではない」
リズは何も言わず、寝台へ横になって窓の方を向いた。
アルゲンはしばらくリズを見ていたが、やがて本へ目を戻した。
木の匙が器に触れる音は、いつまで経っても聞こえなかった。
日が傾き始めたころ、クレアが部屋を訪れた。
扉を開けて駆け込んだクレアは、目を覚ましているリズを見ると、寝台の手前で足を止めた。
「リズ」
呼ばれても、リズはすぐには顔を向けなかった。
クレアは寝台のそばまで歩き、掛け布の上に置かれた手を取った。
「よかった」
リズは握られた手を見下ろしていたが、やがて小さく握り返した。
アルゲンは二人から目を離し、頁をめくった。
それから数日の間、クレアは毎日部屋を訪れた。
リズは少しずつ食事を取るようになり、寝台の上で身体を起こしている時間も長くなった。クレアが町で見つけたものや、宿の食事について話している間、ほとんど口を挟まなかったが、帰る時には扉が閉じるまでその背を見ていた。
アルゲンは左腕を吊ったまま、朝になると部屋を出た。戻ってくる頃には歩調が遅くなっていたが、椅子へ座ると何事もなかったように本を開いた。
胸の包帯は、何度替えても厚いままだった。
リズが寝台を降りたのは、さらに数日が過ぎてからだった。
床へ足をつけたリズは、寝台の縁を掴んで立ち上がり、左脇腹を庇いながら一歩踏み出したが、二歩目で膝が揺れて壁へ手をついた。
そばにいたクレアが腕を伸ばした。
「無理しなくていいよ」
リズは首を振り、壁に手を置いたまま窓まで歩くと、窓枠に掴まって通りへ目を向けた。
荷車が石畳を通り、道の向こうでは子供たちが木の輪を追いかけている。屋根の上には薄い煙が上がり、川から吹く風に崩れている。
クレアが隣へ立った。
「近いうちに、町を出るんだ」
リズが顔を向ける。
「父さんの仕事があるから。南へ戻るって」
「そう」
クレアは窓の外を見たまま続けた。
「また会えるよね」
リズは答えなかった。
翌朝、リズは寝台の上から窓の外を眺めていた。
寝台の隣では、アルゲンが椅子に座って本を読んでいる。左腕はまだ布で吊られ、右手だけで頁を押さえている。
アルゲンは本から目を離さずに言った。
「傷が治ったらお前をメルクリウスに預けるつもりだ」
リズがアルゲンに顔を向ける。
「いやだ」
「あいつなら、お前を売らん。飯にも困らん。長耳を隠して連れ歩くくらいの知恵はある」
「いやだ」
アルゲンが頁をめくる。
「次もお前を運べるかわからん」
「運ばなくていい」
頁を押さえていた右手が止まり、アルゲンは本から顔を上げた。
リズは左脇腹へ手を添えたまま、アルゲンを見返した。
しばらくして、アルゲンが口を開いた。
「俺がお前の親を斬っていたとしてもか」
リズが左脇腹へ添えた手に力を込めると、掛け布に皺が寄った。
「親の顔は覚えてない」
「私を育てたのは、叔母さんだ」
アルゲンは続けた。
「それでも同じことだ」
リズはすぐには答えなかった。
「違う。私があの人を見捨てたんだ」
アルゲンは黙ったままリズを見続けた。リズも目を逸らさず、そのあいだ本の頁は一度もめくられなかった。
やがて、アルゲンは本へ目を戻した。
「好きにしろ」




