流れ
西から鳴る鐘に、街の中央の鐘が重なっていた。
メルクリウスは門の脇に残された木箱を見たあと、御者台へ戻った。
「私は倉庫へ戻ります。馬車を、このままにはしておけません」
アルゲンは通りの先へ目を向けたまま答えた。
「そうしろ」
「あなた方は?」
「広場へ行く」
メルクリウスは馬車を木箱の脇へ寄せて御者台を降り、荷台にいるクレアと二人で箱を戻した。
馬車が動き始めると、リズはその場に残って見送った。
クレアが肩越しに振り返る。
リズとクレアの距離が少しずつ開き、馬車は通りの角を曲がって見えなくなった。
「行くぞ」
アルゲンが歩き出す。
リズは馬車の消えた角をもう一度見たあと、その背を追った。
東門を離れるにつれ、通りに人が増えていった。
鐘の音を聞いて家から出てきた者たちが、道の中央で顔を見合わせている。西へ走る兵士を呼び止める者もいたが、答えを得られる者はいなかった。
店先では主人らしい男が戸板をはめ、その隣で女が並べていた野菜を籠へ戻している。道を横切ろうとした荷車へ兵士が怒鳴り、驚いた馬が蹄で石畳を鳴らした。
アルゲンは人の間を抜け、鐘の鳴る方へ進んだ。
広場へ出ると、鐘楼の周りには兵士と傭兵が集まり始めていた。斡旋所の前へ机が運び出され、職員たちが広げた名簿に名前を書き込んでいる。
広場の端には石造りの水槽があり、石壁から伸びた樋が水を落とし続けていた。
アルゲンは水槽の前を通り過ぎ、斡旋所から少し離れた場所で足を止めた。
石段の上に立った兵士が声を張り上げる。
「斡旋所に登録のある者は名を告げろ! 槍と剣を扱える者は西門へ、弓を持つ者は城壁へ上がれ!」
机の前へ男たちが押し寄せ、自分の名と得物を告げていく。
広場の反対側から馬が駆け込んできた。
騎手は石段の前で手綱を引いたが、馬はすぐには止まらず、蹄を滑らせながら人の間へ踏み込んだ。周囲の者たちが退き、空いた場所で兵士が飛び降りる。
兜はなく、額から流れた血が頬まで垂れていた。
「西の街道に軍勢です」
石段の兵士が顔を向けた。
「数は」
「分かりません。先頭は西門から見えますが、後ろは丘の向こうまで続いています」
「西方の蛮族どもめ」
広場にいた者たちの間へ、低いざわめきが広がった。
「国境へ出た兵はどうした」
「戻っていません」
石段の兵士は何か言いかけたが、南の通りから別の兵士が走り込んできた。
「南の丘に騎兵です。街道を外れ、東へ回っています」
「何騎だ」
「確認できただけで十数騎。後ろにもいるかもしれません」
兵士は広場を見渡し、机の前にいる者たちへ向き直った。
「西門へ急げ! 荷車を集めて大通りを塞げ。東と南の城壁にも見張りを増やせ!」
名を告げ終えた傭兵たちが、それぞれの武器を手に西へ走っていく。
アルゲンはその流れから離れ、広場の外へ向かうと、リズが後ろから声をかけた。
「戦わないのか」
「戦う理由がない」
「英雄なんだろ」
アルゲンが答えないまま歩き続けると、リズは走っていく男たちを振り返っただけで、それ以上は聞かなかった。
広場を出る手前で、アルゲンが足を止めた。
先ほどの水槽では、門が閉じられたあとも、石の樋から水が落ち続けている。縁から溢れた水が細い溝へ入り、石畳の間を流れていた。
「どうしたの」
アルゲンは水槽の背後へ目を向けた。
水を運ぶ石の樋は、低い壁に沿って東へ伸び、通りの下へ消えている。
アルゲンはその樋に沿って歩き始めた。
石の樋は何度か通りの下へ消え、少し先で再び別の水槽へ水を落としていた。アルゲンは流れの来る方角を確かめながら、東へ進んだ。
鐘の音から離れるにつれ、通りに立つ者は減っていった。家々の戸は閉ざされ、石畳には運び込まれなかった籠や荷物が残っている。
やがて建物の間が広がり、通りの両側に大きな倉庫が並び始めた。
その一つの前に、見覚えのある馬車が止まっていた。
メルクリウスと倉庫の男たちが、荷台から木箱を運び出している。クレアは馬の手綱を握り、荷を抱えた男たちの邪魔にならないよう、道の端へ立っていた。
アルゲンは馬車へ目を向けたが、歩調を変えなかった。
数歩進んだところで、後ろからリズの足音が消えた。
「じじい」
アルゲンが振り返る。
リズは馬車の前に立ち、クレアを見ていた。
「行くぞ」
リズは動かなかった。
アルゲンはリズとクレアをしばらく見たあと、来た道を戻った。
メルクリウスもアルゲンたちに気づき、抱えていた木箱を倉庫の男へ渡した。
「何か分かりましたか」
「西の街道に軍がいる。南から回っている騎兵もいるようだ」
「この街を囲むつもりでしょうか」
「恐らくな」
メルクリウスは、アルゲンとの間を通って倉庫へ運ばれていく木箱を見た。
「あなた方は、どこへ行くんです」
「街へ入る水を辿っている」
メルクリウスが顔を上げた。
「水ですか」
「街の外から水を引いている。どこかで城壁を抜けているはずだ」
「そこから出られるのですか」
「人が通れるかは分からん。それを確かめる」
アルゲンは水の来る方へ顔を向けた。
倉庫の男たちが、残っていた布の束へ手をかけた。馬車の荷台は次第に空になっていく。
メルクリウスはその様子を見たまま、しばらく動かなかった。
クレアも何も言わず、父親の横顔を見ている。
やがてメルクリウスは腰の鞄を開いた。
荷台へ上がると、積荷の間から書類の束と水袋、干し肉の入った包みを取り出して鞄へ移す。最後に腰の金袋を確かめ、口を固く縛った。
倉庫の入口にいた男が尋ねた。
「馬車はどうする」
「少し預かってください」
男は何も言わず、クレアから手綱を受け取ると、そのまま馬を倉庫の中へ引いていった。クレアは通り過ぎる馬の首を撫で、その姿が奥へ消えるまで見送った。
アルゲンが歩き始めるとリズが続き、メルクリウスも鞄を肩にかけて、クレアとその後を追った。
倉庫街を抜けると、通りは緩やかに上り始めた。
城壁が近づくにつれ建物は少なくなり、通りから人影が消えていった。城壁の上では、何人かの兵士が東の平原を見ている。
遠くでは鐘が鳴り続けている。
やがて城壁の手前に、低い石造りの建物が見えた。
窓はなく、苔のついた壁の下から流れ出た水が、何本もの石の樋へ分かれて街の方へ続いていた。
アルゲンは建物の周囲を歩いた。
裏側は城壁とほとんど接しており、その間に人が入れるほどの隙間はなかった。
正面へ戻ると、厚い木の扉には黒ずんだ鉄の錠が下がっていた。アルゲンが引いても、錠が鳴るだけで、扉は動かなかった。
錠の音が消えると、扉の向こうの水音だけが残った。




