第162話 憂いを抱く王女たち
主人公陣営と関りの深い王女がメインのお話です。
フォーペウロ王国の聖都バアゼルホは皮肉なほど穏やかな陽光に包まれていた。
一際目立つ王城から突き出したテラス。
揺れるレースのカーテンの向こうで挟んで向かい合っているのはフォーペウロの女王陛下であるエリザナ・ドゥ・フォーペウロとその娘にして第一王女であるレイニース・ドゥ・フォーペウロであった。
テーブルに並ぶのは最高級の茶葉が躍るダージリンと宝石のように彩られた季節の菓子。
数名の侍女たちが影のように控える中、ティーカップがソーサーに触れる微かな音だけが贅沢な静寂を刻んでいた。
「……レイニース。先ほどから、お茶が冷めてしまっていますよ」
エリザナの凛とした声が思考の海に沈んでいた娘を引き戻した。
「あ……。申し訳ございません、お母様」
「まだ、あの話を信じられないという顔をしていますね」
見透かしたような母の言葉に、レイニースは誤魔化すように視線を泳がせた。
「……魔族の中に人間との融和を望む者が実在し、あろうことかその筆頭が当代魔王の義娘であること……。そう仰りたいのでしょう?」
「少なくとも、それ以外にあなたをここまで悩ませる事柄が他にあるとお思いで?」
「ございませんね。……お母様には隠し事はできないようです」
レイニースは降参だと言わんばかりに肩をすくめた。
芸術品のような美貌と気品を纏った二人の佇まいは絵画のように美しいものの、その瞳の奥に潜む色彩は抜けるような青空とは対照的に、ひどく神妙で重苦しいものだった。
「エレミーテ王国の勇者パーティからあの報告を受けた時、私の心に最初に浮かんだのは驚きよりも恐怖に近い疑念でした。魔族と人間が互いに手を取り合うなど、御伽噺でも語られぬ異端ですから」
魔族の少女であるファミーナの存在はフォーペウロ王城を文字通り震撼させた。
女王の英断により情報の拡散は最小限に抑えられ、表面上の混乱は沈静化しているものの、その波紋は今も静かながらに、確実に城の中を侵食していた。
もしこの事実が国民の耳に入れば、数百年続く魔族への憎悪が暴発し、国そのものが崩壊しかねないため、真実は王族と軍上層部の極一部のみに留めている。
「初めてあの報告を聞いたときの貴女の顔は今思い出しても傑作でしたわよ。お茶を吹き出さなかっただけ、王族の教育が身についていると褒めて差し上げましょう」
「お母様だって、扇で口元を隠す手がわずかに震えていらしたではありませんか」
かつての動揺を軽口で流せる程度には二人の心は整理されつつあるものの、現実は依然として綱渡りの状態だ。
「勇者たちが指定した例の町へは定期的に騎士を向かわせ、現状を報告させています。今のところ、大きな衝突は起きていないようですが……」
「ええ。驚くべきことにその町では魔族が住人と共に汗を流し、共生への道を模索しているとか。彼らを繋ぎ止める仲介者の腕がそれだけ確かなのでしょうね」
「そうでしょうね。……ただ……」
現状としては大きな問題に発展しておらず、安心か危険かで言えば前者だと判断されている。
それでも、不安要素を抱えながら心穏やかで常にいるのは厳しい。
「しばらくは胃が痛くなりそうでございます」
「そこは同感ですね」
レイニースは冷めた紅茶にようやく口をつけて飲み干した。
空はどこまでも澄み渡っていても、彼女たちの心には今もなお、ぬぐい去れぬ影を落としていた。
◇———
「……はぁ……」
唇から重く沈んだ吐息がこぼれ落ちる。
エレミーテ王国の王都エメラフィール。
その中心に傲然と、かつ優雅にそびえ立つ王城の一角に四季折々の花々が咲き誇る王立庭園がある。
陽光を浴びて宝石のように輝く噴水の傍らで一人の女性が物憂げに佇んでいた。
「信じ難いですわね……」
白を基調とした細緻な刺繍が施された贅沢なドレス。
頭上には王家の血筋を示すティアラと深緑の光を湛えた翡翠の髪飾りが揺れている。
腰まで届く白銀の髪はそよ風にさらさらと波打ち、光を反射させる鏡みたいに綺麗な手入れがなされている。
吸い込まれていそうなほどに深い紺碧の瞳、陶磁器を思わせる透き通った肌、絵画から抜け出してきた女神と見紛うばかりの美貌の持ち主を誇る彼女こそが、エレミーテ王国第一王女、セレーヌ・フォン・エレミーテその人であった。
だが、その美しい容貌はお世辞も明るいと言えなかった。
「エレミーテ王国の勇者パーティが魔族と……。そんなことが本当に……」
セレーヌの心を乱し、数日にわたって頭を悩ませているのはあまりに常識外れな報告だった。
魔族でありながら人間との融和を説く少女、ファミーナ。
そして、その魔族の少女と手を取り合い、行動を共にしているという勇者パーティの行跡。
本来であれば、最前線であるフォーペウロから遠く離れたこのエレミーテ王国にこれほど詳細な情報が届くことは稀だ。
しかし、勇者パーティのリーダーであるシャーロットが王城に宛てた伝聞にはあまりに衝撃的な真実が綴られていた。
古来より不倶戴天の敵として語り継がれてきた魔族と人類の希望である勇者が共にある。
その事実がもたらす政治的、倫理的な波紋を思えば、一国の王女として気が気でなくなるのは必然であった。
「おや、今日も一人でここにいたのかい?」
柔らかくも、王としての威厳を内包した声が響いた。
セレーヌが弾かれたように振り返ると、そこにはエレミーテ王国を統べる国王陛下であり、彼女の実父でもあるルーフェン・フォン・エレミーテが立っていた。
「お父様……。いつからそこに?」
「さあね。昨日も一昨日も、その前の日も……この庭園を揺らす君の溜息を聞いていたよ」
「……お恥ずかしいところを。面目ございませんわ」
「謝る必要はないさ。一国の王女として、正解のない問いに立ち止まるのは、それだけ民を想っている証拠だ」
ルーフェンは優しく娘をたしなめると、噴水の縁に腰を下ろした。
それから、二人は親子としての、そしてこの国の行く末を担う者同士としての歓談を始めた。
「確かに、お前の戸惑いは当然だ。私も最初に報告書を読んだ時は、驚天動地のような感覚に陥ったよものよ」
「やはり、お父様も驚かれたのですね……」
「当然だ。だがね、セレーヌ」
ルーフェンの表情には驚きよりも、どこか達観したような、あるいは静かな期待を孕んだような色が浮かんでいた。
まるで、これから世界に起きるかもしれない変革をあるがままに受け入れる準備ができているかのように。
「セレーヌはどう思っている?政治的な利害や世間の教義を抜きにして、君自身の心は勇者パーティの決断をどう捉えている?」
「わたくしは……」
セレーヌは十数秒ほど沈黙し、視線を足元の名もなき小花へと落とした。
脳裏に浮かぶのは、かつて王都で見送った勇者たちの、誇り高くも温かな背中だ。
「わたくしはその魔族の少女を実際に見たわけではございません。彼女が本当に信じるに値する存在なのか、その腹の内を証明する術もありません。……それでも」
セレーヌは顔を上げ、父である国王の目を真っ向から見据えた。
「それでもわたくしは……勇者パーティの皆様の意思を尊重いたします。彼らが剣を抜く理由を彼らが守ろうとした絆を、わたくしは信じたいのです。何より……わたくしの胸の中に、一つだけ揺るがない確信がございます」
「聞かせてもらおうか」
「勇者パーティは決して道を違えはしない。彼らは必ず、魔王という名の絶望を討ち取り、この世界に真の夜明けを連れてきてくれる。わたくしが信じているのはただそれだけです!」
確かな熱を帯びたセレーヌの言葉にルーフェンは感心したように深く頷いた。
「ほう……。強い目になったな、セレーヌ。……ああ、私も同じ気持ちだよ。理屈や常識では測れない何かが今、あの地の勇者たちの周りで起きているのだろう。我々はただ、信じようじゃないか。彼らの勝利と選び取った未来を」
「はい、お父様!」
互いの信頼を再確認した父娘は天を仰いだ。
そこには、どこまでも青く、澄み渡った空が広がっていた。
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