第157話 魔族領へ突入
魔属領に本格的に突入します!
「遂に、ここまで来たな……」
「ああ」
「ええ。ようやく、見えてきましたね」
低く、重い声が重なる。
俺たちが視線を向けた先――紫黒色の雲が渦巻く空を貫くように、禍々しい巨塔がそびえ立っていた。
雲から差し込むのはどこか儚い陽射しだけであり、夜なのかそれに近い夕方なのかを判別しにくい。
「あの先に魔王城がある」
「そして、魔王リザエラが俺たちを待っているわけだ」
魔族領へと足を踏み入れてから、今日で二週間。
人間との融和を願う魔族の王女ファミーナと彼女の側近であるカリュミノを伴った俺たち勇者パーティはついに、魔族領の中心部、その喉元にまで到達していた。
目と鼻の先、とまではいかないが、宿敵の居城はもう隠しようもなくそこにある。
「ファミーナ、大丈夫か?足取りが重いようだが」
「……はい。ご心配なく。むしろ、ようやく辿り着けたのだという実感が今になって押し寄せてきているくらいです」
ファミーナは顔を上げながら気丈に微笑んで見せた。
この二週間、気が休まる暇など片時もなかった。
魔族領の空気は常に澱み、肌を刺すような毒気を含んだ黒い瘴気が立ち込めている。
行く手を阻むのは、魔物の数々や魔王軍が放った刺客だけではない。
意志を持つかのように複雑に入り組んだ悪路、底なしの沼地、そして精神を摩耗させる異質な静寂。
俺たちの体力はもちろん、精神力や気力を少しずつ確実に削り取っていくには充分過ぎるほどに過酷だった。
時には慎重に回り道をして致命的なリスクを避け、時にはリスクを承知で最短ルートを強行突破するという綱渡りのような進行の末、俺たちは今ここに立っているのだ。
「皆様には感謝の言葉もございません。私一人では、ここまで来るどころか、志を同じくする同胞たちを守り抜くことさえ叶わなかったでしょう……」
「そんなことないよ」
俺たちに感謝の言葉を並べるファミーナだったが、ここに来る道中で彼女も実践レベルで戦えることが判明した。
当初は守られるだけの存在だと思っていたが、どうやら魔術の才能があるようであり、戦闘に参加する時もあった。
隠れ住んでいた集落で彼女が戦いに加わらなかったのは、本人の実力不足だけではなく、人間と魔族が手を取り合える唯一の希望にして、先駆者である彼女を失いたくないという、周囲の痛いほどの慈しみがあったからなのだろう。
「俺は別にいいと思ってるよ。好きでやってるようなもんだからな」
「リュウトさん……。好きで、ですか?」
意外そうな声を上げるファミーナに俺は肩をすくめた。
「俺が勇者パーティの一員として旅に出た時、ファミーナと出会うまでは魔族や魔王軍はただの『倒すべき敵』だと思っていた。だけど、今は違う。あなたの父親であり、同じく共存を夢見たギラドルスの遺志……それを受け継いだあなたと一緒に魔王を倒そうとしている。正直、自分でも信じられないような展開だよ。だけど、この道を選んだのは俺だ。だから、これは俺の我儘みたいなものさ」
「「……」」
ふと、これまでの歩みを振り返る。
しがない冒険者から始まり、エレミーテ王国騎士団の遊軍調査部隊へと籍を置き、そこで忙しなく任務をこなしていた日々の折に、勇者パーティへの勧誘という突拍子もない転機が訪れた。
魔王軍の幹部や精鋭と戦い、血を流し、その果てに辿り着いた答えが「魔族の姫を守り、共に魔王を討つ」ことだなんて……。
かつての俺に話しても鼻で笑われるに違いない。
「……確かに、リュウトの言う通りね」
不意に隣に並んだシャーロットが口を開いた。
「私も最初は勇者としての使命感だけで剣を振るっていた。魔族は人類の天敵であり、その溝は決して埋まらない。幼い頃からそう教え込まれてきたし、それが世界の正解だと信じて疑わなかった。……けれど、あなたが私たちに見せてくれたのはそんな常識をあっさりと飛び越える、純粋で真っ直ぐな信念だった」
シャーロットは、眩しそうにファミーナを見つめる。
「だから、私はあなたを信じることに決めたの。勇者としてではなく、一人の人間としてね」
その言葉を受けたファミーナとカリュミノは、言葉を失い、ただ深く頷いた。
「シャーロットさん、リュウトさん。……ありがとうございます。私を信じてくださったのがあなた方で本当に良かった」
瞳を潤ませながらファミーナは深々と頭を下げ、彼女の隣にいるカリュミノも主君に従うように恭しく一礼した。
そんな感動的な光景の数歩後ろで、ロリエは小声でメリスやジャードに囁いているのが聞こえてきた。
「こうして見ると、魔族も人間もあんまり変わらないわね」
「ええ。流す涙の輝きも、守りたいモノを想う震えも……種族の違いなど、些細なことに思えてきます」
「本当だぜ。それに、欲情や激情に駆られやすいところなんか、どっちも似たようなもんだしな」
メリスとジャードの返答に俺は心の中で「全部聞こえてるぞ!」とツッコミを入れる。
だが、あいつらの言うことも一理ある。
人間の中にも魔族より残虐な奴はいれば、魔族の中にも人間より慈悲深い者はいる。結局、種族なんてものだけで魂の在り方を規定することは叶わないのだ。
「よし、感傷に浸るのはここまでだ。少しでも休めそうな野営ポイントを探してくる」
「リュウト殿。私もご一緒しましょう。この先の地質は、私の同胞が残した記録と照らし合わせる必要があります」
「助かる、カリュミノ」
俺は斥候として走り出すべく足に力を込め、シャーロットたちが即座にファミーナを囲むように陣形を整えるのが見えた。
「じゃあ、私たちはここでファミーナを守っているわ。……気をつけてね、二人とも」
背後にシャーロットの声を聴きながら、俺とカリュミノは漆黒の森林へと駆け出した。
残されたファミーナは遠ざかる二人の背中、そしてその先にそびえる魔王城をじっと見つめる。
彼女の胸中には祈りにも似た誓いが去来していた。
(お父様……。あなたが思い描き、けれど果たせなかった夢と理想。そのためにも必ずリザエラを倒します。勇者パーティの皆様と共に……。)
魔王であり、継母であるリザエラを打倒する決意と誰もが隣り合って笑える夜明けを連れてくる自分への約束。
ファミーナの瞳にはかつてないほど鋭く、凛とした決意の光が宿っていた。
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