第156話 【Sideアンリ】私は信じる
久しぶりにアンリ視点のお話です!
午前の巡回を終えた詰め所には、微かな革の匂いと昼前の気怠い空気が漂っていた。
私は自分の机に座りながら、頭の中で考えているのはつい最近耳にしたあの発表のことばかりだ。
「……」
「……ンリ。アンリ!」
「ハイッ!?」
思わず声がした方に視線をやると、遊軍調査部隊の上司にして第六班の副班長であるシーナさんがいた。
「ご、ごめんなさい!ちょっと、ぼーっとしてました」
「謝らなくていいけどさ。どうしたの?」
シーナさんが形の良い眉をひそめる。
隠しきれない懸念のような気持ちがきっと顔に出ていたのだろう。
「あはは……それは、その……」
言葉を濁すと、シーナさんは数秒ほど私をじっと見つめた。
探るような沈黙の後、彼女はふっと表情を和らげる。
「アンリ、今すぐ片付けなきゃいけない急ぎの仕事ってあったりする?」
「えっ?いえ、報告書は終わりましたし、午後の任務まで時間はありますけど……」
「そう。なら決まり」
シーナさんはパンと手を叩いた。
「あたしも今は手が空いてるの。一緒にランチでも行かない?一人で悩み込むより、美味しいものでも食べた方がいいよ」
「あ、はい。ぜひ……お願いします」
有無を言わせぬ明るい勢いに気圧されながらも、私は立ち上がった。
今の私にはこの胸のざわつきを共有してくれる誰かの存在が何より必要だったのかもしれない。
◇———
正午が過ぎた頃、私はシーナさんとエレミーテ王国騎士団の中にあるカフェテラスに来ている。
「……アンリ、手が止まってるわよ。もしかして、今日の日替わりは口に合わなかった?」
不意に投げかけられたシーナさんの声に私はふと顔を上げた。
視線を落とせば、シーナさんのプレートはすでに半分が空になっているのに対し、私の方は付け合わせのサラダを少しつついた程度だ。
「えっ?あ、いえ!そんなことは……すごく美味しいです、これ」
慌ててパンをちぎり、口に放り込むけど、咀嚼するほどに味気なさを感じてしまうのは料理のせいではない。
「隠さなくてもいいわよ。昨日からずっと様子が変よ」
シーナさんはフォークを置き、じっと私を見つめた。
その眼差しは鋭いけど、どこか年上の姉のような温かさを孕んでいる。
「……ごめんなさい」
「いいのよ。で、理由を聞いても?……まあ、聞かなくても大体察しはつくけれど。例の勇者パーティの活動成果報告。……もっと言えば、リュウトのことでしょう?」
それを聞いた私は言葉を詰まらせた。
昨日、遊軍調査部隊のトップであるモーゼル隊長からもたらされた報告は私たちの常識を根底から揺るがすような事柄だった。
「……はい。魔族との共存なんて、まさに晴天の霹靂というか……。内容が頭に入ってきませんでした」
ファミーナと言う人間との和解を望む魔族の少女を勇者パーティが保護し、共に旅をしているという。
そこにはかつて、この騎士団で共に過ごし、私が誰よりも尊敬するリュウトさんの意思が深く関わっている。
「私も隊長から聞かされた時は耳を疑ったわ。あのリュウトが勇者パーティと魔族を連れて歩いているなんてね」
シーナさんは自嘲気味に笑い、冷めたアイスティーに口をつけた。
昨日の彼女は報告を受けた直後から何事もなかったかのように平然と仕事をこなしていた。
その隙のなさに「流石は副班長だ」と感服していたけれど、今の言葉を聞いて彼女もまた、表に出さないだけで激しい動揺を抱えていたのだと知った。
「シーナさんもそう思われているんですね」
「当たり前じゃない。……アンリ、貴女はリュウトを信じている。それは素晴らしいことよ。でも、今回の件については全肯定していいものか、迷っているんじゃない?」
「……はい」
私は正直に頷いた。
リュウトさんの実力やその誠実な人となりは誰よりも知っているつもりだ。
あの人が無意味に誰かを傷つけたり、おかしな思想に染まったりするはずがない。
けれど――。
「魔族は『敵』だと、私たちは教わってきました。それがこの世界の概念や常識とされていますから。それをあの人が……。いくら尊敬しているからって、何でもかんでも正しいと鵜呑みにしてしまうのは、なんだか……自分を欺いているような気がして」
「……」
シーナさんは納得と諦観が入り混じったような溜息をついた。
「内容をいたずらに鵜呑みにしたくない。それはあなたが自分の足で立とうとしている証拠よ。リュウトの後を追うだけの新人から、一人前に成長している証よ。……でもね、アンリ。一つだけ確かなことがあるわ」
シーナさんは身を乗り出し、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「あいつが……あのリュウトが悪い意味でトチ狂って世界を裏切るような真似をすると思う?」
「……思いません。絶対に」
即答した。自分の声に驚くほど力がこもっていた。
「なら、今はそれで十分じゃない。あいつのことだもの。勇者パーティと一緒に正解を導いてくれるはずよ」
「リュウトさんなら……本当にやってのけてしまいそうですしね」
気づけば、私の唇に微かな笑みが浮かんでいた。
重く沈んでいた胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じる。
「あり得なくもないわね。……さあ、冷めないうちに食べなさい。リュウトが凄いことをしている間に私たちが栄養失調で倒れるわけにはいかないでしょう?」
「はい!いただきます!」
私は日替わりランチのパンを大きく頬張った。
遠く離れた戦地であの人がどんな景色を見ているのか、私にはまだ分からない。
今はただ、自分にできることを全うするだけだ。
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