第140話 平和に暮らす魔族たち
「……改めて見ると、ここが魔族が平和に住まう場所だなんて、口が裂けても言えそうにないな」
「本当にそれね。私たちの知る魔族への常識が足元から崩れていくような感覚だわ」
思わず零れた独り言を聞いて隣を歩くシャーロットが静かに頷いた。
翌朝、俺たちは魔王リザエラの義理の娘にして、人間との友好を試みる魔族の少女であるファミーナに魔族が住まう集落を案内してもらっている。
滞在して二日目となり、昨日よりも余裕を持って周囲を見渡せば、そこには人類の敵がいるとは思えないくらいに平和そのものだった。
規則正しく響く、薪を割る乾いた音や湿った土を耕す鍬の重なり。
風に乗って聞こえてくるのは、角を持った子供たちが笑い転げ、追いかけっこをする騒がしい声。
浅黒い肌や頭部から生えた多様な角と、その風貌は確かに魔族そのものであれど、彼らが手にしているのは鋭利な武器ではなく、土に汚れ使い込まれた農具や遊びを楽しむ道具であり、生活を支えるための知恵だった。
「最初は何もない寒村同然のような場所でしかありませんでした」
前を行くファミーナが柔らかに微笑む。
その顔には慈しみとこの場所を築き上げてきた者としての誇りのような要素が混在していた。
「リザエラの支配を良しとせず、戦うことを拒んだ穏健な方々を少しずつ集め、ここまで開拓してきたのです。幸いなことに、農業や畜産の技術を持った者たちが多く集まってくれました。自分たちの居場所を守るため、種族の壁すら超えて手を取り合う……。その積み重ねがこの風景なのです」
彼女の語り口には押し付けがましい正義感などなかった。
ただ、大切に育てた花を披露するような、純粋でひたむきな響きがあった。
集落ですれ違う魔族たちは俺たちを一瞥こそすれ、そこに敵意を向けてくる者はいなかった。
ファミーナが優雅な仕草で挨拶を交わせば、彼らもまた、人間である俺たちに会釈を返してくる。
――魔族は、人類の天敵である。
――魔族が人間に対する慈悲やモラルなどなく、あるのは醜悪な破壊衝動と身勝手な欲求のみである。
今までの俺たちにとっての魔族とは忌むべき存在と思っていたけど、こうして体感してみるとその概念すらも覆ってしまいそうだ。
「……ほいほい受け入れるつもりはねえんだが、どうもこそばゆくて仕方ねえな」
「ああ。……俺も同じだよ、ジャード」
ジャードは居心地が悪そうに首筋を掻いた。
魔族しかいないのに殺気のない場所でむず痒い気持ちを抱きそうになるのはある意味必然だろうな。
そんな時だ。
「ファミーナ様、こんにちは!」
「こんにちはー!」
数人の子供たちが小走りにこちらへ寄ってきた。
まだ小さな角は純粋無垢な少年処女のような若々しい質感を残している。
「こんにちは。今日も元気ですね」
「うん!ねえねえ、その人たちは?」
一人の少年が好奇心に満ちた紅い瞳を俺たちに向けており、ファミーナは屈み込み、子供たちの目線に合わせて微笑む。
「昨日からいらした人間のお客様ですよ」
「ええっ!本物の人間だ!大きいね!」
「ねえ、大丈夫だよね?怖くないよね?」
「大丈夫ですよ。とても優しい人間ですから、安心してくださいね」
小さな女の子が恐る恐るファミーナが着ている服の裾を掴んでいるものの、すぐに慈愛に満ちた顔になり、優しくその頭を撫でた。
「この方たちとも仲良くして差し上げてくださいね」
「「「「「は~い!」」」」」
子供たちの反応は純粋だった。
そこには俺たちが長年植え付けられてきた血塗られた歴史や種族の憎悪も介在していない、初めて見る珍しい生き物に対する汚れなき好奇心があるだけだった。
「じゃあね!ここは良いところがいっぱいあるから、ゆっくりしていって!」
無邪気な言葉を残して去っていく子供たちの背中を俺は優しく見送った。
「……お、おぅ……」
不器用な返事しかできなかった自分がなんだかおかしく思えた。
魔族は人類の敵である。
その前提を疑わずに生きてきた。
目の前の少年少女の優しさや無邪気な笑い声も、俺たちがこれから挑もうとする戦いの重みを別の側面から重くしていくようだった。
「……リュウト?」
「いや、なんでもない。ファミーナ、他におすすめの場所はないか?」
「あっ。はい、ご案内いたしますね」
俺たちはファミーナに導かれて再び歩き出した。
一日あれば、どこに何があるか分かりそうな規模だけど、魔族の概念を少しでも書き換えるには充分な時間を味わう俺たちなのであった。
◇———
ファミーナの邸宅の近くにある小さな丘に来ている。
「どうでしたか?この集落に住まう方々は?」
「一言で言うなら、そうだな……平和に暮らす人間と大差ないって感じかな?」
「私も同感よ」
ファミーナに意見を求められた俺が正直な感想を口にすると、隣で腕を組んでいたシャーロットも静かに頷いた。
「今まで見てきた魔族の概念が書き換えられそうなくらいに穏やかで温かかったですね」
「本当よ。泥んこになって追いかけっこしてる魔族の子供なんて初めて見たわよ。正直、まだ衝撃が抜けないわ」
優しい笑顔を見せるメリスと好奇心を抱いた顔のロリエは口々にそう言った。
「平和を好む魔族がいるのは分かった。……だが、果たして世間様がそれを信じてくれるかどうかなんだよな。魔族は忌むべき存在、その常識を覆すのは魔王リザエラを討つより難題かもしれん。それが懸念点だ」
「時間はかかるでしょう。それでも、私は魔族と人間が手を取り合う夢を諦めません。それが父から受け継いだ、私の使命ですから。それも含めて実現させます」
もっともらしい不安要素を浮かべながら語るジャードに対し、ファミーナは自信に満ちた表情で応えてくれた。
改めて見ると、本気なんだなって思わせる。
「だったら俺たちは尚のこと、リザエラを討伐しなければだな」
「そうね。ファミーナのためにもね!」
「本当にありがとうございます」
俺とシャーロットが改めて決意を示すと、ファミーナが深々と頭を下げ、すぐに顔を上げた時だった。
「よろしければ、この後に———」
彼女が何かを提案しようとした刹那。
――ガァン!ガァン!ガァン!
「「うおっ?」」
「何なの?この音?」
「これは……?」
穏やかな空間を斬り裂くように、けたたましい鐘のような音が集落に響き渡る。
「ファミーナ!これは一体?ッ!?」
「ファミーナ?」
「まさか……?」
シャーロットがファミーナに説明を求めた時、彼女の顔から一気に血の気が引いていた。
だが、俺は本能的に直感できた。この集落にあってはならない事件が起きようとしていることを……。
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