第131話 魔族領のすぐ側にある町
第四章の開始です!
魔族領の最奥にあろう、禍々しい黄昏とどす黒い色の雲に閉ざされた暗黒の地に沈みながら、寒気を帯びた石造りの城壁。
その堅牢な城の深奥には光さえも侵入を躊躇う漆黒の空間に一筋の炎が揺れていた。
跪く部下の報告を豪奢でありながら、禍々しい椅子に深く腰を下ろした魔王リザエラは退屈を噛み殺すような沈黙で受け止めていた。
「それで、足取りは掴みかけているのだな?」
鈴の音のように澄んでいながら、聴く者の脊髄を凍らせるような声色。
幹部の一人であるバリオルグは深く頭を垂れた。
「はっ……。確証には至りませぬが、辺境に放った斥候より探している者の魔力の残滓を確認したとの報告が入っております。発見されるのも時間の問題かと……」
「そうか。ようやく、我が城へ連れ戻せるというわけだ」
リザエラの唇が薄くも残酷な弧を描く。
「直ちに部隊を編成せよ。バリオルグ、人選は貴様に任せる」
「御意に!直ちに———」
「待て。部隊にはザルヴァも同行させろ」
立ち去ろうとしたバリオルグの足がその名を聞いた瞬間に止まった。
彼はその決定に思わず問い返す。
「……ザルヴァを……でございますか?しかし、奴は今、強化のために改造槽の底で眠っております。調整を中断すれば———」
「終わってからで構わん。やるのだ」
有無を言わせぬプレッシャーが部屋の空気を圧壊させる。
「はっ……。御心のままに」
指示を受けたバリオルグは今度こそその場を去るのだった。
一人残されたリザエラは背もたれに身を預け、窓の外に広がる鉛色の空を見つめた。
「我の力が弱っていた時とは言え、隙を突かれて逃がしてしまったものの、見つかりそうで何よりだ。ふふ……どこまで逃げようと、貴様の血は我が呪縛からは逃れられぬのだ」
リザエラは細い指先で、自らの紅い唇をなぞる。
そして呟く。
「次こそは二度と逆らえないようにしてくれよう……。忌々しくも反発する我が娘よ……」
その瞳に宿ったのは、母性とは程遠い、獲物を執拗に追い詰める捕食者の愉悦だった。
暗闇の中で蝋燭の火がプツリと絶えた。
後に残ったのは、得体の知れない静寂と冷え切った魔王の笑い声だけだった。
◇———
フォーペウロの王都バアゼルホを離れ、魔族領との境界線が近づくにつれ、高く澄んでいた青は濁った鉛色へと少しずつ塗り潰されていく。
「着いたけど……これは想像以上に……」
「ああ、何となくはイメージしていたんだけど、実際に目にすると、くるものがあるわね……」
俺とシャーロットはそう呟いた。
魔族領に向かう俺たちはその境目辺りの町を訪れており、視線の先に広がるのは墓所のような静寂に包まれた町だった。
一見するとどこにでもありそうな辺鄙な町のように思えるが、やはり空気が栄えた都市とは大きく違っていた。
石造りの石造りの建物の数々が大なり小なり損壊しており、崩れた壁の隙間からは寒々しい風が吹き抜けている。
魔族や魔物の襲撃を受けた跡なのだろう。
道行く人々の身なりは酷く汚れ、希望を吸い取られたかのように足取りは重い。
「空気が王都とは根本的に違うな……」
俺は独り言のように呟いた。
ここは単に目に見える形で寂れているだけではない。
魔族領から漏れ出す嫌な気配が町全体の生気をじわじわと蝕んでいると思えてならない。
「何だか雰囲気暗いわね……」
「予想していたつもりなんだが、こうして垣間見るとな……」
ロリエとジャードが口々にそう言っていたものの、俺も同感だと思う。
「ここで暗い顔をしていても始まらないわ。まずはこの町で何が起きているのか、どんな被害が出ているのか、情報を集めましょう!」
一行の沈滞した空気を切り裂いたのはシャーロットの凛とした声だった。
彼女は努めて明るく振る舞いながら、テキパキと指示を出していく。
シャーロットはロリエと、メリスはジャードと、そして俺は単独行動を取ることになった。
「リュウトさん、本当にお一人で大丈夫なのですか?よろしければ、わたくしたちと一緒に……」
メリスが不安げな表情で問いかける。
「心配しなくてもいいよ。三手に分かれた方が目立ちにくいし、有益な情報も手に入りやすくなる。それに、一人の方が身軽に動ける分、立ち回りにも応用が利くからな」
「……」
「メリス、ここはリュウトを信じましょう」
シャーロットが静かながら、確信に満ちた口調で割って入った。
「リュウトはエレミーテ王国騎士団の遊軍調査部隊で修羅場を潜り、冒険者としても確かなキャリアを積んできた男よ。このメンバーで斥候としての腕が一番確かなのは彼だわ」
「そうだぜ。リュウトの実力はあの厳格で知られるシュナイゼル団長が直々に実力を認めてるくらいなんだ。俺たちの心配をする方が野暮ってもんだぜ、メリス」
シャーロットがしっかりフォローし、ジャードが豪快に笑いながら俺の肩を叩く。
にしても、あのシュナイゼル団長が俺を認めているなんてな……本人から直接聞いたわけじゃないし、なんだか照れくさいじゃないか。
「その代わり、リュウトはもちろんだけど、みんなも少しでも危険を感じたら、迷わず撤退を優先すること。いいわね?」
シャーロットの号令を合図に俺たちはそれぞれの方向へと散った。
それぞれが情報収集に勤しむ一方、 シャーロットは転びそうになった子供を咄嗟に抱きとめ、ロリエは泥だらけの少年に水魔法と風魔法をかけて小綺麗に整えていて、メリスは無償で怪我人の傷を癒し、ジャードは老夫婦の重い荷物を軽々と肩に担いで運んでいた。
こうして見ていると、皆が立派な人格者であると再認識できる。
俺も頑張らなければな。
「……さて、こっちは今のところ空振りだな」
俺は町の北側、魔族領に一層近い出入口のような門まで来ている。
その境界の先に禍々しいねずみ色の雲が垂れ込めている。
魔王、そして奴に付き従う幹部たちがあの先にいる。
「……ここからなら、何か視えるか?」
俺は門の影に身を潜め、深く息を吐いて意識を研ぎ澄ませた。
集中力を高めながら、<感覚操作>を発動させる。
視覚が望遠鏡のように数キロ先を捉え、聴覚が風の唸りから微細な足音を抽出していく。
周囲を探索した数秒後……。
「っ……!?」
瞬間的に俺の脳内に一つのフラッシュバックが走った。
バアゼルホでやり合った魔王軍の幹部の一人だったシェリーとの戦いの中で感じたそれと似ている。
平衡感覚を失うような眩暈が襲い、一秒ほどの空白の後、俺は冷や汗を流しながら一点を見つめていた。
「方角は……あっちか」
考えるより先に本能がその場所へ行けと叫んでいたような気がした。
俺は仲間に連絡を入れる間も惜しみながら、弾かれたように走り出す。
気付けば俺は町から数キロ離れた枯れたような林の入り口に立っていた。
「ここは……なんだ……?」
俺を襲ったのは肌にねっとりと絡みつくような不快感と肺の奥を突くような重苦しい空気だった。
ただ、確信はできた。
この林には……看過してはいけない何かがある……と。
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