第一幕 2
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世界の東側半分にあたる、広大な領土を支配する帝国。
その帝国領の、南北でいえば北部、東西でいえばちょうど真ん中あたり、地中海に面した半島にある中堅自由都市、アテナイ。中堅と言うのは人口一万弱くらい。
一年前から、僕が暮らしている街だ。一年中暖かくて過ごしやすい気候だから、割と気に入っている。
アテナイの中心には神殿の丘があり、古代神殿が、千年の時を経て現在まで厳粛な姿を保っている姿を、市街のどこからでも拝むことが出来る。そして神殿の丘を囲うように円形の中央広場が整備されており、対面を市庁舎や礼拝堂、高級住宅街が囲むように建てられている。
今朝の目的地は中央広場で開かれる青空市場、通称中央市場。貧民街で暮らす僕からすると、よだれが垂れてしまうような美味しそうな食べ物や、物珍しい雑貨なんかが売っている市場だ。
僕は今、ギメルの舎弟みたいなものだ。
もう少し具体的に言えば、ギメルの依頼を受けて仕事をして、報酬を貰う。仕事の内容はなんでもよく、制限は特に設けていない。
珍しい仕事から紹介すると、『失踪した猫ちゃんの発見・保護』とか、『カビだらけの浴場の清掃』とかいった、便利屋まがいの依頼も入ってくる。もちろん僕は喜んで仕事をこなすようにしているけれど。
しかし、さすがに『時給銅貨一枚!内装工事のお仕事!』とか『時給銅貨一枚!酒場の厨房で皿洗い!』とか、そういうのは悩んだ末に「ただの求人じゃないか!」とツッコミをいれたうえでお断りしている。
とは言え、そういう仕事はそもそも珍しく、件のギメルが持ち込む仕事とは、もっぱらスリ、空き巣、火事場泥棒、詐欺、まあそんな感じだ。くだらない犯罪を生業にしているという認識はあるにはあるけれど、他に生きていく方法を僕は知らない。
だから今日も、いつも通りに、仕事を開始する。
ギメルと別れてから、歩を進める度にだんだん豪奢な建物が増え、街の中心部に到着すれば、すなわち市場。着いてみれば、今日は思った通り、たくさんの人が集まっていた。
ひと際多くの買い物客が集まる露店を観察してみると、やはりエルサレムからの行商人のようだ。聖地土産のような商品に、帝国領アフリカの象牙なんかの、たくさんの商品が露店に並べられている。露店の数もいつもよりたくさんある。
ふーん、確かに珍しい品がたくさんあって面白いな。ん、あのカーペットやら陶器の紋様は?帝国領のものではないな?ヴァチカン教会連合の品か?ああ、なるほど。エルサレムは連合軍との戦地だから、戦地とは言え、あちらこちら商品が横流しされたり闇取引されたりしているわけだ……。
――まあ、僕の狙いはそっちではないから、どうでもいいんだけれど。
気を取り直して露店を物色しているお客さんを観察しながら、獲物を探す。
こじゃれた着物を着たおっさんを発見。今日は着飾って奢侈品を買っては、己の財力を見せびらかそうとの魂胆が丸見えだ。
悪趣味な成金にありがちだが、重そうで立派な革袋を、無防備で腰に下げている。そしておっさん、色鮮やかなカーペットを絶賛物色中。お買い物に夢中だ。
――あーあ。取ってくれって、言っているようなものじゃないか……。
コイツに狙いを定める。
背後からおっさんに接近していく。距離にして後十歩。
お買い物が楽しくて、うきうきステップを踏む少年に見えるように、くるっと体を反転させて、対面の露店の商品に見とれるフリをする。
背中合わせでさらに接近して――。
満面の笑みでおっさんにぶつかる。
「あっ!ごめんなさい!」
謝ると同時におっさんの腰に左手を伸ばし、革袋を失敬。
身なりを覚えられる前に、僕はそそくさと退散。
あっという間に任務完了。
――お望み通り、ってね。ごちそうさま。
犯行現場から離れて、人目につかないようにそっと革袋の中身を確認してみる。
おおー、なかなかの大漁じゃないか!
銀貨、銅貨が合わせて四十枚くらい。それに金貨が十枚も入ってる。
いやー、おっさんお金持ち!
現物を持って立ち止まるのは危ないから、革袋を懐に仕舞って歩きだす。
もうちょっと任務遂行してもいいかな。いや今日はもういいかな。欲張り過ぎは良くないもんな。
なんてことを考えていると、露店主との価格交渉に夢中になっているおばちゃんを発見した。少しでも得をするためなら、どんな労も惜しまないかのように、店主と大声でやり合っている。まるで言い争いの口喧嘩だ。
すると値切ることしか頭にないおばちゃん、手に持っていた革袋を脇に置いて、店のカウンターを両手でバンバン叩き始めた。
値切る以外の一切の視野を失い、まったく周りが見えていないおばちゃんの視線は、完全に革袋から外れている。
――なんて迂闊な……。要らないってことか。
露店に向かって真横から接近する。
気付かれないように音を立てず、しかし直ちに、最短距離で一気におばちゃんとゼロ距離まで詰める。
おばちゃんの真横に着くと、露店のカウンターに手をつき、思いっ切り前のめりになる。商品をのぞき込むふりをして、店主とおばちゃんにとって真下に死角をつくる格好だ。
さらにカウンターにつんのめり、振り子の要領で革袋に覆いかぶさり――。
刹那、退散。
冷やかしの少年がいなくなった頃には、革袋も無くなっている、という戦法。
――不用品の回収承ります、ってね。毎度あり。
二戦目も白星の成績。
感触的に、持った感じ、あのおばちゃんの財布も軽くは無い、と言うか重い。
無茶苦茶に値切っていたんだけどなあ。その割に……。世の中わからんな。まあ、金持ちほどケチ臭いっていうしね。チラッとみた感じ、金貨も数枚入っていたし。首尾よし。中身は後でちゃんと確認しよう。
もう、充分でしょ。やりすぎは良くないからね。
八分目の満足で撤収を決め、市場から離れようと、広場の外に向かって歩を進める。決して大金というほどではないかもしれないけれど、日々暮らしていく分には十分な金額を、ものの数十分で稼げるのだから、この仕事も悪くはない。仕事と呼んで差し支えないならば、の話だけれど。
まあ、いずれにせよ今日の成績はかなりいい方だろう。少なくとも、貧民街の基準で言えば、僕の稼ぎは相当良い方だ。
さて、今日もお疲れ様でしたっと。疲れては無いけれど、っと。
と。
と――。
見つけた。
なんだありゃ。
あれは、猫だ。うん。
眠っている、猫?
の、ような人間?
広場の端の露店の隅で、うずくまっている、猫、のような。
少女。
くしゃくしゃのショートカットの赤髪に、同じ毛色の猫耳が立っている。
丈の短い、みすぼらしく薄汚れた、フード付きの黒ローブを着ている女の子は、僕と同年代に見えるけれど、結構ちっこい。顔も丸っこくて、なんだか可愛らしい。
ローブの裾からは、薄汚れているが、華奢でかわいらしい足がのぞいている。
靴もボロボロだ。
両腕、両足をを折り曲げ、縮こまるような格好で、地べたに寝転んでいる。容姿も仕草も、まるで野良猫のようだ。
近づいて膝を折り、覗き込んでみると、すやすや寝息をたてて眠っているらしい。
さて、僕の彼女に対する第一印象。
――ちょーかわいい!なにこのかわいい生き物!
今日は何か特別な日だったのだろうか?
いつも通りに朝起きて、いつも通りにスリを働いて、いつも通りの日常を過ごすつもりでいた、別に代わり映えなんて、望んでいたわけではない日々の延長線上。
今日、この日に。
猫耳を生やした女の子を、僕は見つけた。
言うまでもなく、僕の人生において、初めての出来事だった。
どうする。
僕に脳内選択肢が醸成される。選択肢は?
無視する。あるいは、声をかける。
選べ。僕の選択は?
さあ、いってみよう!
――欲しい!拾う!
僕はすっかり保護欲の塊になってしまっていた。
たまらず近くにいる露店主のおばちゃんに声をかける。
「おばちゃん!この猫、売り物?飼い猫?」
はあ?という感じで怪訝そうな目を僕に向けるおばちゃんが答える。
「何言ってんだい?あんた。そりゃあ、人だろう?人間の女の子だろう、それ?まあ、さっきからそこで寝ているけどねえ。あたしゃ知らんよ?」
そうか。飼い猫では無いのか。じゃあ問題ない。
「おばちゃん、そのトマトの箱、もらっていい?拾ってく、この猫」
「拾うって!あんた人さらいでもする気なのかい?」
怪訝そうな目をさらに細めて、しわを寄せて僕をジロジロ見つめるおばちゃんに、僕は当然のように自己の見解を述べる。
「こんなかわいい猫、保護しないとかわいそうだよ。愛護ってやつだよ」
「猫じゃなくて女の子だろう……?あんた何言ってんの……」
もはやあきれ顔のおばちゃん。
――ちょっとだけ、騙されてくれ。おばちゃん。
「いやいや、どっからどう見ても猫じゃないか。僕にはかわいい猫にしか見えない。この子は猫だよ。そして僕は猫を保護するんだよ。いいから、さっさとその箱を僕に渡してくれないか?」
呆然と僕の言葉を聞くおばちゃん。当たり前だけれど、僕は嘘をついた。
「あら、よく見りゃ猫だったね……。あたしゃ目がイカれたかね……?」
と、ため息交じりに漏らすおばちゃんは急に笑顔になり、僕に箱を手渡す。
トマトの箱を受け取って、もう関心を失ったおばちゃんを尻目に、僕は猫耳少女を起こさないようにそっと箱に詰める。
さすがにトマトの箱じゃ女の子の全身は入らないが、まあ、お尻がすっぽり収まってるからいいか。こういうのは箱に入った子猫を拾うっていう、場面的な満足感の問題だし。大事なのはシチュエーションだからね。
お尻がすっぽり箱に収まった猫耳少女を見ていると、なんかテンションが上がってきた。
女の子はまだ眠っている。起きる気配はない。
スヤスヤと、何を夢見ているのか。
無邪気な顔をして眠っているように、僕には見えた。
うん。箱にお尻がはまった姿もかわいいなあ。
今日は運がいいらしい。ギメルに自慢しよう。
衝動的に猫のような少女を拾ってしまった僕は、そそくさと、猫耳少女の入った箱を抱えて市場を後にした。




