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背中合わせの女王  作者: 雲居瑞香
その他
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2月14日

バレンタインに乗っかってみました。














 最近になって、2月14日に行われるイベントがレドヴィナに入ってきた。基本的に恋人や夫婦が愛を確かめ合うものであるが、親しい相手に贈り物をすることもある。


「と言うわけで、はい」

「何、これ」

「前にアップルパイが食べたいって言ってなかった?」

「言ったわ。もしかして、作ってきてくれたの!?」


 ウルシュラの目の前で、このレドヴィナの女王であるエリシュカは目を輝かせた。ウルシュラが差し出した白い箱に入っていたのは、彼女が作ったものだ。以前、エリシュカに『手作りアップルパイが食べたい』と言われたのを思い出し、柄にもなくイベントに乗っかって作ってみたのだ。


 エリシュカは箱の中に入っているアップルパイを見て顔をほころばせた。


「後で一緒に食べましょう。今日貰った贈り物の中で一番うれしいわ。それにしても、この時期によくリンゴなんて手に入ったわね」

「これでも大公なのでね。希少性が高くてもたいていのものは手に入るわよ」


 女王の執務室のソファに今日も偉そうに腰かけるウルシュラが言った。それを見て女王の護衛であるラディムが顔をしかめたが、彼女を睨むだけで終わった。ウルシュラが大公であり、国内の序列ではエリシュカに次ぐ地位を持っているのは本当なのだ。つまり、彼女は本当に偉い人間なのだ。


「あなたのその態度もここまで来ると見事なものよね。本当はそんな性格じゃないのに」


 エリシュカがアップルパイの箱をよけて書類を発掘しながら苦笑した。ウルシュラのこの偉そうな態度は作ったものである。本来からひねくれたような性格をしていたが、こんなにひどくなったのは大公位を継いだころからである。


 まあ、それはどうでもよく。


「それにしても、この部屋、すごいわね。窓を開けてても薔薇の匂いが充満してるわ」

「貴族の子息から送られてきたの。みんな、わたくしに送ると言ったら薔薇しか思いつかないらしいわ」


 そう。エリシュカの執務室には薔薇の花があふれかえっていた。イベントが浸透してきたので、貴族たちが女王にご機嫌伺いとばかりに薔薇の花束を贈った結果である。ただ、送り主は不明だ。贈り物をするが、送り主は書かないのがレドヴィナでの流行りなのだ。


 薔薇の花の色は王道の赤が一番多いが、紫やピンク、白もある。紫の薔薇は王座を意味し、ピンクや白はエリシュカをイメージしたのだろう。彼女が金髪であることを考えると、黄色でもおかしくないかもしれない。


「まあ、レドヴィナの国章は薔薇だしね。私も薔薇にすればよかったかしらね」


 ウルシュラはそう言って苦笑したが、エリシュカが「アップルパイの方がうれしいわ」と言った。贈り物には消えものがいい、と誰かが言ったらしいが、それは事実かもしれない、とウルシュラは思った。


「ウルシュラの所には来ないの? 大公で、副宰相でしょう?」

「来ないわよ。来ても困るわ」


 貴族の中では評価の低いウルシュラである。わざわざ彼女に贈り物をしようと言う人間はいないだろう。そもそも、贈られても困る。


「そうかしら。新しい副宰相に一目置く人も多いらしいけど?」


 からかうような口調でエリシュカは言ったが、ウルシュラは「そうみたいね」と答えるだけだ。ウルシュラが官僚として優秀なのは事実だが、その事実に感情が追い付いてくるかと言われたらそれは微妙なところだろう。


「……それに、あなたと違って私には婚約者がいるし……」


 自分で言って、ウルシュラは恥ずかしくなった。エリシュカがにまにましている。


「ウルシュラ、かわいい」

「うるさいわ!」


 年が明けてすぐ、ウルシュラは婚約した。まさか自分が婚約するとは思わなくて自分で自分が信じられない。


 彼を愛しているか、と言われたら、ウルシュラは「わからない」と答えるだろう。こんな気持ちになったのは初めてだからだ。そして、好きか、と聞かれたら好きと答えるだろう。


 ウルシュラはエリシュカのことも好きだ。亡くなった両親のことも好きだし、愛している。そう言った『好き』や『愛情』とは、彼に向ける感情はちょっと違う気がするのだ。


「今日はもともと、恋人同士とか夫婦の愛を確かめ合う日らしいものね。婚約者がいる女性に、贈り物をしたりはしないわよねぇ」


 エリシュカがくすくす笑いながら言った。ウルシュラは唇の端をぴくぴくさせたが、何も言わなかった。エリシュカの言ったことは事実で、常識であるからだ。普通、婚約者がいる相手に異性が贈り物をすることはない。ウルシュラはエリシュカに贈り物を持ってきたが、それは2人が同性同士で友人だからだ。異性だったら、ウルシュラもこんなことを気軽にしなかっただろう。


「それで、ウルシュラ。ちょっと確認したいことがあるんだけど」

「何?」

「ええ。今日の議会でね……」


 先ほどまでの浮ついた空気はどこへやら。2人は政策についての話し合いを始めてしまった。2人はやはり、優秀な為政者であると言うことなのだろう。













 ひとしきりエリシュカと議論を交わし、さらに自分が持ってきたアップルパイも一緒に食べてしまったウルシュラが自分の執務室に戻った時、すでに夕日がさしていた。まあ、冬場は太陽が沈むのが早いので、まだ時刻的には午後3時ごろではある。


 そっけない執務室の中に、ウルシュラはやけに色鮮やかなものを発見した。つかつかと執務机に歩み寄ると、それを取り上げる。赤い薔薇の花束だった。その花束からメッセージカードが落ちる。床に落ちたそれを、ウルシュラはしゃがんで拾い上げた。差出人の所には『あなたを慕っているものより』と書かれている。なるほど、これがうわさに聞く差出人不明の贈り物か。


 裏返してメッセージを見ると、『あなたが私にとってどれだけ大切か知ってくれていますように』と書かれている。潔いまでに定型文である。


 それでも、ウルシュラは微笑んだ。送り主が誰かはわかっていたし、初めてのこういった贈り物に少し浮かれていたのかもしれない。単純に『うれしい』と思えた自分が少し不思議だった。


 ただ、贈り主がだれかわからなければ、贈られた方は少し怖いかもしれないなぁ、とも思った。ひそかにやるのが楽しみでもあるのだが。


 後で会ったら彼にお礼を言っておこう。そう思いながら、ウルシュラはカードは片づけ、赤い薔薇を花瓶に生けた。
















 ウルシュラが言うところの『彼』はもちろんエルヴィーンである。彼もウルシュラと同じくあまりイベントに乗っからないタイプなのだが、兄や女王にそそのかされて柄にもないことをしてしまったと思っていた。


 そして、花束に付けたカードにも少し後悔していた。書いた文は定型文で、彼女ならそのことにすぐ気づくだろう。もう少し気の利いた言葉を書けばよかった、と思いながら、そんな気の利いた文章は思い浮かばないとも思った。


 フィアラ大公ウルシュラとの婚約が決まってから、エルヴィーンは女王の護衛ではなく後進の指導に回ることが多くなった。まだ指導に回ってひと月半ほどしかたっていないが、表情の動かないエルヴィーンはすでに訓練生たちに『怖い』と思われているようだった。


 その事実を受け入れるにあたって、彼は、今まで自分の周りにいた人たちは図太くも優しい人たちばかりだったと思い知った。



「ああ、いたいた。エルヴィーン」



 聞き覚えのある声に呼ばれて、エルヴィーンは声のする方を振り向いた。相変わらず色の濃いドレスに身を包んだウルシュラである。公私の差がはっきりしている彼女であるが、今の声音はプライベートな方の声だったと思う。宮殿では珍しい。


「どうした。珍しいな」


 プライベートな口調も、彼女がわざわざ探しに来るのも珍しい。そう言った二重の意味を込めての言葉だった。


「ああ。ええ。もう帰るから、とりあえずお礼だけ言っておこうと思って。素敵な贈り物をありがとう」


 ニコリと笑って言われた。『素敵な贈り物』とは、彼女の執務室の机に置いておいた薔薇の花束のことか。口調が嫌味っぽくなかったので、単純に礼を言われただけだとわかる。


 しかし、習慣に従って名前は書かなかったのに、エルヴィーンからだと気が付いたか。時々、彼女は筆跡鑑定もできるのではないかと考えているエルヴィーンだった。


「名前を書かなかったと思うが、わかったのか」

「仮にも婚約者がいる女性に花束を贈る人なんて、婚約者か家族ぐらいだわ」

「なるほど」


 それは納得である。


「それじゃあ私はもう帰るわ。花束を本当にありがとう」


 そう言ったウルシュラの笑みは、やはり議会で見せるような作った笑みではなかったので、本当に喜んでくれたのだと思う。気が利かなかったかな、と思ったが、彼女が喜んでくれたのならそれでいいか、と思い直した。


「いや、あなたが喜んでくれたのならよかった。というか、今日は早いな」


 副宰相であるウルシュラは何かと忙しい。夜中まで仕事をしていることはざらで、エルヴィーンは執務室で寝ているウルシュラを運んだり、屋敷まで送ったこともある。


「今日は早めに帰らないと、エリシュカの贈り物騒動に巻き込まれる気がするわ」

「ああ……」


 エルヴィーンはちらりと見た女王の執務室を思い出した。窓を開けてもこもるほど、花の匂いが充満していた。女王的には、贈り主が断定できるものには返事のカードを贈りたいところだろう。女王の印象アップのためだ。膨大な数だったので、ウルシュラが残っていれば返事書きに駆り出される可能性はある。


「と言うわけで、今日は帰ることにしたわ。エルヴィーンも頑張ってね」


 エルヴィーンはひらひらと手を振って身をひるがえそうとしたウルシュラの手をつかんだ。いきなりつかんだからか、ウルシュラがびくっとした。


「な、何?」

「いや……」


 反射的だったので、なぜウルシュラを引き留めたのかエルヴィーン自身にもわからなかった。そんなわけで、彼は何も考えていなかったということだ。


 エルヴィーンは少し考え、ウルシュラに顔を寄せた。ウルシュラが眼を見開いて顎を引く。額が目の前に来たので、エルヴィーンはウルシュラの額に口づけた。つかんでいたウルシュラの腕を解放する。


「じゃあ、気を付けて帰れよ」

「え、ええ」


 ウルシュラが顔を赤らめながらうなずいた。こういうふとした仕草がかわいらしいと思う。背中を向けたウルシュラを見ながら、やはり自分は末期だな、と冷静に思うエルヴィーンだった。













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


なんとなく、ウルシュラの女子力が微妙に高い気がした。

彼女とエルヴィーンはどこまでも冷静なので、書いているととても面白いです。


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