2話
「はぁ……」
自室のベッドに腰を下ろして、今日既に何度目かも分からないため息を吐く。
帰ってからチェックした携帯の着信には美尋からのこちらを心配する旨のメールと、学校から連絡が行ったらしいお母さんからの、私の容体を確認する旨のメールが届いていたので、どっちにももう大丈夫だからと、それから美尋の方には今朝の態度の謝罪も入れて返信しておいた。
そう、保健室での一件、幸い廊下には誰もいなかったみたいだけど、何時保険医が来るかも分らないから、一人になりたかった私は、あの後学校を早退することにした。
……鞄を取りに教室に戻る時、美尋と顔を合わせるのが怖くて移動教室の時間に合わせてしまった。
「だけど、何時までも逃げてなんていられない」
今私に出来る事――先ずは前世の記憶と、ゲームを再現しているらしい今の状況を整理する事から。
とは言っても、前世の事を完全に思い出したわけじゃ無い。考えてみれば当然だけど、四歳やそこらの事でさえ碌に憶えてないのに、文字通りの生まれる前の事なんて憶えている方がおかしい。
実際、私が憶えてる前世の記憶なんて、殆どが何となくこういう事が有った気がするって程度の物で、何かきっかけでもない限り、はっきりと思い出す事も出来ない。
それなのにゲームの事に気付いたのは、前世の私が相当このゲームに嵌ってたか、ゲームのストーリーが始まってゲームに有ったシーンを実際に体験したせいか……、多分両方なんだろうな。
そのゲームは乙女ゲーム、簡単に言うと主人公の女の子を操作して攻略対象のキャラクター(基本的に同世代の男の子)との恋愛を楽しむゲームだ。アクションやRPGと違って戦闘も無ければ、ゲームオーバーで人生が終了する事も無いのは、まあ不幸中の幸いだと思おう。
ゲームの流れだとストーリー前半の行動選択でルートが決まって、ストーリー後半は個別のルートでキャラクターと恋愛することになるわけだけど、今朝の事を考えるとゲームで出来なかったから現実でも出来ない何てこともないみたいだ(ゲームだとあのシーンに選択肢は存在しない)。ゲームのシナリオ通りに動くなんて、誰かの操り人形みたいで面白くないし、それ以上に気味が悪い、だから今後の方針としてはなるべくゲームとは違う事をしたり、攻略キャラに会わない様にしたい。
「……問題が、大きく分けて二つ有るんだよね」
一つはゲームの知識が不完全……というより、大雑把にストーリーとキャラクターを把握してるくらい、寧ろ思い出してない事の方が多くて、細かいイベントの事になるとほぼ全滅、その時にならないと分からないって有様。例外として、実際に経験したシーンの事や、今の私と関係が深い相手の事は結構思い出せるみたいだけど、それを生かせるような状況なんて、そうはないよね。
もう一つは……、言ってみれば私の気持ちの問題。
ゲームの設定と現実を切り離して考えられない……、これだけ聞くと現実とゲームの区別が付かなくなった危ない人みたいだけど、実際にゲームが現実になったって言っても過言じゃないような状況なんだよね。……まるで私も、私の周りの人達もゲームを再現する為の舞台装置でしかないような錯覚に陥りそうになる。
「――――だから美尋とも、どう接したら良いのか分からない。……違う、どうすればいいのかなんて分かってる。美尋と一緒にいたいなら、ゲームの事なんか気にしないで今までと同じように接していればいいんだ。……だけど、そんな簡単な事が今の私には出来そうにない」
私と美尋と友達になった事にゲームの設定なんて関係無い、――そう言い切る事が出来ない。
私は、これまで自分で考えて自分の意思で行動して来たと思ってる。……その結果がゲームと同じ状況なんていうのは、全くもって笑えない冗談だよ。
「知らない方が幸せな事もあるって、ホントだよね。――――知っちゃったら、知る前には戻れないんだもの」
美尋は私の親友だ、それは変わらない。――変わらない、筈なのに、美尋がゲームの設定のせいで私の親友にさせられたのかも知れない、我ながら莫迦げた考えだと思うけどそんな風に考えてしまうと私が美尋の親友でいて良いのか判らなくなって、それが怖くて堪らない。
「駄目だ、考えが嫌な方にばかり行っちゃう。まだ大分早い時間だけど、今日はもう寝た方がいいかも」
ネガティブな思考を振り払うように、勢いよく背中からベッドに倒れ込むと、逆さまになった視界の中で、不貞腐れた様な表情をした猫のぬいぐるみが私を見下ろしていた。
私は、殆ど無意識の内ににぬいぐるみに手を伸ばしていた。
「あっ」
不用意に触ったせいでバランスを崩したぬいぐるみは、ポフッという軽い音と共に私の顔に着地した。
私は、縋るようにぬいぐるみを強く胸に抱きしめて、小さく足を屈めて横向きにベッドに寝転がった。
「……なさけないな、わたし」
このぬいぐるみは、以前美尋と遊びに出かけた時に一緒に買ったやつだ。……私はこの子が一目で気に入って買う事を決めて、美尋も最初はあんまり可愛くないって言ってたけど、よく見れば不思議な愛嬌が有るって言ってくれて、結局同じシリーズの眠たい様な表情のぬいぐるみを買ったんだ。
これまでの思い出が輝いているほど、それが穢される気がして今が苦しくなる。
私は、抱きしめていたぬいぐるみを顔の前に持ってきて、ぬいぐるみに話しかけるみたいに口を開く。
「――――それでも、私は美尋と一緒にいたい。もっと一緒に、色んな思い出を作って行きたい」
その為にも、まずは自分の気持ちに折り合いをつけないといけない。
ピンポーン
階下から聞こえてきた呼鈴の音でベッドから跳ね起きる、我に返るとかなり恥ずかしい事をしていた気がする。
共働きの両親はこの時間だとまだ帰って来ない筈だから、郵便かなと訪問者を予想しながら玄関に向かう。
ピンポーン
「はーい、今開けます」
再度鳴らされる呼鈴に少し慌てながら鍵を開ける。
「こんにちは。早退したって聞いたからお見舞いに来たんだけど、邪魔じゃ無かったかな?」
ドアの向こうに居たのは、十年ぶりにこの町に帰って来た幼馴染、雨宮静流だった。