第八章 言えるようになった娘と、言いすぎた午後
顔合わせから三週間のあいだに、ミレーヌとテオドールは四度会った。
一度目は、約束どおり王宮の西の庭園へ青い花を見に行った。二度目は、湖へ。三度目は、ミレーヌが前から入ってみたかった王都の茶館へ。どれも、ミレーヌが言い出した場所だった。言えば、テオドールは必ず「承知しました」と笑って、連れていってくれた。
言えば、叶う。
それが、ミレーヌには夢のようだった。
四度目の午後、二人はまた西の庭園を歩いていた。ミレーヌの仕事が早く終わる日で、テオドールは裁判所から直接来てくれていた。
「テオドール様。今日は、奥の東屋まで行きたいです」
「承知しました」
「それから、次のお休みは、湖の向こう岸の花畑に」
「承知しました」
「お手紙も、三日に一度いただけると嬉しいです。書記官の方の字は、きれいですもの」
「……承知しました」
東屋に着くと、テオドールは鞄から紙の包みを取り出した。甘さを控えた焼き菓子だった。顔合わせの日にミレーヌが頼んでから、彼は一度も甘すぎる菓子を持ってこない。
ミレーヌは一枚かじって、首をかしげた。
「今日のは、少し甘さが足りませんね。この前のお店のほうが、ちょうどよかったです」
「……申し訳ありません」
「それから、帰りは、もう少しゆっくり歩いていただけると」
「……はい」
返事が、少しずつ短くなっていった。
ミレーヌがそれに気づいたのは、帰り道だった。庭園を出るまでのあいだ、テオドールは一度も自分から話しかけてこなかった。いつもなら、裁判所で見かけた変わった書類の話や、綴じ紐の色が部署ごとに違う話を、ぽつぽつとしてくれるのに。
「では、また。お手紙を書きます」
王宮の通用門の前で、テオドールは丁寧に頭を下げた。笑ってはいたけれど、顔合わせの日の笑い方とは違っていた。
ひとりになってから、ミレーヌは手の中の包みを見下ろした。甘さ控えめの焼き菓子が、まだ三枚残っていた。
◇
翌日の昼、取り次ぎに通されて執務室に入ってきたミレーヌは、目の縁を赤くしていた。
「殿下。言えるようになったら、嫌われてしまいました」
「……座って。何があったの?」
窓際で書類を仕分けていたユリウスが、書類を置いて椅子をひとつ引いた。ミレーヌは浅く腰かけ、昨日の午後のことを順に話した。
奥の東屋まで行きたいと言ったこと。次のお休みの行き先。三日に一度の手紙。菓子の甘さ。歩く速さ。聞いているうちに、エレノアの手が勝手に動いていた。紙の左端に、小さな縦線が並んでいく。
五本。
「……前にも、こうして数えられた気がいたします」
「数えたわね」
「あのときは、言えなかったことの数でした」
「今日のは、言ったことの数ね」
ミレーヌが、泣き笑いのような顔をした。
「テオドール様は、どれにも承知しましたと仰いました。嫌だとは、一度も」
「嫌だと言わなかったから、嫌ではないと思ったのね」
「……はい」
「前のお付き合いのとき、あなたは、同じお店ばかりで本当は湖に行きたかったのに、一度も言わなかったでしょう」
ミレーヌは、はっとした顔でこちらを見た。
「……テオドール様も、そうだと」
「かもしれない、というだけよ。確かめたわけではないもの」
エレノアは、扇を膝に置いた。
「ひとつ聞くわ。あなたは、テオドール殿にどうしてほしいの?」
「ずっと、一緒にいてほしいです。嫌われたくありません」
「じゃあ、テオドール殿の好きな食べ物は?」
「え」
「お休みの日は、何をするのが好き? 行ってみたい場所は?」
ミレーヌは、口を開いたまま、何も言えなかった。四度も会ったのに、行き先はどれも自分が決めていた。菓子は、自分の好みに合わせてもらっていた。彼が何を好きなのか、一度も尋ねていない。
「……存じません」
「私も、知らないわ」
「殿下も?」
「言いなさい、とは教えたけれど、聞きなさい、とは教えなかったもの。私の教え方が、半分だったわね」
ミレーヌは、しばらく黙って紙の縦線を見ていた。やがて、小さく言った。
「聞いたら、答えてくださるでしょうか」
「それは、聞いてみないと分からないわ。でも、テオドール殿は、聞かれたことには正直に答える人だと思う。顔合わせの日、自分は察しのいい男ではないって、自分から言ったくらいだもの」
「……はい」
「今度は、あなたが聞く番よ」
ミレーヌは、紙の縦線に目を落としたまま、ゆっくりとうなずいた。
ミレーヌが何度も頭を下げて下がっていくと、窓際のユリウスが、書類を揃えながらぽつりと言った。
「聞かれなければ、言えない者もおりますので」
「テオドール殿のこと?」
「一般論でございます」
「ずいぶん実感のこもった一般論ね」
ユリウスは答えず、揃え終わった書類の角を、もう一度揃えた。
◇
三日後、約束どおりテオドールから手紙が届いた。きれいな字で、次のお休みの花畑への道順が書いてあった。
ミレーヌは返事を書いた。花畑の前に、お仕事のあと、少しだけ会っていただけませんか。行き先は、テオドール様に決めていただきたいのです、と。
約束の日、テオドールが連れていったのは、裁判所の裏通りにある小さな菓子屋だった。店の前で、彼は少し迷うような顔をした。
「本当に、私が決めてよろしかったのですか」
「はい。今日は、テオドール様のお好きなものを教えていただきたくて」
「私の、ですか」
「テオドール様は、何がお好きですか」
テオドールは、しばらく黙っていた。店の硝子窓の向こうで、砂糖をまぶした焼き菓子が山になっている。顔合わせの日に持ってきてくれた、あの菓子だった。
「……甘いものです。うんと甘いもの」
「まあ」
「あの日のお菓子も、本当は自分の好物でした。フォスターさんが甘すぎるのは苦手だと仰ったので、それからは控えめなものを。……自分の分を買うのも、なんとなく、やめておりました」
「どうして、仰ってくださらなかったのです」
「言われないことは一生気づかない、と申し上げましたが」
テオドールは、首の後ろを掻いた。
「自分のことを言うのも、慣れておりません。聞かれたことが、あまりないもので」
ミレーヌは、硝子窓の中の菓子の山を見た。それから、テオドールを見上げた。
「では、両方買いましょう。甘いのと、甘くないのと」
「両方、ですか」
「はい。それから、次のお休みの行き先も、今度はテオドール様が決めてください。花畑は、その次で構いませんから」
テオドールは目を丸くして、それから、顔合わせの日と同じ笑い方をした。
店を出たとき、二人はそれぞれ紙袋を提げていた。ひとつは軽く、ひとつは、砂糖の重みで少しだけ重かった。




