第五章 四度目の求婚と、白い小花
母と話した翌日、セドリックはローゼン伯爵邸を訪ねた。
応接間に通されたセドリックは、以前とは違う顔をしていた。背筋が伸び、声に迷いがない。クララは入ってくるなり、それに気づいたようだった。
「突然お訪ねして、申し訳ございません」
「いいえ。……侯爵様、そのお花は」
「私が選びました。母には、何も聞いておりません」
クララは、差し出された花束を見下ろした。白い小花ばかりを束ねた、飾り気のない花束だった。これまでの贈り物とは、色も品も、違っていた。きっとこれまでは侯爵家の夫人の好みだったのだろう。
「本日は、お願いがあって参りました。四度目になります」
セドリックは、一度だけ息を吸った。
「クララ嬢。私と、結婚してください」
クララの目が、わずかに見開かれた。すぐには答えず、花束とセドリックの顔を見比べている。
「これまでの三度は、母の許しを得てから申し込みました。今日は違います。許しを求めずに、決めたことを母に伝えてまいりました」
「……お母様は、何と」
「うなずいてくれました」
「お受けしたら、私は、あのお屋敷でお母様と暮らすことになるのでしょうか」
「いいえ。私たちは領地で暮らします。母は王都に。季節ごとに顔を見せに参ります。屋敷のことも領地のことも、……できることなら、あなたと決めたい」
クララは、すぐには答えなかった。窓の外で庭木が揺れる音が、やけに大きく聞こえた。
「……本当に、変われるのですか」
「先日、北の領地で橋が流されました。直す者も、費用の出どころも、自分で決めてまいりました。小さなことです。ですが、母に伺わずに決めたのは、初めてでした」
「求婚の日に、橋のお話をなさるなんて」
クララは、口元に手をやった。それから、初めて声を立てて笑った。淡い灰青色の瞳が、少しだけ潤んでいた。
「侯爵様。お返事の前に、ひとつだけ伺います」
「はい」
「今日、すぐにはお返事できないと申し上げたら、どうなさいます」
「お待ちします。今度は、母の顔色ではなく、あなたのお返事を」
「……三度もお断りしておいて。私も、諦めが悪かったのですね」
クララは、白い花束を胸に抱いた。
「お待たせするのは、やめにいたします。お受けいたします」
セドリックはその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。四度目にして初めて、自分の言葉だけで申し込んだ求婚だった。
扉の隙間から様子を窺っていたローゼン家の侍女が、廊下を駆けていく音がした。
◇
求婚から三日後、ヴァレンティ侯爵家とローゼン伯爵家から、婚約の届けが王宮に出された。爵位を持つ家同士の婚約は、調った時点で王家に届け出るのが決まりだった。
届けに目を通した国王アルベルトは、その日のうちに娘を謁見室へ呼んだ。
「ヴァレンティ侯爵と、ローゼン伯爵家の令嬢の婚約の届けが出た」
「はい。昨日、侯爵殿から知らせをもらいました」
「……侯爵は、お前の見合い相手だったな」
「はい」
アルベルトは、深く息を吐いた。傍らでは兄の王太子レオナルトが、笑いをこらえるのに失敗して肩を震わせている。
「お前は昔から、侍女だの下級官吏だの、他人の縁ばかり結んでおったが」
「はい」
「今度はとうとう、自分の見合い相手を他の令嬢にくれてやったのか」
「……結果的には」
「結果的にはではない」
レオナルトがとうとう噴き出した。
「父上、諦めてください。エレノアはこういう妹です」
「お前は黙っていろ」
アルベルトは額を押さえ、それから改めて娘を見た。
「それで、お前自身の縁談はどうするつもりだ」
エレノアは、答えられなかった。
クララの話を聞けば、侯爵殿と何が噛み合っていないのかは見えた。夫人の話を聞けば、なぜそうなったのかも見えた。それなのに、自分がどんな人と生きていきたいのかと問われると、何から考えればいいのかさえ分からない。
「……まだ、考えたことがありません」
「考えろ。お前の母も気にしておる」
謁見室を出ると、廊下にユリウスが控えていた。いつもの書類を抱え、いつもの顔で。
「お疲れ様でございました。陛下は、何と」
「自分の縁談を考えろって、叱られたわ」
ユリウスの持つ書類の端が、一瞬だけ揺れた。
「あなたはどう思う? 私の縁談」
「……私が申し上げることではございません」
「つまらない答えね」
そこへ、謁見室から出てきたレオナルトが通りかかった。妹の横に立つ内務官を見て、足を止める。
「ヴァイス。お前も苦労するな」
「恐れ入ります」
「いや、本当に、心から言っている」
兄は、気の毒なものを見る目でユリウスの肩を二度叩き、そのまま去っていった。
「お兄様は、何の話をしていたの?」
「……何でもございません」
ユリウスは、眼鏡の眉間を指で押した。疲れているときの癖だと、エレノアは知っている。今は、疲れるようなことは何もなかったはずなのに。
エレノアは肩をすくめて歩き出した。半歩後ろからついてくる足音を聞きながら、父の言葉をもう一度思い返す。
自分の縁談。
そう言われて思い浮かべようとした相手の顔が、なぜか、ひとつも浮かばなかった。
◇
婚約の届けが出てから十日ほどして、婚約してから初めて、クララがヴァレンティ侯爵邸の居間に招かれた。
ベアトリスは窓際の長椅子に、クララはその向かいに座った。セドリックは二人の間の椅子で、茶器を持つ手がわずかに硬かった。卓の真ん中には、庭の白い小花が、小さな花瓶に挿してあった。
話は、あまり弾まなかった。天気の話。領地の屋敷の話。ベアトリスが尋ね、クララが短く答える。そのたびに、茶が少しずつ冷めていった。
開け放した窓から、風が入った。まだ冷たい、春先の風だった。クララの肩が、かすかにすくんだ。
ベアトリスが、口を開きかけた。
それより先に、セドリックが立ち上がっていた。
「窓を閉めましょうか、クララ」
「……お願いいたします」
セドリックは窓辺へ行き、自分の手で窓を閉めた。母のほうは、一度も見なかった。
席に戻った息子を、ベアトリスはしばらく眺めていた。何か言うかと思われたが、何も言わなかった。代わりに、卓の上の花瓶を、クララのほうへ少しだけ寄せた。
「クララさん。白い花は、お好き?」
「はい。派手な花より、ずっと」
「そう。……よかったわ」
クララは、閉じた窓とセドリックの横顔を見比べて、それから、少しだけ笑った。
◇
茶会から五日後、ヴァレンティ侯爵家から、エレノアのもとへ小さな包みが届いた。
運んできたユリウスが、机の上に置いて一歩下がる。包みを解くと、白い手巾が一枚出てきた。隅に、白い小花が五つ、寄り添うように咲いていた。糸の運びが細かく、ひと針ごとに、あの癖があった。
添えられた短い手紙には、流れるような筆跡で、こう書いてあった。
刺しかけていた花を、ようやく咲かせました。同じ図案を、もう一枚刺しております。嫁いでくる方の分でございます。
エレノアは、手巾の花を指でなぞった。
「宿題の答え、ちゃんと届いたわ」
「夫人は、答えを見つけられたのですね」
「ええ。私が思っていたより、ずっときれいな答えだったわ」
エレノアは手巾を丁寧にたたみ、机の引き出しの、いちばん手前にしまった。
「殿下ご自身の宿題は、いかがなさいますか」
「……何の話?」
「陛下から、ご自身の縁談を考えるようにと」
エレノアは、黙って引き出しを閉めた。手巾はしまえたが、父に出された宿題のほうは、しまう場所が見つからなかった。




