第九話「少しずつ」
病院の廊下を神崎と歩く。
やはり病院というのは静かなもので、俺はどうしてもソワソワとしてしまう。
落ち着かない…
「ここです」
囁くような小声で、神崎は808号室の扉を指さした。
「分かった」
俺の返事を聞くと、神崎はドアノブを触る。
「じゃあ、開けますよ?」
「あ、俺なんも持ってきてないぞ」
忘れていた。見舞いなのに何も持ってこないというのはあまり良くないだろう…
「それは大丈夫です。私が急に言ったと言うのもありますし…」
「すまん」
「いえ、こちらこそ…」
それから、少しの間が空く。
「えっと…開けないのか?」
「あ、すみません!」
ーー神崎は慌てて扉を開いた。
「そ、そんな焦らなくても、」
「そうですね…すみません…」
神崎…大丈夫か…?やっぱり迷惑だったんじゃないか…?
だとしたら、ここで立ち去るというのもそれはそれで申し訳ないが…雰囲気のまま無理強いするわけにもいかないし…やっぱり帰ろう。
「なあ…神崎ーー」
ーー「こんにちは」
神崎に「帰る」とただ一言伝えようとした。
しかしその瞬間、口が止まった。
扉の向こうから聞こえたその声は千夏と同様、頭に響き渡るように透き通る、そんな美しい声だった。
俺は視線を向けたーーその先には、ベッドに上半身だけを起こした状態でこちらを見つめる小学生のような体つきの神崎の妹がいた。
サラサラとした長い茶髪でありえないほどに白い肌。
俺は「失礼します」と病室に入ると、神崎の妹のすぐそばまで行き、体をかがませた。
「こんにちは、えっと、名前はなんていうのかな?」
「名前は自分から名乗るものなのでは?」
神崎の妹はぷいっと顔を横に振る。
「こ、こら深冬、颯太さんに失礼じゃないですか!」
神崎が少し強めの言葉で注意をした。
神崎にしては厳しいな…いや、まあ、家族だしな…そりゃそうか…
「いいんだ、俺が悪い。」
神崎を軽くあしらう。
「俺の名前は高橋颯太、君のお姉さんのクラスメイト…まあ、友達だな」
「颯太さんですね。姉さんに言われてしまいましたが、私の名前は神崎深冬。小学生と勘違いしているなら悪いですが、一応中1です」
ちゅ…中学生だったのか…
「す、すまん」
「別に大丈夫です。慣れてるので」
そうは言ったものの…顔が凄く強張っていらっしゃる…
やばい…印象最悪じゃねぇか、俺、、、
「颯太さんはそれで、今回は何の用でここに?」
うーん…やっぱり歓迎はされてないみたいだな…
「お前の姉さんが妹に俺を紹介したいってことでな」
「…なるほど」
気まずい
…この空気どうしようか
何かないかと周りを見回してみる。
まぁ…やっぱり何も…
そのとき、ベッドの横に置かれている何冊かの本に気づいた。
「それ、転女じゃん」
「え、知ってるんですか」
少し興味を示したのか、深冬の顔が少しだけ明るくなった。
「俺全巻持ってるぞ」
「す、すご…あ、あの…良かったら…その…」
深冬はモジモジとしながら、俺に視線を向けてくる。
「貸そうか?俺もう読み終わったし」
「い、いいんですか?」
「ああ、いいとも」
結構嬉しかったのだろう。深冬はさっきまでの強張った顔が嘘のように、「やった!」と小声で小さくガッツポーズをしていた。
「んんっ」
深冬は大きく咳払いをすると、少し顔を赤らめながら俺を睨んできた。
「別に嬉しかったわけではありませんから」
うん、これはあれか、ツンデレというやつか?
「颯太さん、すみません。深冬は少し人見知りで…」
「あ、いや、いいんだ。それに少しだけ心を開いてくれたみたいだしな」
「う、うるさいです!」
そう恥ずかしそうに怒る深冬は、最初の冷たい態度は違い、少しだけ楽しそうな、そんな感じがした。
外暗いな…
窓の外を覗くと景色が何も見えないくらいに完全に真っ暗になっていた。
ふと、時間を確認すると6時半頃。
思ったより時間いってるな…
「神崎、そろそろ…」
「あ、たしかに遅くなっちゃいましたね…」
「深冬、今度は転女持ってくるからな」
「…今度はもう少し早く来てください」
気持ちが高鳴った。
よし…認められたみたいだ…!
「おう!待ってろよ深冬!」
「ん…!病院ですよ…!うるさいです…」
「す、すまん」
俺は神崎と病室を出ると、「またな」と一言言って、扉を閉じた。
所々にある電灯を頼りに、神崎と二人、暗い夜道を歩き続ける。辺りは虫の音が聞こえる程度で、他の音はほとんど聞こえない。
それは病室の静けさとは違う、どこか気持ちの落ち着く、そんな雰囲気を醸し出していた。
「あの、今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとな。まあ、あんまり話せなかったけど…」
「い、いえ!それは違います!深冬が知らない人とあんなに話すことは滅多にないんですから!」
「そ、そうなのか」
それはとても嬉しいんだが…それはそれで心配になるな…普段はどれだけ人見知り発動させんだよそれ…
「少しきついこと聞いてもいいか?」
「はい、大丈夫です…」
俺は一度息を飲んだ。
「深冬って、どんな病気なんだ?」
神崎は少しだけ黙り込んだが、すぐに口を開いた。
「…心臓の病気です。医者からは助かる可能性は低いだろうと言われていて、だからあの子は…」
「心臓…か…」
ーー会話が止まった。その瞬間、一気に辺りの物音がなくなった気がした。
それは落ち着いた雰囲気とは違う、緊張感の走ったとき特有の雰囲気。
「すまん…悪いこと聞いたな…」
「いえ、大丈夫です…」
このことを聞いて俺は、深冬に対して今日と同じような態度を取ることは出来るだろうか…いや、出来なくてもするんだ。きっと深冬にとって、心配されることが一番苦痛なんだ。なら俺はそれに答えなきゃ道理じゃないだろう。
…せっかく少しだけ、心を開いてくれたのに、、、
「なあ、神崎」
「なんですか?」
「俺は深冬を病人とは思わねえ。あ、勿論悪い意味じゃねぇけどさ。まあ、ようするに、俺は、深冬を哀れんだりはしねぇってことだ。神崎が俺を連れてきた理由って、そういうことなんだろ?」
「颯太さんにはお見通しですか…そうです。だって颯太さん、誰にでも優しいんだもん。深冬のこと、宜しくお願いします」
神崎は頭を下げて、俺にそう言った。
「そ、そんな改めなくても」
「…そうですね!」
そう言うと、神崎は笑った。
その笑顔は普通の笑顔とは違う、どこか安心しているような、落ち着いた笑顔をしていた。
「なあ、さっそく明日行ってもいいか」
「はい。大丈夫です!むしろいつでも来てください!私だと深冬は退屈そうにするだけなので…」
「そうなのか、あはは…」
なんか申し訳ないな、
そういえば、神崎が早く帰ってた理由って深冬だったのか。なるほどな…納得がいった。
たしかに、病気の妹を放っとくわけもないもんな。
話しているうち、俺の家の近くまで来ていた。
そろそろ別れないとな。
「神崎、俺こっちなんだ」
俺は立ち止まると神崎が行こうとする道とは違う方を指差した。
「じゃあ、またな!」
「はい、また明日!」
"今日はありがとうございました"なんてかしこまった言い方、俺には性に合わない。それを分かっているのか、神崎は笑顔でただ一言そう言った。
そして、そのまま、特に何かすることもなく、それぞれの道を進んだ。
一人になった夜道を、ただ淡々と歩く。
「あ、一人で帰らせて大丈夫だったか…」
どうしよう…引き返そうか…
いや、なんかここで戻ってくるのは気まずいな…よし、辞めよ…
ーーその日、俺は不安感を積もらせてしまい、夜も中々寝ることも出来なかった。
次の日学校に行くと、神崎は普通に登校していたーーまじで良かった。




