第四話「その日、ドッペルゲンガーは現れた」
真っ昼間の街中を何も考えずにふらふらと歩き続ける。
たまたま仕事が早く終わった。普通であれば嬉しい出来事だ。しかし俺は、1ミリたりとも嬉しいとは思えなかった。家に帰ったところで何もない。暇をつぶす場所もどこもない。パチ屋でも行こうと思ったが、財布を見れば金もない。
「くそ…」
秋風が体にしみる。
俺の薄っぺらいスーツでは、秋の肌寒い程度の風ですら守ることが出来ない。
ほんと、なんもねぇ…
ふと、空を見上げると綺麗な秋空が広がっていた。
綺麗だ…
昔の俺なら、「家に籠るなんて勿体ない」などと言いながら、どこかへ出かけるのだろうか。ほんと…馬鹿馬鹿しい…
周りからは人の声がガヤガヤと聞こえてくる。昼間だと言うのに、こんなに人が多いものなのか。今日は火曜日、平日だ。なのにこれだけの人…ほんと、暇かよ…。
数歩歩けば何人も通り過ぎる、それほどの数だった。
「はぁ…」
やっぱり人混みは疲れる…
どこか休憩できるところは…
そんなとき、近くにベンチがあるのを見つけた。
あそこにするか…
俺は横に鞄を置くとベンチに座り込む。
「たしか、この中に…」
会社で買った缶コーヒーを鞄から取り出す。そして、蓋を開け、一口。
冷たい。
ホットを買ったはずなんだけどな…。
まあ、こんな寒いんだ…そりゃあ冷えるよな。
「ほんと、ついてねぇ…」
ーー「どうして?」
近くから、急にそんな声が聞こえた。
ーーその瞬間、俺の体は、固まった。
一気に胸の鼓動が高まる。
ーードッドッドッ…
気付けば、鼓動の音以外、何も聞こえなくなっていた。
な、なんで…この声が…
その声は、この場所にいないはずの声だった。いてはいけない声だった。
そう…その声は…
「海!!」
俺は叫び、振り返った。
ーー目を見開いた。
俺の目に映ったのは死んだはずの娘の姿だった。幼く可愛らしい顔、サラサラとした長い髪、成長していない小さな体。
同じなのは声だけじゃない。その少女は全部が同じだ。俺の娘ーー海と…。
ーーバサッ!!
気付けば、勢いよく抱き着いていた。
脳よりも先に体が動いた。
柔らかい感触、心地よい匂い、その温かく優しい体温。その全てがあのときと同じ。
間違いない…海だ…
「海…海…!」
自然と涙が溢れてくる。
無意識に俺は、離さないようにさらに強く抱き締めた。
もう離したくない…もう、離れたくない…
俺はもう海をーー
「ま、まって、私は海じゃないよ!」
そのとき、海の口からそんな一言が放たれた。
ーー「…は?」
何を言ってるんだ?
「う、海、冗談は辞めてくれよ…なぁ、久しぶりだからってそれはないだろ?分かるだろ?俺…、お父さん、今、泣いてるんだ…」
俺は海に呼びかけた。しかしそう言ってから、海は黙り込み、何も話さなくなった。
…海なんだよな…?だってたしかに海…昔と何も変わらない、そのままの…
俺のこと…忘れたのかよ…それはないだろ…だって…ようやくまた会えて…それで…
…ふざけるな、こんな結末…ふざけるなよ!!
「なんか言えよ!!なぁ?海なんだろ!海って言えよ!!冗談だったって言えよ!!」
ーー「なあ…お前は…誰なんだ…?」
俺がそう言った瞬間、ついに海は口を開いた。
「あの…その前にさ…離してよ…」
海はそう言うと、抱き着いたまま離さない俺の腕を押しのけるようにして離す。
そして少女は迷ったように少し考えると、また一つ、口を開いた。
「私の名前は言ノ葉恵。除霊師だよ。えっと…それと…何から話そうか…まずは…まぁ、この姿のことだよね。」
海ーーではない、言ノ葉恵と名乗るその少女は軽い口調でそう自己紹介をした。
「言ノ葉恵…?除霊師…?この姿…?ふざけるな…何を言ってるんだ…?お前は海だろ?ふざけるのも大概にしろ!!お前は…お前は!!」
言ノ葉の体が一度ビクリと動いた。
「び、びっくりさせないでよ。ほ、ほら、ここ…街中だし、、、」
街中…?
周りを見ると、何人もの人が野次馬のように集まり、こちらに視線を向けていた。
「…なんだお前ら…こっち見てんじゃねえ!!」
くそ…ふざけやがって…何見てやがる…俺は今何か悪いことをしたか?してないだろ…?なのになんでそんな目で俺を見る…辞めろ…辞めろ…辞めーー
ーー「ね、ねぇ、違うところで話そうよ。出来れば家とか、いけるかな?」
…違うところ?たしかに…こんな話をこんな奴らの前でするもんじゃねぇよな…
「…分かった。ついてこい」
ーー俺はこいつを離すわけにはいけない…絶対にだ…
服は脱ぎ捨てたまま、床にはゴミが散らばっていて、清潔感など1ミリもない。とても人をあげられる状態ではない。そんなリビングにこいつをあげた。
「汚いけど我慢しろ」
「うん…一つ言うけど私、文句言うほど図々しくはないからね!?」
「…とりあえず、早く椅子座れ」
「…分かった」
胸のざわめきが止まらない。
早くこいつに聞かなければ…
「まず、お前はなんで海の姿をしてる!!第一お前の目的はなんだ!!お前は!」
「ま、まって、一つずつ話させてよ。そんな一遍には話せないから!」
こいつ…今の状況分かってんのか…?
言ノ葉は人差し指をくるくると回しながら考え始めた。
数秒経ったころ、ついに口を開いた。
「まずね、この姿は簡単に言えば、化けてるとでも言うのかな…?まぁ、そんな感じ。それと目的…だったかな。目的は単純で、坂口さん。貴方をおびき寄せるためだよ」
「俺を…おびき寄せる?」
何を言い始めたかと思えば…おびき寄せる…だと?
「おびき寄せるって、なーー」
「なんのためにか、だよね。それはね、海ちゃんがこの世界に残っているからだよ」
この世界に残っている…?
「それはなんだ。まさか未練が残ってて、なんて馬鹿なこと言わないだろうな」
醜いとも言える顔で笑った。なんでこの状況で笑ってるのか、自分でさえ分からない。
「その通り!!よく分かったね!!」
その通り…だと?つまり、ほんとに海はこの世界で…そんなことあるわけ…
「まぁ…そんなこと言っても信用できないよね。だからとりあえず、私についてきてよ。それで分かるはずだよ」
「分かるって…何が…」
ーー「もちろん、霊って言うのが実在するってことをだよ」
言ノ葉がそう言ってから数十分、家を出て、ただひたすらに川沿いを歩き続けている。これになんの意味があるんだ?
やっぱり、霊なんていないんじゃないか。
こいつはただ、俺のことを遊びの道具に使ってるだけだ。くそ…遊ばれただけじゃねぇかよ…俺…
こんなガキの言う事聞いて、黙ってついていって…そんなことして俺は何を求めてんだ!!くそ、くそ…!!
帰ろう…こんな無駄なことして…
ーー俺は立ち止まった。
「言ノ葉、もうお前の遊びには付き合ってられない。帰らせてもらう」
「え、ちょ、ちょっと、まっ、まってよ!」
必死に俺を止めようと、言ノ葉は何度も俺を呼びかけ、挙句の果て、俺の腕を掴んできた。
「う、海…あ、、、は、離せ!!」
くそ…一瞬、海と重なった…
なんで…なんでなんだよ…
「なんでお前はそこまで!!」
言ノ葉の掴む手を勢いよく振り切り、押し倒した。
そしてそのまま、俺は走ってその場を離れた。
静寂に包まれたリビングで一人、何度も頭をむしる。
飛んだ茶番だった。くそ…あんな子供騙しに付き合ったのが間違いだった。
ほんと、俺、アホかよ…
無性にいら立ちがこみ上げてくる。
ーードン!!
「くっそ…!!」
机を叩く。
「はぁ…はぁ…」
ふと時計を見ると、針はまだ、午後3時半を刺している。
まだ昼…
俺はソファーに座り込み、貧乏揺すりをして前髪を強く掴んだ。
「…あいつはなんなんだ…あいつは…」
あいつは!!
ーードン!!
気付けば、壁に拳をぶつけていた。
「いった…!痛い痛い痛い…」
指の関節あたりから赤い液体が零れ落ちた。
「血…」
なんで血なんて…なんで、なんでなんで…
なんで…
海…?言ノ葉…?なんだよそれ…聞いてねえよ…聞いたことねえよ…海が生き返ったと思ったら、化けてるだけ…?は?なんだよそれ…もういい…もう…もう…
ソファーに顔を埋め、うずくまる。
ーードン、ドン、ドン、ドン、ドン…
何度も何度も何度も何度も、ソファー叩きつけた。気が済むまで何度でも…
ーーこのいら立ちが止まるまで何度でも…
気付けば、そのまま俺は…寝ていた。
ーー「坂口さん!起きて、起きてくださーい!!」
「あ、ああ?」
ぼやけた目でうっすら覗く。
「起きましたか?」
「う、うわっ!!こ、言ノ葉!?」
すぐ目の前にしゃがんで俺を覗く言ノ葉がいた。
「鍵開いてましたよ。ほんと、気をつけないと不審者が入ってきちゃいますよ!?」
「ふ、不審者って…お前…」
な、なんなんだほんとにこいつ…!!
「で、出てけ!!通報するぞ!!」
「そ、それはやめてください!!…ってそうじゃないくて!!霊がいたから、今度こそついてきてください!!坂口さん!!」
「は、はあ?お前…まだその話してたのか…?、さっきも言っただろ…遊びはもう終わりだ。とっとと消えろ…」
「いやです!」
「…なんでお前は…なんでお前はそこまで俺に執着するんだ!!いい加減迷惑なんだよこっちは!!そんなことも分かんねえのか!!」
気付けば、言ノ葉を強く怒鳴りつけていた。
すると、言ノ葉は黙り込んだ。
「な、なんだ、分かったか…?まあ…ガキだしな、怖くて泣きたくなったか?ふっふふふふ、ざまぁみろよ!!大人を舐めたお前が悪いんだ!!分かっただろ?なぁ、だから、早く出ていけよ、早く…早く!!」
俺が追い討ちをかけると、言ノ葉は本格的に泣き始めた。
…いい気味だ…ふ、ふふ…!
しかし、俺の考えとは裏腹を返事を、言ノ葉は言ってきた。
「…そんなの…そんなの海ちゃんを助けたいからに決まってるじゃないですか!!もう…どうして分かってくれないんですか!!!」
「そんなの分からないに決まってるだろ!! 海に似たガキが突然話しかけてきて、急に除霊やら未練やら…そんなの分かるわけがないだろうが!!」
「…それでもきてもらいます!!…信じてもらいます!!海ちゃんを私は…私は…助けたいんです!!」
…なんなんだよ…こいつ…早く食い下がれよ…黙って泣いて…ビビって帰れよ…さっきから鬱陶しいんだよ…なんでその顔で泣くんだよ…なんで泣き顔まで、泣き声まで…海と同じになるんだよ…ふざけるな…ふざけるなよ…くそ…くそ…くそ、、、
ーーそのとき、家の中はただひたすらに言ノ葉の泣き声だけが響いていた。




