第三話「坂口龍は息を止めた」
早朝、ついにキャンプの日はやってきた。
玄関のドアを開けると、家の前には迎えに来た山田さんの車が止まっている。
「海?愛香ちゃんきたぞ」
「うん、ま、まって」
海は急いで靴を履く。
「そんなに焦らなくても、」
「待たせたらだめだし」
海は靴を履き終えると、すぐに外へと飛び出した。
外はいつも以上に雪が積もっていて、上着を着ているのに、体は凍り付くように寒い。早朝というのもあり、辺りは静かで車のエンジンだけが響いていた。
「山田さん、今日から宜しくお願いします。これ良かったら、」
俺は山田さんにちょっとしたお菓子を渡す。
「あ、すみません、ありがとうごさいます」
「いえいえ、」
俺が話している間に海は、車に一足早く乗っていた。
「海、気をつけてな」
海に面倒くさがられても嫌なので、その場で一言。
「うん、いってくる!」
「おう!いってこい!」
山田さんも車に乗り込むとこちらに一度頭を下げる。
そして、ついにキャンプへと出発した。
車が見えなくなるまで、ひたすらに手を振る。
「行ったか…」
空を見上げ、一度白い息を吐いた。
寒い…
「中入るか…」
そうして俺は、家の中へと入った。
ふと考える。
こんなに静かだっただろうか。家の中は物音一つない、そんな不穏にも思える静かさ。 海の声も、足音も、布団の寝返りをうつ音も、何も聞こえない。それはまるで誰も住んでいない空っぽの家のように…
「…こんなに静かになるもんなんだな」
リビングの机に置いた食べかけのパンを手に取った。
たまにはこんな雰囲気も悪くないか、、、
そう思いつつも、どこか心の奥で脅かされているような不安感が実っていた。
「仕事行くか…」
普段であれば海と朝ご飯を食べたりする時間、しかし今日は海がいない。
何もすることのない俺は、いつもより早く仕事の準備を始めた。
「ふん…」
鼻息を一つして、靴を履く。いつもなら海と一緒に出る玄関。しかし、これも一人。
「新鮮だ…」
玄関を出ると、また一つ、独り言を呟く。
仕事、行かないとな、、、
ーー出勤してから結構な時間が過ぎた。
海は今、何をしているだろうか…
仕事中、ただそれだけを考える。
今は…昼飯を作り始める頃か…?いや、まだ早いか…うーん…まぁ、楽しくやってんだろ!
ふと、オフィスの時計を見ると、針は昼休みの始まる一分前を刺していた。
そろそろ昼休憩か…何食べようか、、、いつもなら適当にコンビニで済ますところだが…今日は店でも行ってみるか。
…海、何か連絡きてないかな…
それとなくポケットからスマホを取り出した。
なんだこれ…山田さん…?
一気に胸の鼓動が高鳴った。
スマホのロック画面を見ると、そこには不在着信の文字がズラリと並んでいる。
何かあったのか?海に何か?いやそんなわけ…変なことを考えるのはよそう。きっと海が忘れ物でもしたんだろう…それで、うん、そうだよな…!
前髪を摘む。
「ふぅ…」
そして、俺は着信ボタンを押した。
「もしもし?山田さーー」
「海ちゃんが…!!海ちゃ…」
電話が繋がった瞬間、俺の耳に届いたのは、「海ちゃんが…」とただひたすらに言って泣き続ける山田さんの声だった。
「山田さん一度落ち着いて!!海に何かありましたか?それとも海が何か悪いことを?海に、海に何があったんですか…?」
「海ちゃんが…、海ちゃんが…川に落ち、て…その、まま…海ちゃ…」
ーーその日、俺の娘は死んだ。
電話の後、すぐに病院へと向かった。きっとまだ生きている。何かの間違いだろうと信じてーー
震える手を必死に抑えながら病院の入り口を跨ぐ。
そして、海のいる部屋に急いで駆けつけた。
「…?」
部屋の入り口に書いていた文字を見て俺は全てを察した。
ーー霊安室
そして、俺は医師の言われるがままに霊安室へと足を踏み入れた。
俺は
ただ"それ"を見つめた。
ピクリとも動かないその体を。目を閉じたまま笑顔を見せないその顔を。触らなくとも分かる冷たく白い肌を。
「ーー」
少しして、横にいる医師が何かを話し始めた。しかし、聞こえない。俺の耳からは、ただキーンと言う、耳障りな音だけが聞こえていた。
「なんだよ…これ…」
「さ、坂口さん…?何処に行かれるんですか!?」
気付けば、逃げるようにして霊安室を出ていた。
目の前の椅子で山田さんと愛華ちゃんが座っていた。
下を向いて泣き続ける山田さんに愛華ちゃんは、肩を揺らし海のことを聞き続けている。
そのとき、俺に海が死んだと言う現実を叩きつけられているような、そんな感覚が走った。
顔が歪む。
すぐに道を引き返し、違う通路を抜けた。
そしてそのまま、早歩きで病院を後にした。
次の日、山田さんと落ち合うこととなった。
「坂口さん…海ちゃんのこと…私が…ちゃんと…ちゃんと…していれば…本当に…本当に…」
「…俺が悪いんです。俺がもっと海に言っておけば、注意しておけば…」
「本当にすみませんでした…!!」
ーーその日、俺は山田さんと目を合わせることはなかった。
ただ謝り続ける山田さんの声を聞くだけ、それ以外に何かしたわけでもなく、その時間は一瞬のように過ぎていった。
数日後、葬式が行われた。
葬式では何人もの人が来た。そして、何人もの人と話をした。しかし、何を話したのか、誰と話したのかは何も思い出せなかった。
そして、葬式も気付けば終わっていた。
海が死んでから何日経ったのだろうか。そろそろこの生活にも慣れてきた。
朝起きて、コンビニ弁当の余り物を口に含む。そして服を着て仕事へ向かう。その繰り返し。気にかけてくれていた会社の人達も、俺に近寄りすらしなくなった。それどころか、仕事の出来なくなる俺を拒絶するようような、そんな視線を浴びることの方が多くなっていった。
ある日、おふくろと親父が俺の家に来た。
「龍?ご飯は食べてる?辛い気持ちは分かる けど、自分のことも考えないと…」
おふくろが米とダンボールいっぱいの野菜を詰めて俺に渡す。
「龍、お母さんは龍のことをちゃんと分かってるからね?だからーー」
気付けば俺は怒鳴りつけた。
ーー「うるせえ!!お前に何が分かる…子供を失ったことねぇ癖に分かったような口してんじゃねえ!!!!もうそんな言葉聞きたくねんだよ!!何回も何回も…もういい加減にしろ!!」
その瞬間、俺の頬に衝撃が走った。
勢いのまま、俺はは床に倒れ込む。
「いってぇ…何すんだ!!」
倒れたまま、上に視線を向けた。
そこには、泣いているのか怒っているのか分からない、そんな酷い顔をした親父が立っていた。
「お前…母親にその態度はなんだ!!こっちは気にしてきてやったのに…何も分かってないだと!!わしらだってな!!孫を失ってるんだぞ…分からないわけがないだろうが馬鹿野郎!!」
「なんだとてめぇ!!」
「二人ともやめなさい!!」
おふくろが止めに入り、親父は怒鳴りすぎたのか、「はぁはぁ」と息切れをしている。
「言いたいこと言ったなら早く帰れよ…うぜんだよ…」
そんな言葉しか俺の口からは出なかった。
ーー二人から連絡が来ることはなくなった。
数カ月が経った頃、ストレスに耐えられなくなった俺は、初めてタバコを吸った。
「…思ったよりも、いいな、、、」
それからというもの、俺が落ちていくのにそう時間はかからなかった。気付けばタバコは毎日の日課となっていた。他にもパチンコや競馬も始めた。特にパチンコはやめられなくなった。給料が入るたびに通い、そして負けたり勝ったり…最初は千円だけだったが、いつの間にか五千円、いつの間にか一万円…
ーー俺は、社会のクズでしかなくなった。
もはや俺に、希望なんて言葉はなくなっていた。それはただ動き続ける屍のように…
ーー「あの日、俺ーー坂口龍は息を止めた」




