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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十二章 命運交錯編

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第二百七十七話 託された九州


筑前国、林道軍本陣。


東国からの急報が届いた翌朝、景継は諸将を集めて軍議を開いていた。


陣幕の中央には、九州から東国に至るまでを描いた地図が広げられている。その周囲には、黒田官兵衛をはじめ、加藤清正、福島正則、藤堂高虎、石田三成、大谷吉継、小西行長、仙石秀久、そして弥兵衛らが顔を揃えていた。


普段であれば、九州平定に向けた軍議が始まるところである。


しかし、この日の議題は違った。


「皆さん。昨日、東国より届いた報せについてお話しします」


景継が口を開くと、諸将の視線が一斉に集まった。


「徳川家康が北条領へ侵攻し、さらに伊達政宗も北方から兵を動かしています。使者が出立した時点では、氏政殿も氏直殿も健在でしたが、現在の戦況までは分かりません」


「徳川と伊達が同時に、か……」


正則が腕を組み、険しい表情を浮かべる。


「北条とて弱くはあるまいが、二方から攻められては厄介じゃな」


清正も頷いた。


「しかも相手は徳川家康。伊達政宗も若いながら勢いがあると聞く。北条が持ちこたえているうちに、救援へ向かわねばなりますまい」


「ええ。そのつもりです」


景継は静かに答えた。


「昨日、官兵衛殿とも話しましたが、私は主力を率いて東国へ戻ります。そして、九州の戦は官兵衛殿に任せます」


官兵衛は景継の言葉を受け、諸将へ向き直った。


「殿が東国へ向かわれる以上、九州の戦は私が引き受けます。まずは守りを固め、島津に付け入る隙を与えぬことが肝要かと」


「しかし、主力が去れば兵力は大きく減ります」


三成が地図へ視線を落とした。


「秋月種実が臣従したとはいえ、島津は健在です。今の兵力で、九州の守りを維持できるのでしょうか」


「その点については、いくつか考えがございます」


官兵衛は地図の九州北部を指した。


「まず、九州に残る林道勢に加え、我が黒田家の家臣団を呼び集めます。さらに、大友、秋月、宇都宮との連携を強めましょう」


「大友にも兵を出してもらうのか?」


正則が尋ねる。


「必要に応じて、協力をお願いすることになりましょう。ただし、大友は我らの家臣ではございませぬ」


官兵衛は落ち着いた口調で続けた。


「独立した大名として、その立場を尊重せねばなりませぬ。無理に兵を動かさせれば、かえって関係を損ないます」


景継は頷いた。


「そのとおりです。大友の領地を侵すようなことも、決してあってはなりません」


「承知しております」


官兵衛はさらに続けた。


「秋月種実は、すでに林道家へ臣従しております。岩石城を含む周辺の守りを固めさせましょう。また、宇都宮鎮房殿とは、城井谷を中心とした協力関係を維持いたします」


「それだけで島津に対抗できるのか?」


清正が尋ねた。


官兵衛は、かすかに笑みを浮かべた。


「無論、それだけでは足りませぬ」


その指が、九州の地図から本州西部へ移った。


「毛利に、改めて協力を求めます」


「毛利に?」


「はい。将、兵、そして兵糧。これらをさらに出していただくのです」


三成が眉を寄せた。


「しかし、毛利とはすでに交渉を終えております。追加の協力を求めるとなれば、相応の見返りを要求されるのでは?」


「当然でございましょうな」


官兵衛は、あっさりと認めた。


「ですが、交渉とは、相手の求めるものをただ差し出すことではございませぬ」


「……ほう」


三成が興味深そうに身を乗り出した。


「相手が何を欲し、何を恐れ、何を得れば動くのか。それを見極めることが肝要にございます」


官兵衛は静かに言った。


「毛利にも、毛利の事情がございます。その事情を踏まえれば、話を進める余地はありましょう」


景継は官兵衛を見つめた。


「交渉の進め方は、官兵衛殿にお任せします。ただし、大友との約束は守ること。それだけは忘れないでいただきたい」


「無論にございます」


官兵衛は深く頭を下げた。


「毛利との交渉は、この官兵衛にお任せくだされ」


◇ ◇ ◇


「それと、もう一つございます」


軍議が一段落しかけたところで、仙石秀久が口を開いた。


「何でしょう、秀久殿」


景継が尋ねる。


「殿が主力を率いて東国へ向かわれること、島津方に知られるのは避けられませぬ。ですが、できる限り、その時を遅らせるべきかと」


「……なるほど」


景継は秀久へ視線を向けた。


「続けてください」


「はっ。軍勢を一度に動かせば、敵の間者にすぐ知られましょう。ならば、部隊を分け、出立の時をずらしてはいかがでしょうか」


秀久は地図の上に指を置いた。


「先に動かす部隊、後から動かす部隊を分けるのです。表向きには配置換えや兵糧輸送と見せかければ、主力が九州を離れたと気づかれるまで、多少なりとも時間を稼げましょう」


高虎が頷いた。


「確かに。軍勢が一斉に動けば、遠目にも分かりますからな」


「それに、官兵衛殿が兵を集める時間も必要でしょう」


秀久は続けた。


「敵が我らの動きを知った時には、すでに九州の守りが整っている。そういう形が望ましいかと」


景継は、しばらく考え込んだ。


やがて、ゆっくりと頷く。


「よい考えです」


秀久が顔を上げた。


「では……」


「その策を採りましょう。出立する軍勢は段階的に動かし、敵に主力の撤収を悟らせぬようにします」


「はっ!」


秀久は力強く頭を下げた。


官兵衛も満足げな表情を浮かべていた。


「これならば、私が九州の態勢を整える時間も得られましょう」


「ええ」


景継は頷いた。


「ただし、島津も油断ならぬ相手です。いつまでも隠し通せるとは思わない方がよいでしょう」


「承知しております」


官兵衛は地図を見つめた。


「当面は無理な攻勢を控え、守りを固めます。毛利からの援軍が整い次第、改めて九州平定へ向けて動きましょう」


「お願いします」


景継は諸将を見渡した。


「九州の戦も、東国の戦も、どちらも林道家にとって重要です。皆には苦労をかけますが、力を貸してください」


諸将が一斉に頭を下げた。


「はっ!」


◇ ◇ ◇


軍議が終わると、諸将はそれぞれの持ち場へ戻っていった。


清正と正則は帰還する兵の選定へ向かい、高虎は城の守備配置を確認するため席を立った。三成と行長は兵糧の帳簿を抱え、早くも輸送について話し合っている。


仙石も陣幕を出ようとしたが、ふと足を止めた。


「殿」


「どうしました?」


「東国へ戻れば、徳川や伊達との戦は避けられぬのでございましょうな」


景継は静かに頷いた。


「おそらくは」


仙石は口元を引き締めた。


「ならば、九州で振るえなかった槍は、東国で存分に振るわせていただきます」


その言葉に、景継はかすかに笑った。


「頼りにしています。ただし、無茶はしないでくださいね」


「ははっ! 心得ております!」


威勢よく答えた仙石だったが、その背中を見送る景継には、少々の不安も残った。


もっとも、あの気性こそが仙石秀久という男の持ち味でもある。


景継は小さく息を吐き、再び地図へ視線を落とした。


◇ ◇ ◇


翌日。


林道軍の陣中では、東国帰還に向けた準備が本格的に始まっていた。


兵たちは荷駄をまとめ、馬を整え、各隊の指揮官から新たな命令を受けている。一方、九州に残る兵には守備の持ち場が割り振られ、官兵衛のもとで軍の再編が進められていた。


景継は出立に先立ち、官兵衛と二人で陣の外れに立っていた。


春の風が、二人の衣の裾を揺らす。


遠くには、これから官兵衛が守ることになる九州の山々が連なっていた。


「官兵衛殿」


景継が口を開く。


「はい」


「毛利との交渉は、容易ではないでしょう」


「左様にございますな。ですが、必ずや道を開いてみせます」


「島津も、こちらの事情を知れば動くはずです」


「承知しております」


官兵衛は景継を見た。


「殿。九州のことは、どうかご心配なさらぬよう」


その言葉に、景継は少しだけ目を細めた。


「官兵衛殿」


「はっ」


「私は何も心配していません。あなたはできるお人だ。だからこそ、この九州を託すのです」


官兵衛は一瞬、言葉を失った。


九州には、いまだ島津という強敵が残っている。大友との連携も、毛利との交渉も、すべてが思いどおりに進む保証はない。


景継ほどの男が、その危うさを理解していないはずがなかった。


それでも、目の前の主君は迷いなく自分を信じてくれている。


官兵衛は唇を引き結び、深く頭を下げた。


「……そのご信頼、決して裏切りませぬ」


景継は頷いた。


「ええ。よろしくお願いします」


しばらくの間、二人は言葉を交わさなかった。


官兵衛は顔を上げると、今度は穏やかな表情を浮かべた。


「殿こそ、どうかお気をつけて。徳川家康も伊達政宗も、決して侮れる相手ではございませぬ」


「分かっています」


「北条の皆様が、ご無事であることを願っております」


その言葉に、景継はわずかに視線を落とした。


氏政殿。


氏直殿。


そして、遠く離れた場所で父と実家の身を案じているであろう楓。


景継は、静かに拳を握った。


「……必ず、間に合わせます」


官兵衛は、その言葉に深く頷いた。


◇ ◇ ◇


翌朝。


筑前の林道軍本陣では、東国へ向かう軍勢が出立の準備を整えていた。


ただし、すべての兵が同時に動くわけではない。


仙石秀久の進言を受け、各部隊は時をずらして出立することになっていた。


先に進む部隊が道筋を確かめ、後続の軍勢が順次それに続く。


敵の間者に主力の動きを悟らせぬための措置である。


景継は馬に跨がり、諸将を見渡した。


清正、正則、高虎、三成、吉継、行長、秀久。


いずれも、これから東国での戦を共にする者たちだった。


「殿、準備は整っております!」


清正が声を上げた。


「分かりました」


景継は頷くと、少し離れた場所に立つ官兵衛へ目を向けた。


「官兵衛殿」


「はっ」


「九州を、お願いします」


官兵衛は深く頭を下げた。


「どうか、東国ではお気をつけくだされ」


「ええ。官兵衛殿も」


景継は手綱を握り直した。


東国では、義父である北条氏政と、その息子氏直が徳川・伊達の侵攻を受けている。


楓もまた、父と実家の身を案じていることだろう。


一刻も早く戻らねばならない。


しかし、急ぐあまり軍勢を乱すわけにもいかなかった。


(……氏政殿。どうか、それまで持ちこたえてください)


景継は胸の内で呟いた。


そして、前方へ視線を向ける。


「出立!」


その号令とともに、林道軍の一隊が動き始めた。


兵たちは整然と列をなし、東へ続く街道へ進んでいく。


官兵衛は、その姿が遠ざかるまで見送っていた。


やがて、景継の姿が見えなくなると、静かに踵を返した。


九州の戦は、まだ終わっていない。


島津は健在であり、毛利との交渉もこれからだった。


だが、官兵衛の表情に迷いはなかった。


「……さて」


小さく呟く。


「まずは、毛利との話を進めねばなりませぬな」


官兵衛は、再び林道軍の本陣へと歩き始めた。


景継が東国で戦う間、九州を守り、平定への道を切り開く。


それが、今の自分に託された役目だった。


そして官兵衛は、その役目を果たすため、すでに次の一手を考え始めていた。



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