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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十二章 命運交錯編

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第二百六十六話 藤堂高虎



天正十五年(1587年)四月


明が生まれてから、十日あまりが過ぎた。


屋敷の中には新しい命を迎えた余韻が残っていたが、景継の日々はすでに九州へ向けて動き始めている。


毛利との協力は固まり、船と兵糧の手配も最終段階に入った。九州から届く報せは日に日に増え、官兵衛のもとでは各勢力の動きが整理されている。


そんな中、一人の男が景継を訪ねてきた。


「藤堂高虎殿がお見えです」


その名を聞いた景継は、手にしていた書状を置いた。


「お通ししてください」


やがて部屋へ入ってきた高虎は、景継の前で静かに頭を下げた。


二人がこうして向かい合うのは初めてではない。


だが、以前とは立場が違う。


高虎の後ろには、もう羽柴秀長はいなかった。


「藤堂高虎にございます」


「お久しぶりです、高虎殿」


「はい」


景継はすぐに用件を尋ねなかった。


秀長が亡くなってから、高虎が何をしていたのかは報告を受けている。葬儀を終えた後も出石に残り、家臣や領内の整理を続けていたことも知っていた。


だからこそ、景継から使者を送ることはしなかった。


高虎自身が何を選ぶのか。


それを待った。


「出石のことは、もうよろしいのですか?」


景継が尋ねる。


「すべてが終わったとは申しません。ただ、私がいなければ何も進まぬ状態ではなくなりました」


「そうですか」


「残る者、他家へ向かう者、それぞれの道筋もおおよそ決まりました。あとは桑山殿をはじめ、残った方々に任せることができます」


景継は頷いた。


「秀長殿も安心されるでしょう」


高虎の表情がわずかに動く。


「そうであればよいのですが」


短い沈黙が落ちた。


やがて高虎の方から口を開いた。


「景継様」


「はい」


「お願いがございます」


景継は姿勢を変えなかった。


「聞きましょう」


高虎は一度息を整える。


「私を、お使いいただけませんでしょうか」


予想していた言葉だった。


それでも景継は、すぐには答えなかった。


「一つ、確認してもよろしいですか?」


「何なりと」


「秀長殿から、私のもとへ行くよう言われたのですか?」


高虎は首を振った。


「秀長様から、景継様のもとが私に合うかもしれぬとは言われました」


そこで言葉を切り、景継をまっすぐ見る。


「ですが、ここへ来ると決めたのは私です」


景継の目がわずかに細くなった。


「秀長様は、最後まで私に次の主を命じませんでした。自分で見て、自分で決めろと仰せになった」


「それで、私を?」


「はい」


「理由を聞いても?」


高虎は少し考えた。


「景継様は、領地を増やすためだけに戦っておられない」


景継は黙って続きを待った。


「四国でも、長宗我部の地を奪わなかったと聞いております。毛利との戦でも、勝った後に何を残すかまで考えておられた。そして――」


高虎の視線が景継から外れない。


「秀長様が亡くなった後も、私へ使者を寄越されなかった」


「それが理由ですか?」


「大きな理由の一つです」


高虎は答えた。


「主を失った直後の家臣ならば、取り込むには好機だったはずです。それでも景継様は待たれた」


「高虎殿が、秀長殿の残されたものを放り出してこちらへ来る方なら、私は必要としていませんでしたから」


高虎の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


「やはり、来てよかったようです」


景継も小さく笑った。


「まだ仕えると決まったわけではありませんよ」


「これは手厳しい」


「私はこれから九州へ向かいます」


「存じております」


「戦になります」


「それも」


「仕える相手を選びに来たその日に、戦場へ連れて行かれるかもしれません」


高虎は一拍置いた。


「その方が都合がよろしいかと」


「都合が?」


「戦場なら、私が使える男かどうか、すぐにお分かりになるでしょう」


景継は高虎を見つめた後、とうとう笑った。


「分かりました」


そして、静かに頭を下げる。


「高虎殿。これから、よろしくお願いします」


高虎も深く頭を下げた。


「はっ」


藤堂高虎。


後に多くの城を築き、戦場のみならず、その後に残るものまで見据える男が、この日、自らの意思で林道景継を主として選んだ。


◇ ◇ ◇


その日の午後。


高虎は早くも景継の評定に加わっていた。


部屋には黒田官兵衛、石田三成、大谷吉継、小西行長がいる。


景継が高虎を紹介すると、官兵衛は面白そうにその大柄な男を見た。


「噂は聞いておりますぞ、高虎殿」


「どのような噂でしょう」


「城を見れば、どこが弱いか分かるとか」


「そこまでは申しません」


「では、分からぬ?」


「分かる城もございます」


官兵衛が笑った。


「なるほど。面白い御仁ですな」


三成は二人のやり取りには加わらず、高虎の前へ九州の地図を広げた。


「ちょうどよいところへ来られました」


高虎が地図を見る。


「ちょうどよい?」


「我らには、これから必要になるものがあります」


三成が指を置いたのは海だった。


そこから九州の沿岸部へ指を移す。


「兵を渡すだけなら船があればよい。しかし、何万という兵を九州で動かし続けるなら、それだけでは足りません」


高虎は地図へ顔を近づけた。


三成が続ける。


「兵糧を下ろす場所。傷兵を戻す場所。船を守る場所。そして、次の軍勢を送り込むための場所」


「拠点ですな」


高虎が答えた。


「ええ」


横から行長が口を挟む。


「港もです。大きければよいわけではありません。船を入れられても、そこから荷を運べなければ意味がない」


高虎は行長を見る。


「道まで必要になる」


「その通りです」


二人はそれだけ交わすと、再び地図へ視線を落とした。


高虎の指が沿岸をゆっくり動く。


「ここへ上陸するとして――最初の拠点をどこに置くおつもりです?」


官兵衛が答える。


「それを含めて、まだ敵には教えられませぬな」


「私にもですか?」


「今日から味方になった御仁ですからな。あと半刻ほどは疑っておきましょう」


高虎が官兵衛を見る。


「では、半刻後にもう一度尋ねます」


吉継が小さく笑った。


景継はそのやり取りを聞きながら、地図の上へ手を置いた。


「高虎殿」


「はい」


「あなたには、城を一つ落とした、敵を何人討ったという働きだけを求めるつもりはありません」


高虎が景継を見る。


「では、何を?」


「我々が前へ進める場所を作っていただきたい」


部屋が静かになる。


景継は九州の地図を指した。


「九州は広い。上陸して一度勝てば終わる戦ではありません。軍が進めば、兵糧も進まなければならない。傷ついた兵を戻す場所も必要になる。雨が続けば道も変わるでしょう」


高虎は黙って聞いている。


「敵の城を奪ったなら、次の戦に使える城にする。港を取ったなら、次の船を迎えられる港にする。必要なら陣を築き、道を直す」


景継はそこで高虎を見る。


「できますか?」


高虎はすぐには答えなかった。


地図を見つめる。


その目が先ほどまでとは変わっていた。


やがて、一つの場所を指で押さえる。


「攻め落とすだけなら、私でなくともできます」


官兵衛の眉が上がった。


景継が尋ねる。


「では、高虎殿なら?」


「次に使える形で取ります」


三成が高虎を見る。


行長もわずかに口元を上げた。


「それなら、こちらも船を入れやすくなる」


「入れられるようにするのが私の仕事でしょう」


「話が早くて助かります」


景継は二人のやり取りを見ながら頷いた。


高虎を待ったのは間違いではなかった。


戦に勝つ者はいる。


城を落とす者もいる。


だが、勝った場所を次の勝利へつなげられる者は多くない。


これから九州を進むなら、その力は必ず必要になる。


◇ ◇ ◇


翌日。


別の部屋では、加藤清正と福島正則が高虎を迎えていた。


「まさか、お前までこっちへ来るとはな」


正則が腕を組む。


高虎は平然と答えた。


「お前に言われたくはない」


「何だと?」


「お前の方が先に景継様のもとへ来ただろう」


「俺には俺の事情があったんだよ」


「俺にもある」


正則が言葉に詰まる。


その横で、清正がわずかに笑った。


「正則。お前では勝てん。諦めろ」


「清正、お前はどっちの味方だ」


「面白い方だ」


「それが一番腹立つわ!」


久しぶりに、羽柴の頃を思わせる空気が戻った。


だが、三人とも分かっている。


もう昔には戻れない。


秀吉はいない。


秀長もいない。


それぞれが自分で道を選び、今ここにいる。


正則が高虎の肩を軽く叩いた。


「まあ……来たからには働けよ」


高虎がその手を見る。


「お前よりは働く」


「やっぱり気に入らん!」


今度は清正も声を出して笑った。


少し離れた場所でそれを見ていた景継は、何も言わなかった。


秀長が守ろうとした者たちは、こうして次の場所へ進み始めている。


そのことだけで十分だった。


◇ ◇ ◇


数日後。


九州出陣に関わる主だった者たちが集められた。


景継の右には官兵衛。


三成、吉継、清正、正則、小西行長、仙石秀久、そして新たに加わった高虎。


全員を集めて長々と準備を確認するためではない。


すでに、それぞれが自分の役目を理解している。


三成と行長は兵と物資を海の向こうへ送り続ける。


清正と正則は前線を担う。


高虎は奪った場所を次の戦へつなげる。


秀久には、その武勇を前線で使う場所が用意される。


吉継は全体を見ながら、景継のもとで各方面から届く情報を整理する。


そして官兵衛は――最初の戦を見ていた。


景継が一同を見渡す。


「これまで、長く待たせました」


誰も口を開かない。


「毛利との話もつきました。船も兵糧も整いつつあります。九州からの情報も十分に集まった」


景継は一度、官兵衛を見る。


官兵衛が頷く。


もう待つ理由はない。


「出陣の日を決めます」


空気が変わった。


秀久の顔に、隠しきれない笑みが浮かぶ。


清正が背筋を伸ばし、正則も表情を引き締めた。


高虎は黙って景継を見ている。


景継は告げた。


「十日後――九州へ向けて出陣します」


ついに、その言葉が出た。


官兵衛が静かに笑う。


「ようやくですな」


「待たせましたか?」


「少々」


「その分、最初の戦では働いていただきます」


官兵衛の笑みが深くなる。


「無論です」


景継は九州の地図へ目を落とした。


長い準備だった。


毛利との戦を終え、四国の火を鎮め、一益を見送り、秀長も逝った。


その間にも、新しい命が生まれ、新しい者が加わった。


天下は止まっていない。


そして今度は、自分たちが動く。


「九州へ参ります」


景継の言葉に、諸将が一斉に頭を下げた。


十日後。


林道景継は、黒田官兵衛をはじめとする諸将を率い、西へ向かう。


その先に待つ最初の戦が、九州全土へ何を知らせることになるのか。


まだ、それを知る者はいなかった。



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