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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十二章 命運交錯編

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第二百五十四話 四国の主



阿波へ向かう道には、前日の戦の跡がまだ残っていた。


倒された柵、踏み荒らされた田畑、道端に捨てられた槍。


幸い、焼け落ちた村は少ない。


景継は馬上から周囲を見渡しながら進んでいた。


その隣には長宗我部元親。


さらに後方には加藤清正、福島正則、池田恒興、大谷吉継らが続いている。


石田三成と丹羽長重は讃岐に残った。


取り戻した港と街道を安定させ、兵糧を阿波へ送り続けるためだ。


戦場へ全員を連れてくる必要はない。


三成が港を動かし、長重が道を守る。


それだけで、前を進む兵たちは背後を気にせず戦える。


「林道殿」


元親が前を向いたまま口を開いた。


「阿波の者たちは、すでに集まり始めている」


「三千ほどでしたか」


「今朝の報告では、それを少し超えたらしい」


景継は驚かなかった。


むしろ予想していた。


讃岐が崩れれば、阿波にとって次は自分たちの番だと分かる。


だからこそ、まだ戦えるうちに兵を集めたのだろう。


「こちらは?」


「我が兵が四千ほど。伊予からも一部が戻り始めている」


そこへ林道勢が加わる。


数だけを見れば、すでにこちらが上だった。


だが景継は、それだけで楽な戦になるとは考えていない。


追い詰められた者ほど、時に思いもよらぬ抵抗をする。


「元親殿」


「何だ」


「一つ、お願いがあります」


元親が景継を見る。


「今日の戦、最初の使者は元親殿から出してください」


「降伏を勧めろと?」


「はい」


元親は眉を寄せた。


「応じると思うか?」


「分かりません」


景継は正直に答えた。


「ですが、必要なのです」


「何のためだ」


「この戦を、長宗我部殿が終わらせるために」


元親は黙った。


景継は続ける。


「我らが来た途端に力で押し潰せば、阿波の者たちには『林道家に負けた』という思いが残ります。それでは元親殿が四国を治める時に、禍根となるかもしれません」


元親はしばらく前を見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「最後まで、俺を前に立たせるつもりか」


「四国の主は、私ではありませんから」


その言葉に、元親は何も返さなかった。


ただ、わずかに口元を緩めた。


◇ ◇ ◇


昼前。


両軍は阿波の平地で向かい合った。


阿波の蜂起勢は三千余り。


背後には山。


前には長宗我部と林道の軍勢。


数だけなら不利であることは、向こうも分かっているはずだった。


それでも旗は下りていない。


元親の使者が進み出た。


条件は単純だった。


今、武器を捨てるなら命は取らない。


兵として従っただけの者は帰郷を許す。


首謀した者についても、事情を聞かず一律に処断することはしない。


ただし、これ以上戦うなら容赦はしない。


使者が戻るまで、元親は一言も発しなかった。


やがて帰ってきた使者が馬を降りる。


「申し上げます」


元親を見る。


「拒まれました」


周囲の空気が張り詰める。


「そうか」


元親はそれだけ答えた。


清正が槍を持ち直す。


正則も馬上で前を見る。


だが、景継はすぐには命令を出さなかった。


隣にいる元親を見る。


ここから先は、自分ではない。


元親がゆっくりと手を上げた。


「進め」


長宗我部軍の太鼓が鳴った。


四国を揺らした内乱、その最後の戦いが始まった。


◇ ◇ ◇


最初に動いたのは長宗我部軍だった。


正面からゆっくりと前進する。


阿波勢から矢が飛ぶ。


長宗我部兵が盾で受けながら距離を詰めた。


それでも急がない。


景継が求めたのは、敵を包囲して押し潰す戦ではなかった。


「清正殿」


「はっ!」


「右へ。山際まで回ってください。ただし、背後には出ないように」


清正はすぐに意図を理解した。


「逃げ道を残すのですな」


「ええ」


「承知!」


清正勢が動き出す。


「正則殿は左を」


「任せてください!」


正則も兵を率いて駆ける。


正面に長宗我部。


左右には林道勢。


阿波勢から見れば包まれつつあるように見える。


だが、背後の山へ続く道だけは開いていた。


恒興がその陣形を眺めながら口を開く。


「相変わらずだな」


「何がです?」


「逃げ道を残すところだ」


景継は前を見たまま答えた。


「逃げられると思っている者と、ここで死ぬしかないと思っている者では、戦い方が違いますから」


「分かってはいるが、実際にやるのは難しいものだ」


恒興はそう言って、阿波勢へ目を戻した。


「さて。向こうがどう出るか」


答えはすぐに出た。


阿波勢の一部が、正面の長宗我部軍へ突撃した。


「来るぞ!」


槍がぶつかる。


怒号が響く。


だが、長宗我部軍は崩れない。


元親自身が前線近くまで進み、兵を鼓舞する。


「押し返せ! 追う必要はない! 陣を崩すな!」


その声を聞いた景継は、何も言わなかった。


ここは元親の戦場だ。


自分が指図する必要はない。


一方、右では清正が敵の側面へ迫っていた。


「押し込め! だが抜けるな!」


普段の清正なら、そのまま敵陣へ突っ込んでいてもおかしくない。


しかし今回は違った。


兵を進ませて圧力をかけながらも、敵の退路へは回らない。


左の正則も同じだった。


「正則様! 敵が下がります!」


「追うな!」


正則が即座に叫んだ。


「正面へ戻る奴だけ止めろ! 山へ行く奴は放っとけ!」


家臣が一瞬、正則を見る。


「何だよ」


「いえ」


「俺だって命令くらい守るわ!」


「何も申しておりませぬ!」


「顔に書いてある!」


戦の最中だというのに、そのやり取りを聞いた兵たちの表情がわずかに緩んだ。


だが次の瞬間には、再び槍を構える。


戦況は急速に傾き始めていた。


◇ ◇ ◇


阿波勢の中央が崩れたのは、それから半刻ほど後だった。


一人が山へ向かって走った。


続いて二人。


十人。


それを見た別の集団も後退を始める。


「逃げるな!」


指揮する者たちが怒鳴る。


だが止まらない。


背後の道が開いている。


逃げれば生きられる。


その事実が、一度生まれた恐怖を急速に広げていった。


元親はその様子を見逃さなかった。


「今だ!」


長宗我部軍が一歩前へ出る。


ただし、追い立てるのではない。


武器を捨てさせるための前進だった。


「槍を捨てろ!」


「降る者は斬らぬ!」


「武器を置け!」


声が戦場に広がっていく。


やがて、一人の兵が槍を置いた。


両手を上げる。


長宗我部兵は斬らなかった。


それを見ていた者が、また刀を捨てる。


一人。


五人。


十人。


次第にその数が増えていった。


清正が槍を下ろす。


「終わりそうですな」


景継は首を横に振った。


「まだです」


中央の後方。


そこだけは旗が残っている。


今回の蜂起を主導した者たちだった。


兵が逃げても、彼らは退こうとしない。


およそ二百。


周囲から取り残される形になっても、刀と槍を構えていた。


正則が景継のもとへ戻ってくる。


「殿。あそこだけ残ってます」


「見えています」


「俺たちで行きますか?」


景継は答えず、元親を見た。


元親も同じ場所を見ていた。


「俺が行く」


景継が眉を動かす。


「元親殿」


「ここまでお膳立てしてもらったのだ。最後くらい俺にやらせろ」


「戦うのですか?」


「まさか」


元親は馬を進めた。


「話をしてくる」


◇ ◇ ◇


元親がわずかな供だけを連れて前へ出ると、残った者たちに動揺が走った。


「長宗我部元親だ!」


元親の声が響く。


「まだ戦いたい者がいるなら、俺が相手をする!」


誰も動かなかった。


「だが聞け!」


元親は馬上から彼らを見渡す。


「伊予はすでに収まり始めている! 讃岐の港も戻った! ここでお前たちが戦い続けても、四国が変わることはない!」


残った兵たちの顔が揺れる。


「俺の治め方に不満がある者がいることも分かった。土地を奪われたと思う者、土佐の者ばかりが重く用いられると思う者がいることもな!」


景継は遠くからその言葉を聞いていた。


元親は、ただ降伏を迫っているのではない。


今回の反乱そのものと向き合おうとしていた。


「だからといって、兵を挙げたことをすべて許すつもりはない! だが、何も聞かず首を刎ねるつもりもない!」


元親は刀を抜かなかった。


「話があるなら、生きて俺の前へ来い!」


沈黙が流れた。


やがて、残った者たちの中から一人の男が前へ出た。


四十を越えたほどの武士だった。


手にはまだ刀がある。


男は元親を見つめたあと、周囲を見た。


長宗我部の旗。


林道の旗。


そして、自分たちから離れていった兵たち。


勝ち目がないことなど、とうに分かっている。


男はゆっくり膝をついた。


刀を地面へ置く。


その音は小さかった。


だが、それを合図にするように、後ろにいた者たちも次々と武器を置いていった。


元親は黙ってそれを見ていた。


そして最後の一人が槍を置いた時、ようやく大きく息を吐いた。


四国を揺らした戦は、終わった。


◇ ◇ ◇


それから数日。


伊予でも最後まで抵抗していた者たちが降伏した。


讃岐では港が再び開かれ、商船が戻り始めている。


阿波では元親自らが降伏した者たちの話を聞いた。


処断された者もいた。


所領を削られた者もいる。


一方で、兵として従っただけの者の多くは村へ戻された。


元親は今回の騒乱をきっかけに、阿波、讃岐、伊予の統治を見直すことも決めた。


土佐から送り込む者だけに任せず、現地の者も政に加える。


土地の再配分についても、改めて調べる。


すべてが一日で変わるわけではない。


だが、変えなければまた同じ火が上がる。


それを元親自身が理解していた。


そして景継は、その決定に口を挟まなかった。


◇ ◇ ◇


讃岐の港。


林道軍が帰るための船が並んでいた。


三成が最後の荷を確認し、兵たちが次々と乗り込んでいる。


「林道殿」


元親が景継を呼び止めた。


「もう帰るのか」


「戦は終わりましたから」


「もう少しゆっくりしていってもよかろう」


「私が長くいると、三成殿に怒られます」


少し離れた場所から声が飛ぶ。


「聞こえておりますぞ!」


元親が笑った。


だが、その笑みはすぐに消えた。


「林道殿」


「はい」


「本当に何もいらぬのか?」


景継は元親を見る。


「何のことでしょう」


「とぼけるな。兵を出し、船を出し、兵糧まで使った。讃岐の港も、お主の兵がいなければこれほど早く取り戻せなかった」


元親は真っ直ぐ景継を見た。


「土地でも金でもよい。何か言え」


景継は少し困ったように笑った。


「では、一つだけ」


元親の表情が引き締まる。


「言ってみろ」


「次に私が困った時は、助けてください」


元親は目を見開いた。


「……それだけか?」


「ええ」


「約定を結べということか?」


「いいえ」


景継は首を振った。


「その時になって、元親殿が助けてもよいと思われたなら、で構いません」


元親は景継を見つめた。


土地を要求しない。


港も要求しない。


人質も求めない。


書状に残る約定すら求めない。


だからこそ、その言葉は元親の胸に重く残った。


「林道殿」


「はい」


「俺は借りを忘れるほど、恥知らずではない」


景継は静かに頭を下げた。


「それなら十分です」


元親が手を差し出す。


景継は一瞬その手を見てから、しっかりと握った。


「次にお主が助けを求めた時」


元親の声には、迷いがなかった。


「長宗我部は動く」


「覚えておきます」


二人の手が離れる。


その後ろでは、清正と正則がすでに船へ乗り込もうとしていた。


「正則! 押すな!」


「お前が遅いんだろ!」


「船でも競争するなと言われただろうが!」


「帰りは聞いてねえ!」


恒興が深いため息をつく。


「最後まであれか」


吉継が小さく笑った。


「元気でよろしいではありませんか」


「お主は他人事だからそう言えるのだ」


景継もその声を聞きながら船へ向かった。


四国の土地は一寸も増えていない。


城も増えていない。


得たものを地図だけで見れば、何もない。


だが景継は、それでよかった。


船が港を離れる。


岸では元親が立ったまま、遠ざかる林道の旗を見送っていた。


やがて四国の陸地が小さくなり始める。


景継はしばらくそれを眺めたあと、西へ目を向けた。


四国の火は消えた。


しかし、そのさらに向こう。


九州では、別の火が大きくなろうとしている。


そしてその動きを今、官兵衛が見ている。


景継は風を受けながら、静かに目を細めた。


一つの戦が終わった。


だが西国は、まだ静かにはならない。



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