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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第一章 失われた名

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第二十五話 誘われる側から



円の中に三本の線。


景継は、その印を描き写した紙を眺めていた。


津々木蔵人の部屋に残されていた、焼けかけの書状。


文字のほとんどは失われていたにもかかわらず、この印だけは判別できた。


そして調べた先で、京から届く荷に使われていたことが分かった。


「若様」


向かいに座る弥兵衛が声をかける。


「また同じものを見ておられますぞ」


「考えています」


「何を?」


景継は紙を机へ置いた。


「これ、本当に燃やし損ねたのでしょうか」


弥兵衛の表情が変わる。


「わざと残したと?」


「分かりません。ただ、本当に消したい書状なら、最後まで燃やすはずです」


しかも、残った部分には印があった。


その印を調べれば、京へつながる。


偶然にしては、出来すぎている。


「もし、この印を私たちが見つけることまで考えていたとしたら」


「若様を京へ向かわせたい?」


「その可能性はあります」


景継は腕を組んだ。


自分は相手を追っているつもりだった。


だが実際には、用意された道を歩かされているだけなのかもしれない。


ならば。


「弥兵衛」


「はい」


「少し、逆らってみましょうか」


「何にです?」


景継は紙を指で叩いた。


「用意された道に」


その日の午後、景継は信長のもとを訪ねた。


印のこと。


京から届く荷に使われていたこと。


そして、相手がわざと印を残した可能性があること。


信長は黙って聞いた後、


「なら京へ行かなければよい」


と言った。


「それでは、相手が何をしたいのか分かりません」


「分からなくても困らん」


「私は困ります」


「知っておる」


景継は少し眉を寄せた。


「そこで、京へ行くつもりだという噂を流します」


信長の目が変わる。


「実際には行かぬ?」


「はい」


「相手が動くのを待つか」


「私を京へ向かわせたいのなら、何か反応するかもしれません」


信長の口元が上がった。


「やってみろ」


「よろしいのですか」


「止めてもやるだろう」


否定できなかった。


翌日から、景継は城内で意図的に京について尋ね始めた。


京まで何日かかるか。


どの道を通るのか。


途中で泊まるならどこがよいか。


誰なら京に詳しいか。


直接「京へ行く」とは言わない。


だが、聞いた者がそう思う程度には匂わせる。


数日もしないうちに、噂は勝手に広がった。


そして三日後。


城下で景継について尋ね回る男が現れた。


「いつ京へ向かわれるのか、供は何人か、どの道を使うのか。そのようなことを聞いておりました」


知らせてくれた商人に礼を言い、景継は店を出た。


弥兵衛が小声で言う。


「釣れましたな」


「まだです」


「これでも?」


「ただの噂好きかもしれません」


「若様はいつになれば人を疑い切れるのです」


「証拠が出た時です」


「その前に逃げられそうですな」


「だから追います」


その日の夕方、男は清洲を出た。


景継自身は顔を知られている可能性があるため残り、弥兵衛たちに追わせた。


男は最初こそ京へ向かう道を進んだものの、途中で道を変えた。


夜になって戻った弥兵衛が地図を広げる。


「こちらへ向かいました」


「京ではありませんね」


「熱田です」


景継の目が細くなった。


人も物も集まる場所。


遠方から来た者が紛れるにも都合がいい。


「誰かに会いましたか」


「商人です。薬と香を扱っております」


景継の手が止まった。


以前、印を知っていた商人が口にした品と同じだった。


「明日、行きます」


翌朝、景継と弥兵衛は熱田へ向かった。


問題の店は、ごく普通の商家に見えた。


香、薬、紙、器。


京や堺から運ばれてきたという品々が並んでいる。


景継は何気ない顔で店内を見て回った。


やがて、奥に置かれた木箱の前で足が止まる。


小さな印があった。


円の中に三本の線。


「これは?」


店の主人が答える。


「京から届いた品でございます」


「中は?」


「書物にございます」


木箱を開けてもらうと、中には薬について記された書物が入っていた。


景継は一冊を手に取りながら尋ねる。


「この印は、あなたの店のものですか」


「いえ」


「では誰の?」


「荷をまとめる方の印だと聞いております」


「名前は?」


主人は首を横に振った。


「直接お会いしたことはございません。ただ、皆、その方を『先生』と呼んでおります」


景継の指が止まった。


「先生?」


「はい。本名は存じませぬ」


なぜか、その呼び方が胸に引っかかった。


だが、理由は分からない。


景継にとって先生と呼ぶ人物は一人いる。


しかし、京から各地へ荷を送り、津々木につながる印を使う人物と結びつける理由などなかった。


「その先生は商人ですか」


「それも分かりませぬ。書物や薬、珍しい品を集め、各地へ送っている方だとは聞いておりますが」


「どこへ?」


「尾張だけではございません。美濃、三河、近江……駿河へ行くことも」


景継は黙った。


織田。


斎藤。


今川。


複数の勢力へ、同じ印を持つ荷が流れている。


ただの商いなのか。


それとも。


景継は木箱へ視線を落とした。


印。


京。


そして、先生。


ようやく相手の輪郭が、ほんの少しだけ見えてきた。


店を出ても、景継は清洲へ戻らなかった。


少し離れた場所から店を見張る。


「主人を捕らえますか」


弥兵衛が聞いた。


「何の罪で?」


「怪しいです」


「怪しいだけでは捕らえられません。それに、あの主人は何も知らないと思います」


「なぜです?」


「半分は話し方です」


「残り半分は?」


「勘です」


弥兵衛が驚いた顔をする。


「若様が勘を?」


「私にもあります」


「明日は雨ですな」


景継は無視した。


その夜、一人の男が店へ入った。


昼間に追った旅人とは別人だった。


半刻ほどして出てきた男の手には、小さな荷がある。


「追います」


今度は景継も動いた。


男は何度も後ろを確認しながら熱田を離れ、小さな社で別の男へ荷を渡した。


景継たちは、受け取った方を追う。


その男は馬に乗り、北へ向かった。


一刻ほどして、景継は行き先に気づいた。


「この道は……」


弥兵衛も頷く。


「清洲です」


男は深夜の清洲城下へ入り、一軒の屋敷の裏口から姿を消した。


景継は離れた場所から屋敷を見る。


知っている場所だった。


「弥兵衛」


「はい」


「誰の屋敷か分かりますか」


「分かります」


織田家臣。


しかも、信長に近い人物の屋敷だった。


「踏み込みますか」


景継は首を横に振る。


「戻ります」


「今ですか?」


「ここで踏み込めば、その先が消えます」


景継は屋敷を見つめた。


相手は、自分が京へ向かうと思って動いた。


こちらが追っていることには、まだ気づいていないかもしれない。


ならば、利用できる。


今まで自分は、相手が用意した道を歩かされてきた。


今度はこちらが道を作る。


翌朝。


景継は信長の前に座っていた。


「相手につながるかもしれない場所を見つけました」


「誰だ」


「まだ言いません」


信長の眉が動く。


「俺にも?」


「信長様が知れば、顔に出るかもしれません」


「俺が?」


「はい」


「俺を信用していないのか」


「信用しているからです。知らなければ、いつも通りにできます」


信長は景継をしばらく見た後、


「よい」


とだけ言った。


「聞かないのですか」


「気にはなる。だが待つ」


景継は少し目を細めた。


以前、自分が家臣になるまで待つと言った時と同じだった。


「それで、何をする」


「罠を一つ作ります」


「誰のために」


景継は答えた。


「私たちを罠にかけた人のために」


信長が笑った。


同じ頃。


昨夜、荷が運び込まれた屋敷では、一人の男が小さな紙を読んでいた。


『景継、京行きを準備』


男は紙を火へ落とした。


「先生へ伝えろ」


傍らの者が尋ねる。


「何と?」


「林道景継が動いた、と。ただし、おそらく京までは来ぬ」


「なぜです?」


「気づき始めている」


「では、いかがいたします」


男は首を横に振った。


「私が決めることではない。先生の判断を待つ」


しばらくして、返事が届いた。


書状に記されていたのは、わずかな言葉だけだった。


『こちらから会う』


男の眉が動く。


「先生自ら?」


傍らの者も驚いたように顔を上げた。


十三歳の少年一人のために、先生自身が動く。


その理由を、彼らは知らない。


景継もまた、知らなかった。


自分が仕掛けようとしている罠のさらに向こうに、もう一人いることを。


そしてその人物が。


景継の知らないところで、ずっと以前から彼を見ていたことを。



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