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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十一章 乱世狭間編

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第二百二十四話 戦の外側



城へ戻って三日目。


景継は朝から城下を歩いていた。


供をしているのは弥兵衛と三成、それに数人の護衛だけである。


本来なら、もう少し大勢を連れていくべきだと一益には言われた。林道家の領地が広がり、景継の立場も以前とは違う。何が起こるか分からない以上、護衛は多い方がいいというのが一益の考えだった。


それでも景継は、最低限にしてほしいと頼んだ。


大勢を引き連れて歩けば、人々が普段どのように暮らしているのか分からなくなる。


「殿」


隣を歩く弥兵衛が声をかけた。


「何でしょう」


「昨日、しばらく城にいると約束されたばかりでは?」


「城下も城のうちでしょう」


「違うと思いますぞ」


「領内にはいます」


「そういう話でしたかな」


景継は答えず、前を向いた。


隣では三成が呆れたような顔をしている。


「三成まで何か言いたそうですね」


「いえ」


「言ってください」


「殿は休むことが下手なのだと思っております」


「今日は休んでいるつもりですが」


「では、なぜ私が帳面を持っているのでしょう」


三成の腕には、何枚もの書付が抱えられている。


景継はそれを見た。


「念のためです」


「何の念です?」


「何か気づいた時の」


「それを政務と言うのです」


三成の言葉に、弥兵衛が声を上げて笑った。


景継は少し不満そうに二人を見たものの、足は止めなかった。


城下へ出ようと思ったのには理由がある。


昨日、一益や長秀たちから留守中の報告を受けた。


兵糧。


銭。


道。


人足。


馬。


書付を読めば、数字は分かる。


だが、景継は数字だけで国を見たくなかった。


戦場では兵の数を数える。


五千。


一万。


二万。


だが、その一人一人は戦が終われば兵ではなくなる。


百姓へ戻る者がいる。


職人へ戻る者がいる。


父親に戻る者も、息子に戻る者もいる。


その者たちが戻る場所が、今どうなっているのか。


それを自分の目で見ておきたかった。


城下は、景継が想像していたより賑わっていた。


商人の声が飛び交い、道の脇には野菜や魚、布などを並べた店が続いている。


子供たちが走り回り、その後ろから母親らしき女が声を上げていた。


景継は少し安心した。


戦が続いたからといって、すべてが止まっていたわけではない。


むしろ、自分たちが戦っている間も人々は暮らし続けていた。


当たり前のことだった。


だが、戦場に長くいると、その当たり前を忘れそうになる。


「思ったより、人が多いですね」


景継が呟く。


三成が頷いた。


「城下については、大きな混乱はございませんでした。一益殿や長秀殿がかなり気を配っておられましたので」


「そうですか」


また二人に礼を言わなければならない。


そう考えながら歩いていると、一台の荷車が目に入った。


車輪が大きく傾いている。


男が二人がかりで持ち上げようとしていた。


その脇には、袋に入った穀物が積まれている。


景継が足を止めた。


「どうしました?」


弥兵衛が尋ねる。


「あれです」


景継は荷車へ近づいた。


男たちは最初、近づいてくる一行を気にしていなかった。


だが、その中の一人が景継の顔に気づいたらしい。


目を見開く。


「と、殿……?」


その声で、周囲の者たちまでこちらを見る。


景継は少し困った。


大勢を連れてこなかった意味が、あまりなくなった。


「そのままで構いません」


景継は荷車を見る。


「壊れたのですか?」


男は慌てて頭を下げた。


「は、はい。申し訳ございません」


「なぜ謝るのです?」


男が困った顔をする。


景継はしゃがみ込み、車輪を見た。


軸の一部が傷んでいる。


「古いものですか?」


「いえ、その……このところ、よく使いましたので」


「何に?」


男は一瞬ためらった。


「兵糧運びにございます」


景継の表情が変わった。


三成も荷車を見る。


「この荷車も徴用したものですか?」


三成が尋ねると、男は頷いた。


「西へ何度も」


景継は黙って車輪に触れた。


毛利との戦。


宇喜多を守るために大量の兵を動かした。


当然、その兵を食わせるための米も運ばなければならない。


戦場へ届いた兵糧の向こう側に、こうして何度も荷車を走らせた者がいた。


「修理代は?」


景継が尋ねる。


男は答えに詰まった。


その反応だけで十分だった。


景継は三成を見る。


「こういうものは、どのような扱いになっています?」


「徴用時の取り決めはあります。ただ……」


三成が言葉を濁す。


「壊れた場合までは?」


「すべてを十分に補えているとは申せません」


景継は立ち上がった。


「調べてください」


「はい」


「この荷車だけではありません。軍のために馬や荷車を出した者で、壊れたり失ったりした者がどれだけいるのか」


三成がすぐに帳面を開こうとした。


景継がそれを止める。


「今でなくていいですよ」


三成が顔を上げる。


「今日は休んでいるのでしょう?」


景継が言うと、三成は一瞬黙った後、苦笑した。


「殿がそれをおっしゃいますか」


「私も覚えておきますから、三成も覚えておいてください」


「承知しました」


景継は男へ向き直った。


「何度も兵糧を運んでくれたのですね」


「い、いえ。俺は言われたことをしただけで……」


「それでも、あなたたちが運んでくれなければ、私たちは戦えませんでした」


男は何も言えなくなった。


景継は頭を下げるほど深くはしなかったが、僅かに首を垂れた。


「ありがとうございました」


周囲が静かになった。


男は慌てて何度も頭を下げた。


景継はそれ以上何も言わず、歩き出した。


城下を抜け、少し離れた田畑へ向かう。


そこで景継は、別のものを目にした。


田の一角で、足を引きずりながら作業している若い男がいる。


片足には布が巻かれていた。


戦で負った傷だと、一目で分かった。


景継が近づくと、男もこちらに気づいた。


驚いて頭を下げようとする。


「そのままで」


景継は声をかけた。


「足は?」


「もう大丈夫にございます」


大丈夫な歩き方には見えない。


景継は男の足を見た。


「今回の戦ですか?」


「はい」


「どこで?」


「宇喜多様の領内で」


景継は覚えていた。


毛利との戦で、何度も激しいぶつかり合いがあった場所だ。


「もう田へ戻っているのですか?」


「家の者だけでは手が足りませぬので」


男はそう答えた。


景継は周囲を見る。


年老いた男と女。


それから、まだ幼い子供が二人。


おそらく家族なのだろう。


戦へ一人出れば、その間の仕事を残った者が背負う。


帰ってきても、傷を負っていれば以前と同じようには働けない。


死んで帰らなかった者なら、なおさらだ。


景継は何も言えなくなった。


勝った。


毛利を退けた。


備後を得た。


それは間違いなく林道家にとって大きな勝利だった。


だが、勝利の代価は戦場だけに落ちているわけではない。


「三成」


「はい」


「負傷して戻った兵について、今はどうしています?」


「重傷者には一定の扶持を出しております。ただ、傷の程度や家ごとの差までは、まだ十分に把握できておりません」


「そこも調べましょう」


三成が頷く。


「戦で働いた者が、その傷のせいで家族ごと困るようではいけません」


男が驚いたように景継を見る。


景継はその視線に気づいたが、特別なことを言ったつもりはなかった。


兵は駒ではない。


戦が終われば、元の暮らしへ戻っていく。


ならば、そこまで考えるのが兵を出した者の責任だ。


「すぐにすべてを変えるとは約束できません」


景継は男へ言った。


「ですが、調べます」


「……ありがとうございます」


男は深く頭を下げた。


景継はその姿をしばらく見た後、再び歩き出した。


帰り道。


弥兵衛が珍しく静かだった。


景継が横を見る。


「どうしました?」


「いえ」


「何かあるでしょう」


弥兵衛は少し考えてから答えた。


「戦場にいる時は、考えたことがありませんでした」


「何をです?」


「俺たちが食っていた米を、誰が運んでいたのか」


景継も前を向いた。


「私もです」


「殿も?」


「知ってはいましたよ」


兵站がなければ軍は動かない。


そんなことは司馬懿だった頃から知っている。


だが、それは知識だった。


何千石必要か。


何頭の馬がいるか。


何日で運ぶか。


数字として考えていた。


壊れた荷車の前で困っている男の顔まで、そこに含めていただろうか。


「知っていることと、見ることは違いますね」


景継は静かに言った。


弥兵衛は何も返さなかった。


少し先を歩く三成が振り返る。


「殿」


「はい」


「先ほどの件ですが」


「もう考えているのですか?」


「殿が言い出したのでしょう」


「今日は休みなのに」


「誰のせいですか」


景継は笑った。


三成は呆れながらも話を続ける。


「負傷兵への扶持を一律に増やすだけでは、銭がいくらあっても足りません。家族の人数や傷の程度、元の暮らしも見た方がよいかと」


「そうですね」


「荷車や馬についても、すべて新しく買い与えるのは難しいでしょう。修理できるものは修理し、その費用の一部をこちらで持つ形なら――」


景継は三成の話を聞きながら歩いた。


一つ何かを良くしようとすれば、銭がいる。


銭を出すためには、どこかから得なければならない。


国を治めるというのは、ただ善いことを言えば済むほど簡単ではない。


だからこそ面白い、とまでは思わない。


だが、やらなければならない。


「三成」


「はい」


「急いで決めなくて構いません」


三成が景継を見る。


「まず調べましょう。どれだけの者が困っているのか分からないまま制度を作れば、必ずどこかに無理が出ます」


「承知しました」


「吉継にも相談してください。一益殿と長秀殿にも」


「はい」


「それから――」


景継は言いかけて、口を閉じた。


三成が待っている。


「何でしょう」


「いえ」


「途中で止めないでください」


景継は少し笑った。


「今日はここまでにしましょう」


三成と弥兵衛が同時に景継を見た。


「何です?」


「殿が自分から政務を止めましたぞ」


弥兵衛が言う。


「昨日から随分失礼ですね」


「これは楓様に報告せねば」


「なぜです?」


「お喜びになります」


「やめてください」


三成まで笑っている。


景継は二人を置いて、少しだけ歩く速度を上げた。


城へ戻ると、楓が庭にいた。


その腕には万代丸がいる。


景継は二人の姿を見つけると、先ほどまで三成と話していたことが一瞬頭から消えた。


楓もこちらに気づいた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま戻りました」


景継は自然と万代丸へ近づく。


「今日は泣いていませんね」


「今のところは」


「抱いても?」


「どうぞ」


万代丸を受け取る。


昨日よりは慣れた。


少なくとも景継自身はそう思っている。


腕の中へ収まった万代丸が、小さな手を動かした。


景継はその手を見る。


あまりにも小さい。


この手が刀を握る日など、まだ想像もできない。


いや。


握らなくてもよいのかもしれない。


自分が戦うのは、この子まで同じように戦わせるためではない。


「景継様?」


楓の声に、景継は顔を上げた。


「どうされました?」


「今日、城下を見てきました」


景継は歩きながら見たものを楓へ話した。


壊れた荷車。


傷を負って帰ってきた兵。


戦場の外にも、戦の跡が残っていたこと。


楓は途中で口を挟まず聞いていた。


「私たちは勝ちました」


景継は万代丸を見ながら言う。


「ですが、勝ったから元通りになるわけではないのですね」


「そうですね」


「少し時間が必要です」


国にも。


人にも。


そして、おそらく自分にも。


「だから、しばらくは戦わないことにします」


楓が景継を見る。


「前にも聞きました」


「念のため、もう一度言っておこうと思いまして」


「誰にです?」


「楓に」


「なぜ私に?」


景継は腕の中の万代丸へ視線を落とした。


「私自身が忘れないようにです」


楓はしばらく景継を見つめ、それから小さく笑った。


「では、私も覚えておきます」


「お願いします」


「もし景継様が忘れたら?」


「……教えてください」


「分かりました」


万代丸が小さく声を上げた。


二人が同時にそちらを見る。


景継は少しだけ抱く腕に力を込めた。


戦に勝って国を広げる。


それだけでは足りない。


戻ってきた兵が、また暮らしていける国にする。


戦場へ米を運んだ者が、そのために暮らしを失わないようにする。


そして、この腕の中にいる子が大きくなった時、今より少しでも生きやすい国を残す。


戦わぬ日々に何をするのか。


その答えを、景継はようやく見つけ始めていた。



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