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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十一章 乱世狭間編

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第二百二十三話 戦わぬ日々




翌朝。


景継が目を覚ました時、外はすでに明るくなっていた。


「……しまった」


思わず声が漏れる。


戦場では、空が白み始める前に目を覚ますことが多かった。敵がいつ動くか分からず、眠っていてもどこかで気を張っていたからだろう。


それが昨夜は、横になってからの記憶すらほとんどない。


隣を見ると、楓がこちらを見ていた。


「おはようございます」


「おはようございます。今は何刻ですか?」


「景継様が驚かれるくらいの刻です」


「それでは分かりません」


楓が小さく笑った。


「いつもより随分と遅いですよ」


景継は起き上がろうとした。


「では、すぐに支度を――」


「景継様」


呼び止められて動きを止める。


「昨日、今日は少し休むとおっしゃっていませんでしたか?」


「昨日は休みました」


「昨日だけなのですか?」


「……駄目ですか?」


楓は答えず、景継をじっと見た。


その視線に耐えられず、景継は再び腰を下ろした。


「分かりました。朝くらいはゆっくりします」


「朝くらいは、なのですね」


「何もしないというのも落ち着きませんので」


「それは知っています」


長く離れていたはずなのに、このやり取りは何も変わらない。


それが景継には嬉しかった。


ふと隣を見る。


万代丸はまだ眠っていた。


小さな胸がゆっくりと上下している。


景継は少し身を寄せ、その寝顔を覗き込んだ。


「よく眠りますね」


「夜中に一度起きましたよ」


「そうなのですか?」


「景継様は全く起きませんでした」


景継の顔が僅かに曇った。


「泣いていましたか?」


「少しだけ」


「起こしてくださればよかったのに」


「何度か声をかけました」


「……本当ですか?」


「はい」


景継は黙った。


どうやら、自分で思っていた以上に疲れていたらしい。


「すみません」


「謝ることではありません」


楓は穏やかに答えた。


「帰ってきてくださったのですから、まずは休んでください」


その言葉に、景継はしばらく何も返せなかった。


やがて万代丸が小さく身じろぎした。


二人の視線が同時に向く。


「起きますかね」


「どうでしょう」


景継はじっと待った。


万代丸は少しだけ手を動かし、そのまま再び眠ってしまった。


「……寝ましたね」


「寝ましたね」


景継は少し残念そうに身体を戻した。


楓がその横顔を見て笑う。


「景継様」


「何でしょう」


「そんなに万代丸を見ていたかったのですか?」


「せっかく帰ってきたのですから」


「昨日からずっと見ておられますよ」


「まだ足りません」


即答すると、楓が目を丸くした。


景継も自分で少し驚いたが、言い直す気にはならなかった。


「今まで見られなかった分がありますから」


楓の表情が柔らかくなる。


「では、今日はたくさん見てあげてください」


「そうします」


そう答えたものの、景継が本当に何もせずにいられたのは朝までだった。


昼前。


景継は広間にいた。


目の前には一益と長秀。


その横には三成と吉継が座り、少し離れた場所には弥兵衛もいる。


一益が景継を見た。


「殿」


「何でしょう」


「今日は休まれるのでは?」


「休んでいますよ」


「どこがです?」


「軍議ではありません」


景継は机の上を指した。


そこに地図はない。


軍勢の配置を書いた書付もない。


代わりに置かれているのは、各地から届いた簡単な報告だけだった。


「留守の間の話を聞いているだけです」


三成が呆れたように景継を見る。


「それを政務と言うのではありませんか」


「三成まで一益殿の味方ですか?」


「味方も何もございません」


吉継が横で笑っている。


「殿が戻られたら、すぐこうなると思っておりました」


「吉継まで」


「皆、殿のことを分かってきたのでしょう」


昨日、楓にも似たようなことを言われた。


どうやら自分は、それほど分かりやすいらしい。


「では、一刻だけにします」


一益が首を振った。


「二刻になりますな」


「しません」


「三刻かもしれません」


「一刻です」


「では、我らが見張っておきましょう」


景継は少し不満だったが、反論はしなかった。


「それで、留守の間は?」


話を向けると、三成が書付を広げた。


「大きな混乱はございません。ただ、出兵が続いたことで兵糧の消費は増えております。特に運搬に使った馬と人足への負担が大きく、いくつかの道も傷んでおります」


景継の表情が変わる。


戦場へ兵糧を届けるためには、道が必要になる。


軍が通れば道は傷む。


馬も疲れる。


人も使う。


戦場だけを見ていては分からない負担だった。


「修繕にはどの程度かかります?」


「調べております。ただ、今すぐ次の大軍を西へ動かせと言われれば、難しいかと」


「動かしません」


景継は即答した。


「昨日も言いましたが、しばらく大きな戦はしません」


三成が少し安心したように頷く。


長秀が続けた。


「柴田家から引き継いだ土地についても、まだ完全に落ち着いたとは申せません。大きな反乱などはございませんが、人の配置を変えたところも多くあります」


「そこも急がない方がよいでしょうね」


「はい。勝家殿の頃から仕えていた者たちもおります。殿への忠誠をすぐ求めるより、まずは今まで通り暮らせると分かってもらう方がよろしいかと」


景継は頷いた。


備後も同じだ。


領主が変わったからといって、人の心まで同じ日に変わるわけではない。


「一益殿はどう思います?」


「長秀殿に同意いたします」


一益は腕を組んだ。


「今の林道家は、少し大きくなるのが早すぎますな」


その言葉に、景継は黙った。


責めるような口調ではない。


むしろ事実をそのまま言っているだけだった。


「越前もあります。柴田家から加わった者たちもおります。そして今度は備後。地図の上では領地が増えておりますが、そこに殿の命令が届くだけでは足りません」


「人がついてこなければ意味がない、ということですね」


「はい」


一益は頷いた。


「戦で国を取るより、取った国を自分たちの国にする方が時間がかかります」


景継はその言葉をしばらく考えた。


前世でも知っていたことだった。


それでも、この世界へ来てからは生き残るために前へ進み続けた。


敵が来れば戦い、必要なら領地を取り、仲間を増やした。


気づけば、林道家は景継自身が思っていた以上に大きくなっている。


「……ちょうどよいのかもしれませんね」


「何がです?」


弥兵衛が尋ねる。


「立ち止まる時期です」


景継は広間にいる者たちを見回した。


「兵を増やすことより、今いる兵をきちんと養えるようにする。領地を増やすことより、今ある領地を豊かにする。新しい家臣を増やすだけではなく、今いる者たちが働きやすくする」


三成が頷く。


「銭も必要です」


「そこは三成に任せます」


「簡単に言わないでください」


「得意でしょう?」


「得意かどうかと、簡単かどうかは別です」


景継は笑った。


「では、吉継も一緒に」


「私まで巻き込まれましたか」


吉継も苦笑する。


「一人より二人の方がよいでしょう」


「そういう問題でしょうか」


広間に小さな笑いが広がった。


少し前まで、軍議で誰をどこへ動かすかばかり話していた。


今は道や兵糧や銭の話をしている。


派手さはない。


だが、景継にはこちらも同じくらい重要に思えた。


「殿」


長秀が声をかける。


「はい」


「一つ、お願いがございます」


「何でしょう」


「本当に、しばらく戦をなさらぬのであれば」


長秀は穏やかな表情のまま続けた。


「殿ご自身も、少し城にいてください」


景継は目を瞬いた。


「私が?」


「はい」


「政務をしろということですか?」


「それもありますが、それだけではございません」


長秀は周囲を見る。


「殿が戦場へ出ておられる間、家臣も領民も殿の顔を見ることができません。林道家が大きくなった今だからこそ、殿がここにいることにも意味がございます」


景継は返事をしなかった。


一益も頷いている。


「それに」


一益が続けた。


「奥方様と若君もおられます」


景継はそちらを見る。


「昨日お会いしたばかりですが」


「そういう意味ではありません」


「分かっています」


一益が笑う。


「若君など、殿が次に帰った時には歩いておられるかもしれませんぞ」


「それは困ります」


景継の返事があまりにも早く、全員が一瞬黙った。


そして弥兵衛が吹き出した。


「何がおかしいのです?」


「いえ、殿にも困ることがあるのだと思いまして」


「ありますよ」


「毛利よりも?」


「比べるものではないでしょう」


景継は真面目に答えた。


「昨日見た時だけでも、生まれた頃より随分大きくなっていました。このまま何度も長く家を空けていれば、本当に色々と見逃してしまいます」


口にしてから、景継は少しだけ照れたように視線を逸らした。


だが、誰もからかわなかった。


長秀が穏やかに頷く。


「ならば、ちょうどよろしいではありませんか」


「そうですね」


景継は素直に答えた。


「しばらくは、ここにいます」


その言葉を聞いた一益が、わざとらしく三成を見る。


「聞きましたか?」


「聞きました」


三成が答える。


「書き残しておきましょうか」


「必要ありません」


「後で忘れられると困りますので」


「忘れませんよ」


「殿の場合、九州から何か知らせが届けば分かりませぬぞ」


弥兵衛まで加わる。


景継は一人ずつ顔を見た。


「……私の信用が随分と低いですね」


吉継が笑った。


「戦に関することだけは」


「そこまで言われたら、意地でも城にいます」


「それなら安心です」


今度こそ、皆が笑った。


結局、一刻で終えるはずだった話は、本当に一刻で終わった。


一益が時間を見て、強引に書付を片づけたからだった。


「続きは明日にございます」


「あと少しだけ――」


「明日です」


「一益殿」


「明日です」


景継は諦めた。


広間を出て、廊下を歩く。


何をしようか。


政務は止められた。


軍議もない。


鍛錬でもしようかと考えたが、それでは休んでいないと言われそうだった。


そんなことを考えながら歩いていると、前から楓がやってきた。


腕には万代丸がいる。


景継の足が止まった。


楓も景継に気づく。


「もう終わったのですか?」


「一益殿に追い出されました」


「よいことです」


「楓は私の味方ではなかったのですか?」


「景継様を休ませるという意味では、一益殿の味方です」


景継は小さく息を吐き、万代丸を見る。


起きている。


「万代丸」


近づくと、万代丸の目が景継の方へ向いた。


景継の表情が変わった。


「今、私を見ましたよね?」


「見ましたね」


「やはり覚えているのでは?」


「昨日帰ってきたばかりですよ」


「それでもです」


楓が笑う。


「抱かれますか?」


「はい」


今度は迷わなかった。


景継は万代丸を受け取る。


昨日より、少しだけ自然に抱けた気がした。


「上手になりましたね」


「一日で?」


「昨日よりは」


景継は満足そうに万代丸を見る。


「今日は泣きませんね」


そう口にした直後、万代丸の顔が少し歪んだ。


「……楓」


「大丈夫です」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんですか?」


万代丸が声を上げる。


景継は慌てて昨日教わった通り、ゆっくり身体を揺らした。


楓は隣で笑っている。


「景継様」


「何でしょう」


「楽しそうですね」


景継は万代丸をあやしながら、少し考えた。


戦場で勝った時とも違う。


策が思い通りに進んだ時とも違う。


何かを手に入れたわけでもない。


ただ、家にいて、妻と話し、息子を抱いている。


それだけだった。


「……そう見えますか?」


「はい」


昨日も似たことを聞かれた。


だが今日は、自分でも答えが分かっていた。


「なら、たぶんそうなのでしょう」


景継は笑った。


しばらくは戦わない。


次の国を取ることも考えない。


今ある国を整え、疲れた者を休ませ、自分もここで暮らす。


そんな日々が、少しくらいあってもいい。


いや――今の林道家には、きっと必要なのだ。


景継は腕の中の万代丸を見た。


昨日より上手く抱けた。


それだけのことが、妙に嬉しかった。


戦わぬ日々が始まった。



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