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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十一章 乱世狭間編

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第二百二十一話 戦の終わり



官兵衛が戻ってきたのは、陽が西へ傾き始めた頃だった。


朝から続いていた戦場の片づけも、ようやく一段落しようとしている。


負傷者の多くは後方へ運ばれ、各隊では失った兵や武具の確認が進められていた。昨日まで敵味方の怒号が飛び交っていた場所を、今は荷を抱えた兵たちが行き来している。


戦が終わったからといって、その痕跡まで一日で消えるわけではない。


折れた槍や踏み荒らされた地面が残り、ところどころには乾き始めた血の跡も見える。


景継は陣の中で、各隊から届いた報告に目を通していた。


正則。


清正。


利家。


成政。


宇喜多勢。


そして弥兵衛が率いた兵たち。


勝ったとはいえ、失ったものがないわけではない。


紙に並ぶ死傷者の数を見るたび、景継の視線は自然と止まった。


勝利という言葉だけを見れば、その向こうにいる一人一人の顔は消えてしまう。


だが、家へ帰れなくなった者にも家族がいる。


傷を負った者の中には、これまでのように槍を握れなくなる者もいるだろう。


だからこそ、勝った後まで考えなければならない。


「殿」


外から弥兵衛の声がした。


「官兵衛殿がお戻りです」


景継は持っていた書付を置いた。


「入っていただいてください」


ほどなくして官兵衛が姿を見せた。


寺へ向かう前と変わらぬ落ち着いた足取りだったが、景継はその顔を見た瞬間、少なくとも交渉が完全に決裂したわけではないと察した。


官兵衛が景継の前へ座る。


「お待たせいたしました」


「いえ。それで、毛利の答えは?」


景継が尋ねると、官兵衛は一度姿勢を正した。


「受け入れるとのことにございます」


景継の目が僅かに動いた。


「すべてですか?」


「はい」


「備後も?」


「それも含めてございます」


景継はすぐには答えなかった。


あれほど強く反発していたという元春までいる。


簡単に決まるとは思っていなかった。


「よく、まとまりましたね」


「毛利も、備後一国と毛利家全体を秤に掛けたのでしょう」


「元春殿は?」


「最後まで納得はされておりません」


「でしょうね」


むしろ、その方が景継には自然に思えた。


自らが守ってきた土地を、昨日まで戦っていた相手へ渡すのだ。


笑って受け入れられる方がおかしい。


「ただし、毛利側からもいくつか求められました」


「聞きましょう」


官兵衛は寺でまとまった内容を、一つずつ景継へ説明した。


備後の引き渡しは、双方で日程を決めたうえで段階的に行う。


毛利へ残ることを望む家臣については、無理に林道家へ仕えさせない。


反対に備後へ残り、林道家へ仕えることを望む者については、林道家がその者を見たうえで判断する。


そして毛利が今回の約定を守る限り、林道家は備後より先の毛利領を求めない。


宇喜多や信孝を利用し、間接的に毛利領を奪うこともしない。


その内容を、景継自身の名で書状に残す。


最後まで聞いた景継は、しばらく考えた。


「問題ありません」


官兵衛が景継を見る。


「よろしいので?」


「ええ。備後を得ることが目的であって、備後を荒らすことが目的ではありません」


景継は地図へ視線を落とした。


城を受け取れば終わりではない。


そこには人が暮らしている。


年貢を納める百姓もいれば、商いをする者もいる。毛利に仕えてきた武士も、その家族もいる。


領主が変わったからといって、昨日までの暮らしまで消えるわけではない。


「引き渡しには時間をかけましょう。毛利側と話し合いながら進めてください」


「承知いたしました」


「毛利へ戻りたい者も止めなくて構いません。逆に備後へ残りたい者については、一人ずつ見てください。毛利に仕えていたというだけで退ける必要はありませんが、何も確かめず召し抱えるわけにもいきません」


「三成殿と吉継殿にも加わっていただいた方がよろしいでしょう」


「そうしましょう」


そこまで話して、景継は少し考えた。


「それと、毛利との約定については私の名で書状を出します」


「ありがとうございます」


「こちらから求めておいて、こちらだけが口約束では筋が通りませんから」


景継は筆を取りかけ、ふと手を止めた。


「九州での恩賞についても入れてください」


「もちろんにございます」


「曖昧にはしたくありません。兵だけではなく、船でも兵糧でも、輸送でも情報でもいい。毛利がこちらのために働いたのであれば、その働きはきちんと功として扱うと」


官兵衛が静かに頷いた。


「毛利にも、その旨は伝えております」


「ならば、それも書きましょう」


景継は筆を置いた。


「負けた相手だからといって、いつまでも敗者として扱えばよいわけではありません」


昨日まで敵だった。


だからこそ、最初の条件は厳しくした。


だが、その後まで敗者であることを理由に扱いを変え続ければ、毛利が本当の意味で協力する日は来ない。


「約束を守って働いた者には報いる。それはこちらのためでもあります」


「人を動かすには、恐れだけでは足りませぬからな」


「ええ」


景継は地図の毛利領を見た。


昨日までは、そこから兵が押し寄せてきた。


今後は、その兵が自分たちと同じ方向へ向かうことになるかもしれない。


もちろん、書状一枚で昨日までの敵意が消えるとは思っていない。


それでも最初の一歩にはなる。


「官兵衛殿」


「はい」


「お疲れさまでした」


官兵衛は僅かに頭を下げた。


「景継様も」


「私はほとんどここにいただけですよ」


「昨日は戦場におられました」


景継は答えなかった。


昨日。


その一言で、まだ耳の奥に残っている音が蘇る。


槍と槍がぶつかる音。


兵たちの叫び。


負傷した者の声。


そして、西へ逃げていった毛利の兵たち。


「……終わりましたね」


景継が静かに言った。


官兵衛は少し間を置いてから答えた。


「はい」


それだけだった。


勝った。


備後も得た。


毛利との関係も形になった。


それでも、景継には大声で喜ぶ気にはなれなかった。


終わったという安堵の方が大きかった。


しばらくすると、外から声がした。


「殿、入ってもよろしいですか」


弥兵衛だった。


「どうぞ」


襖が開き、弥兵衛が入ってくる。


「毛利との話が決まったと聞きましたが」


「早いですね」


「皆、気にしておりますから」


景継は官兵衛を見た後、弥兵衛へ頷いた。


「決まりました。毛利とはこれで戦を終えます」


弥兵衛の顔から、目に見えて力が抜けた。


「……そうですか」


喜びの声を上げるわけでもない。


ただ、深く息を吐いた。


その反応を見て、景継は改めて思う。


戦が終わるということは、勝ったということだけではない。


明日、また槍を持って死ぬかもしれない者たちが、生きて帰れるということでもある。


「弥兵衛」


「はい」


「皆に伝えてください。毛利との戦は終わりました」


「承知しました」


弥兵衛が立ち上がりかける。


「それと」


「はい?」


「明日から、順次兵を休ませます」


弥兵衛が少し驚いた。


「すぐに戻すので?」


「すぐに全軍というわけではありません。備後の引き渡しもありますし、宇喜多領の安全も確認しなければなりません」


景継は机の上に積まれた報告書を見る。


「ですが、これ以上ここへ大軍を置いておく必要はないでしょう」


官兵衛が口を開いた。


「九州への備えは?」


「まだ動きません」


今度は官兵衛が景継を見る。


「毛利との戦で、こちらも随分と使いました」


兵だけではない。


兵糧。


武具。


馬。


銭。


そして、人。


柴田勢も宇喜多勢も信孝軍も動いた。


林道家の兵も長く戦場に出ている。


勝ったからといって、疲労まで消えるわけではない。


「九州へ行くのであれば、なおさら今は休むべきです」


景継はそう言って、地図の西から一度目を離した。


「兵を家へ帰します。傷ついた者を治し、兵糧を蓄え直す。備後も落ち着かせなければなりません」


「毛利にも、立て直す時間を与えることになりますぞ」


弥兵衛が言った。


「構いません」


景継は即答した。


「これから毛利にも働いてもらうのでしょう?」


弥兵衛が「あ」と小さく声を漏らした。


「弱ったままの毛利を連れて九州へ行っても仕方ありません。向こうにも兵を休ませ、国を立て直してもらいます」


官兵衛が景継を見ていた。


「敵でなくなった以上、毛利の国力が戻ることを恐れる必要はない、と?」


「恐れないわけではありません」


景継は首を横に振った。


「だから備後を押さえ、約定も結んだのでしょう」


警戒はする。


だが、警戒することと、相手を弱らせ続けることは違う。


毛利をこれから西へ向けて使うのであれば、毛利にも力が必要になる。


「それに――」


景継は少し間を置いた。


「私たちも、少し戦いすぎました」


弥兵衛が黙った。


官兵衛も何も言わない。


ここしばらく、あまりにも多くのことがあった。


領地を広げた。


柴田家を迎えた。


毛利と戦った。


そのたびに景継は次のことを考え、立ち止まることなく進んできた。


だが、国は地図の上だけで大きくなるものではない。


領地が増えれば、そこを治める者がいる。


兵が増えれば、その兵を養う田畑が必要になる。


戦で傷ついた者がいれば、その者たちが戻る場所も必要になる。


「しばらくは、内を整えます」


景継は二人を見た。


「三成と吉継には、帰ったらすぐに今の林道家の状態を調べてもらいます。どれだけ銭を使い、兵糧がどれだけ残り、どこに人手が足りないのか。柴田家との繋がりも、備後の統治もまだ始まったばかりです」


官兵衛が頷く。


「よろしい判断かと存じます」


「官兵衛殿にも働いていただきますよ」


「もちろんにございます」


「ですが、その前に休んでください」


官兵衛が一瞬だけ黙った。


「私もですか」


「当然です」


「まだ備後の件がございますが」


「明日一日休んだから備後が消えるわけではありません」


「それはそうですが」


景継は弥兵衛を見る。


「弥兵衛もです」


「俺まで?」


「あなたもです」


「俺は元気ですぞ」


「昨日、何時間戦っていたと思っているのですか」


弥兵衛は何か言おうとして、結局口を閉じた。


景継は二人を見ながら、小さく息を吐いた。


「私も休みます」


今度は弥兵衛が景継をじっと見た。


「何です?」


「殿からその言葉を聞くとは思いませんでした」


「私だって休みますよ」


「本当に?」


「……休むつもりです」


「少し怪しくなりましたな」


景継は答えず、机の上に広げられた地図へ目を落とした。


だが、もう九州を見てはいなかった。


頭に浮かんでいたのは、帰った先にいる者たちだった。


楓。


万代丸。


滝川一益。


丹羽長秀。


そして、自分が戦場へ出ている間も国に残り、それぞれの役目を果たしてくれていた者たち。


随分と長く顔を見ていないような気がする。


中でも、万代丸のことを考えると、不思議と気持ちが急いた。


毛利が動き始めてから、家を空ける日が増えていた。生まれたばかりの息子と過ごせた時間など、思い返してみれば驚くほど少ない。


戦場にいる間にも、楓から何度か便りは届いている。


元気にしていること。


よく泣くこと。


少しずつ人の顔を目で追うようになったこと。


最近は抱き上げると、以前よりも手足をよく動かすようになったこと。


どれも戦の行方とは何の関係もない話だった。


それなのに景継は、軍議の書状より先に楓からの便りを開いてしまったことが、一度や二度ではなかった。


「殿?」


弥兵衛に呼ばれ、景継は顔を上げた。


「何でしょう」


「先ほどから、随分と嬉しそうですな」


「そう見えますか?」


「見えます」


景継は自分の頬へ手をやった。


特に笑っているつもりはなかった。


「毛利との戦が終わったのですから、当然でしょう」


「それだけですか?」


「それだけとは?」


弥兵衛が笑っている。


景継はその顔を見て、何を言いたいのか察した。


以前なら、適当に話を逸らしていたかもしれない。


だが今日は、そうする気にならなかった。


「……早く帰りたいとは思っています」


弥兵衛が少し意外そうな顔をした。


「何です、その顔は」


「いえ。殿が素直におっしゃったので」


「私だって、それくらいは言います」


「誰に会いたいので?」


聞かれて、景継は少し考えた。


一人だけではなかった。


「楓に会いたいですね」


まず浮かんだ名前を口にする。


「無事に戻ったと、自分の口で伝えたいです」


それから、自然と口元が緩んだ。


「万代丸にも、早く会いたいです」


生まれた日に腕へ抱いた、小さな身体。


自分の指を握った、あまりにも小さな手。


あれから、どれほど変わったのだろう。


「大きくなっているでしょうか」


「なっているのでは?」


「どのくらい?」


「俺に聞かれましても」


「役に立ちませんね」


「赤子の育ち方まで俺に求めないでください」


弥兵衛が困ったように笑う。


景継も僅かに笑った。


だが、会いたい者はそれだけではない。


「一益殿にも会いたいですね」


「滝川殿に?」


「ええ。留守を随分と任せていますから」


滝川一益。


自分が外へ出ている間にも、林道家を支えてくれている一人だった。


「帰ったら、また何か言われるでしょうね」


「何をです?」


「長く国を空けすぎだ、と」


「言われそうですな」


「否定できません」


景継は苦笑した。


「長秀殿にも会いたいです」


丹羽長秀。


信長の頃から長く織田を支え、今は景継にとっても欠かすことのできない存在になっている。


戦場へ出ている間にも書状のやり取りはしている。


だが、書状と顔を合わせて話すことは違う。


「それから三成、吉継、且元、長泰……」


景継は途中で言葉を止めた。


弥兵衛が笑っている。


「結局、皆ではございませんか」


景継は少し考えてから、素直に頷いた。


「……そうですね」


自分でも、少し意外だった。


かつては帰るという言葉を、これほど待ち遠しく思ったことがあっただろうか。


前世にも家族はいた。


仕えるべき主君も、守るべきものもあった。


それでも今、この胸にあるものは、あの頃とは少し違う気がする。


林道景継として生きてきた年月の中で、自分の周りには随分と多くの者が増えた。


家族。


家臣。


友。


共に戦った者。


自分を待ってくれている者。


そして、自分もまた会いたいと思える者たち。


「早く帰りたいですね」


景継はもう一度言った。


今度は、弥兵衛もからかわなかった。


「はい」


短く答えた後、弥兵衛も少し笑う。


「俺もです」


景継はその言葉に頷いた。


「では、帰りましょう」


「明日にでも?」


「できれば」


「早いですな」


「何か問題がありますか?」


「いえ」


弥兵衛は笑いながら首を振った。


「殿がそこまで帰りたがっておられるのであれば、急ぎましょう」


「私だけではありませんよ。兵たちも同じでしょう」


景継は陣の外へ目を向けた。


ここにいる兵たちにも、帰りを待つ者がいる。


妻。


子。


親。


兄弟。


友。


だからこそ、生きて帰らせたいと思った。


西への退路を残したあの日も、景継が考えていたのは同じことだった。


一人でも多く、自分とともに戦った者を帰す。


ようやく、それができる。


その夜。


林道家の陣だけでなく、宇喜多勢、柴田勢、信孝軍にも毛利との交渉がまとまったことが伝えられた。


大きな歓声が一斉に上がったわけではない。


疲れ切った兵たちは、最初こそ本当なのかと確かめ合い、やがて少しずつ表情を緩めていった。


明日は戦わなくていい。


家へ帰れる。


その事実が広がるにつれ、陣の空気がゆっくりと変わっていく。


景継は自らの陣の前に立ち、その様子を眺めていた。


勝家から柴田家を託されてから、また多くのものを背負うようになった。


領地は増えた。


兵も増えた。


そして今回、備後まで林道家へ加わることになる。


だが、大きくなればなるほど、簡単に動くことはできなくなる。


守るものも増えていく。


景継は西の空を見た。


九州は、その先にある。


いずれ行く。


だが、今ではない。


今は一度、立ち止まる。


傷ついた者を休ませ、国を整え、家臣たちにも家族のもとへ帰る時間を与える。


そして自分も帰る。


楓へ無事を伝えたい。


万代丸を、もう一度この腕に抱きたい。


一益や長秀とも、久しぶりに顔を合わせて話したい。


ほかの者たちの顔も見たい。


戦が終わった今、景継の胸を占めていたのは次の敵でも、新しい領地でもなかった。


帰る場所だった。


景継は西の空から目を離した。


明日、帰ろう。


自分を待つ者たちのところへ。


新作『天下と極道』の連載を始めました。

今回は「戦国×任侠」を題材にした物語です。

今作はAIを誤字脱字などのスペルチェックの補助的使用のみに留め、本文は自作で頑張って執筆しました。

まだまだ拙い部分もあるかと思いますが、少しずつ成長しながら書いていければと思っています。

『乱世にて、我は待つ』とはまた違った雰囲気の作品になっていますので、興味がありましたらぜひ覗いてみてください。

こちらの作品もよろしくお願いします。


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