第百九十三話 共に歩く者たち
越前へ入った景継たちを迎えたのは、冷たい風だった。
山々にはまだ雪が残り、道の脇にもところどころ白いものが見える。
景継は馬上からその景色を眺めながら、以前ここへ来た時のことを思い出していた。
勝家がいた。
大きな声で笑い、景継を迎え、何かあれば豪快に決めてしまう男がいた。
今はもう、その姿はない。
だが、越前には柴田家が残っている。
勝家が最後に自分へ託した家が、これから林道家と共に歩いていく。
「殿」
隣を進んでいた弥兵衛の声に、景継が顔を向けた。
「どうしました」
「前に来た時とは、やはり違いますな」
「……そうですね」
それ以上は言わなかった。
勝家の死を振り返るために来たわけではない。
今日ここへ来た理由は、これからの話をするためだった。
景継たちが城へ到着すると、前田利家をはじめとする柴田家の武将たちが出迎えた。
「景継殿。よく来られた」
「利家殿。お久しぶりです」
「話には聞いておったが、随分と大勢連れてきたな」
利家の視線が景継の後ろへ向く。
弥兵衛。
三成。
吉継。
且元。
さらに、林道家の武将や実務を担う者たちも同行している。
「今日は私だけが柴田家の皆様と話しても、あまり意味がありませんから」
「ほう」
「これから一緒に動く者同士、顔を合わせておいた方がよいと思いまして」
利家が笑った。
「なるほどな。それなら俺も、できる限り集めておいた」
城内には、柴田家の武将だけでなく、兵糧や蔵、城下、街道などの実務を担ってきた者たちも集められていた。
その中には、佐々成政の姿もある。
景継と目が合うと、成政は軽く頭を下げた。
「成政殿。お久しぶりです」
「……ああ」
以前ほど刺々しくはない。
だが、利家のように自然に景継を迎えているわけでもなかった。
それでいい。
景継も、今すぐ成政に何かを求めるつもりはなかった。
◇
しばらくして、双方の主だった者たちが広間へ集まった。
景継は上座へ座ることを勧められたが、少し考えてから柴田側と林道側の双方が見える場所へ座った。
今日の目的は命令を伝えることではない。
「まず、皆様にお伝えしておきたいことがあります」
広間が静かになる。
「柴田家の今後について、もう一度話すつもりはありません」
柴田側の何人かが景継を見る。
「勝家様が亡くなられた後、柴田家をどうするのかについては、すでに皆様と話しました。今日それを蒸し返すつもりはありません」
利家が頷いた。
成政も黙って聞いている。
「今日話したいのは、その先です」
景継は林道側と柴田側を順に見渡した。
「これから林道家が大きく動く時、柴田家にも共に動いていただくことになります。しかし、今のままでは足りないと考えています」
柴田側の武将が尋ねた。
「足りぬとは?」
「互いのことを知らなさすぎます」
景継は率直に答えた。
「同じ敵と戦ったことはあります。共に戦場へ立ったこともあります。しかし、林道の武将と柴田の武将が、一つの軍として動いた経験はほとんどありません」
弥兵衛が続ける。
「合図一つでも違いは出ます。兵の下げ方、予備の置き方、伝令の回し方。戦が始まってから合わせていては遅い」
柴田側から声が上がった。
「柴田の兵が林道のやり方へ合わせろということか」
景継が答えるより先に、弥兵衛が首を横に振った。
「いや。それでは柴田の兵の良さまで消える」
相手が少し意外そうな顔をした。
「俺たちも柴田のやり方を知りたい。そちらにも林道のやり方を知ってもらいたい。その上で、同じ戦場へ出た時にどう動くのが一番よいか決めればいい」
利家が弥兵衛を見る。
「なるほど。お主が林道の兵をまとめている男か」
「弥兵衛と申します」
「名前は何度も聞いておる。戦場でも見たことはあるが、こうして話すのは初めてだな」
「俺も利家殿のお名前は何度も」
「悪い話ではあるまいな」
「それは今夜、酒でも飲みながら確かめてくだされ」
利家が一瞬黙り、それから声を上げて笑った。
「ははは! いいだろう!」
弥兵衛も笑う。
景継はその二人を見ながら、昨日の話を思い出していた。
どうやら弥兵衛の言っていたことは、間違っていなかったらしい。
「兵については、明日から何度か合同で動かしてみましょう」
景継が言った。
「林道側と柴田側を分けて競わせるつもりはありません。最初から混ぜます」
「混ぜるのか?」
利家が尋ねる。
「ええ。林道対柴田では、勝ち負けを競うだけになりかねませんから」
「確かにな」
「林道の武将の下に柴田の兵を置き、柴田の武将の下にも林道の兵を置いてみます。うまくいかなければ、何が悪かったのかを皆で考えればいい」
成政が初めて口を開いた。
「戦場では、そう簡単にはいかんぞ」
「だから今やるのです」
景継は成政を見る。
「失敗しても人が死なない時に、できるだけ失敗しておきましょう」
成政はしばらく景継を見た後、鼻から息を吐いた。
「……理屈は分かる」
「成政殿にもお願いしたいことがあります」
「俺に?」
「柴田の兵の使い方を、林道の武将たちに教えてください」
成政の眉が動いた。
「俺が林道の連中にか」
「ええ。勝家様の下で長く戦ってこられた成政殿なら、私たちが知らないことを多くご存じでしょう」
成政は返事をしなかった。
景継も急かさない。
少しして。
「……分かった」
短い返事が返ってきた。
「ありがとうございます」
それだけで話を終えた。
以前の成政なら、もっと強く拒んでいたかもしれない。
だからといって、これだけで自分を認めたなどと考えるつもりもない。
ただ、一緒に何かをする。
今はそれで十分だった。
◇
軍の話が一段落すると、今度は三成たちの番だった。
三成の前には、すでにいくつもの書付が置かれている。
向かい側には柴田家で実務を担ってきた者たちが座っていた。
「まず確認したいのですが」
三成が一枚の書付を広げる。
「越前から近江方面へ兵を出す場合、兵糧はどこまで柴田側で用意できますか」
柴田側の男が答える。
「兵の数にもよる。越前を出るまでならこちらで賄えるが、その先までとなれば――」
「でしたら、境を越えた後はこちらで引き継ぐ形にした方がよいでしょう」
「だが、途中で予定が変わった場合はどうする」
「その場合のために、予備を置く場所を決めておきたいのです」
話はすぐに具体的なものへ変わっていった。
誰がどこまで用意するのか。
どこで引き渡すのか。
急に兵が増えた場合はどうするのか。
街道が使えなくなった場合、どの道へ回すのか。
景継は少し離れたところから、その様子を眺めていた。
命令しているわけではない。
三成たちは、自分たちで柴田側へ問いかけ、相手の話を聞きながら形を作っている。
吉継は別の場所で、柴田側の者たちから越前の事情を聞いていた。
「冬場は、この道が使いにくくなるのですね」
「雪が深ければな。京の者は冬でも同じように通れると思っている者が多いが、越前ではそうはいかん」
「では、冬に大軍を動かす場合は別の備えが必要になりますね」
「そういうことだ」
且元の周りにも何人か集まっていた。
柴田側から林道家へ連絡を送る場合、誰へ届けるのが最も早いのか。
逆に林道側から柴田へ急ぎの知らせを送る場合、どこを通すのか。
これまで曖昧だった部分を、一つずつ確かめていく。
景継が口を挟む場面はほとんどなかった。
「景継殿」
隣へ利家が来た。
「はい」
「お主、暇そうだな」
「……そう見えますか」
「見える」
景継は三成たちを見る。
「私も何かした方がよいでしょうか」
「やめておけ。あの三成という男、今お主が口を挟んだら嫌そうな顔をするぞ」
「さすがに主にそんな顔はしないと思いますが」
「本当か?」
景継は少し考えた。
「……するかもしれませんね」
利家が笑った。
景継も小さく笑う。
だが、悪い気分ではなかった。
自分が何も言わなくても、話が進んでいる。
昨日決めたばかりのことが、すでに形になり始めていた。
◇
翌日。
城外の広い場所に、林道と柴田の兵が集められた。
大軍ではない。
互いの動きを確かめるには十分な数だけを出している。
弥兵衛が全体を見る。
利家と成政も参加した。
最初に行ったのは、単純な移動だった。
林道の武将が柴田兵の一部を率いる。
柴田側の武将が林道兵を率いる。
合図を出し、隊列を変え、前進し、止まり、後退する。
そして。
「止まれ!」
声が飛んだ。
前へ進んでいた兵の一部が遅れて止まり、後ろから来た兵とぶつかりそうになる。
成政が顔をしかめた。
「遅い!」
すぐに兵のところへ向かう。
「合図を見てから隣を見ておるから遅れる! 前の隊が動いた時点で次を考えろ!」
林道側の武将が尋ねる。
「柴田では、いつもそう動くのか」
「そうだ。いちいち次の命を待っていては間に合わん」
「なるほど」
今度は逆に、林道側の兵が動く。
柴田の武将が命令を出すが、林道兵の一部が思っていた位置とは違う場所で止まった。
「なぜそこで止まる」
弥兵衛が答える。
「林道では、後ろの隊が通る場所を先に空ける。詰めすぎると次が動けなくなるからな」
成政が振り返る。
「ほう」
「柴田とは違うか」
「違う。だが……悪くはない」
「では、両方試してみるか」
弥兵衛と成政が地面へ簡単な線を描き始める。
その周りへ武将たちが集まった。
景継は少し離れた場所から見ていた。
昨日までなら、弥兵衛と成政が並んで兵の動かし方を話している光景は想像しにくかった。
それが今は。
「そこへ予備を置いたら遅い」
「なら、どこへ置く」
「ここだ」
「近すぎる。崩れた時に巻き込まれるぞ」
「では少し下げるか」
「それなら使える」
いつの間にか、二人とも相手がどこの家の人間なのかを気にせず話している。
利家が景継の横へ来た。
「成政の奴、随分楽しそうではないか」
「そう見えますか」
「本人に言うなよ。怒るからな」
「分かりました」
二人はしばらく黙ってその様子を眺めた。
「景継殿」
「はい」
「勝家様が見たら、何と言うかな」
景継はすぐには答えなかった。
林道の兵。
柴田の兵。
その間を武将たちが行き来している。
勝家が生きていた頃には、別々の旗の下にいた者たちだ。
「……もっと早くやれ、と言われるかもしれませんね」
利家が吹き出した。
「あり得るな」
景継も笑った。
それ以上、勝家の話はしなかった。
今ここにいる者たちには、これからがある。
◇
その夜。
城内の一室には、昼間とはまるで違う声が響いていた。
「飲め、弥兵衛!」
「利家殿こそ!」
「俺はまだ一杯しか飲んでおらん!」
「その器で一杯なら、普通の三杯分はありますぞ!」
景継は少し離れた場所から二人を見ていた。
「……始まりましたね」
隣に座っていた吉継が苦笑する。
「止められますか」
「無理でしょう」
三成は酒よりも、昼間に柴田側から受け取った書付を見ている。
景継が眉を寄せた。
「三成殿」
「はい」
「今日は少しくらい仕事を忘れてもよいのでは?」
「忘れる必要がございますか」
「……ありませんけど」
少し離れたところでは、林道側と柴田側の武将たちが昼間の訓練について話している。
「お前たちの隊、退く時は速かったな」
「そちらこそ、前へ出る時の勢いは凄かった」
「今度は騎馬も混ぜてやってみるか」
「面白いな」
文官たちも別の場所で話を続けていた。
酒が入ったことで、昼間の評定では聞けなかった話も出ている。
どこの蔵は使いやすい。
どの道は雨が降ると通りにくい。
どの城の役人は融通が利かない。
どこの商人なら急な荷にも対応できる。
そうした細かな話が、笑い声の間を行き来していた。
景継は酒を少し口へ運んだ。
こういう時間を作ることも必要なのだろう。
「景継殿」
声をかけられ、振り返る。
成政だった。
「成政殿」
成政は景継の隣へ座ると、しばらく黙って酒を飲んだ。
景継も何も言わない。
やがて成政が口を開いた。
「林道の兵は、思っていたより悪くない」
「ありがとうございます」
「褒めておるわけではない」
景継は一瞬だけ黙った。
「では、受け取らないでおきます」
「……お前はそういう返しをするのか」
「どう返すのが正解だったのでしょう」
「知らん」
成政は酒を飲む。
少ししてから、今度は景継が尋ねた。
「柴田の兵は、やはり強いですね」
「当然だ」
返事は早かった。
「勝家様の下で何年戦ってきたと思っている」
「だからこそ、力を借りたいと思っています」
成政が景継を見る。
「林道のやり方に変えるつもりはないのか」
「良いところまで変える必要はないでしょう」
景継は周囲へ目を向けた。
「林道と柴田で違うのであれば、両方を知った上で良い方を使えばいい。どちらにも良いところがあるなら、組み合わせればいい」
「簡単に言う」
「実際にやる方々は大変でしょうね」
「他人事のように言うな」
成政の口元が、ほんのわずかに動いた。
笑ったのかどうか。
景継には分からなかった。
ただ、以前のような壁は少し薄くなっているように感じた。
「景継」
成政が初めて、殿も様も付けずに名前を呼んだ。
「はい」
「お前は、これからどこへ行く」
景継は少しだけ目を細めた。
「まだ決めていません」
「嘘ではないだろうが、全部でもないな」
景継は答えなかった。
成政はそれ以上問い詰めなかった。
「まあいい」
酒を置く。
「勝家様が柴田を託した男が、いつまでも近江と京の周りだけを見ているとも思っておらん」
景継は静かに成政を見る。
「その時は、柴田にも声をかけろ」
「よろしいのですか」
「俺は勝家様の遺志に従うと言った。それに――」
成政は昼間、兵たちが訓練していた方角へ目を向けた。
「今日一日見て、少なくとも林道の連中と一緒に戦えぬとは思わなくなった」
それだけ言うと、成政は立ち上がった。
景継は呼び止めなかった。
忠誠を誓われたわけではない。
すべてを受け入れてもらったわけでもない。
だが、それでよかった。
一日で人の心が変わる必要などない。
共に話し。
共に兵を動かし。
共に酒を飲む。
それを何度も重ねていけばいい。
「殿!」
突然、弥兵衛の声が飛んできた。
「何ですか」
「景継様も一杯!」
「結構です」
「まだほとんど飲んでおられぬではありませんか!」
「明日もありますから」
「明日は明日です!」
利家まで笑いながら手招きしている。
景継は小さく息を吐いた。
隣では吉継が笑いを堪えている。
「吉継殿」
「はい」
「助けていただけませんか」
「私には無理にございます」
「そうですか……」
景継は諦めて立ち上がった。
その向こうには。
林道の者も。
柴田の者もいる。
昨日までは、それぞれ違う家の人間として考えていた者たちだった。
もちろん、今日一日で全てが変わったわけではない。
これからも意見はぶつかるだろう。
戦い方も違えば、考え方も違う。
それでも。
次に戦場へ出る時には。
今日より少しだけ、互いのことを知っている。
それで十分だった。
景継は差し出された杯を受け取った。
勝家から託された柴田家は、ただ林道家の下に置かれているだけではなくなり始めていた。
少しずつ。
人と人が繋がり。
同じ方向へ歩き始めている。
そして景継自身もまた。
次へ進むための準備を、一つ終えようとしていた。




