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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十章 天下西進編

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第百九十二話 林道家の現在


 翌朝。


 昨夜、一人で天下図を眺めていた景継は、いつもと変わらぬ時刻に評定の間へ入った。


 すでに何人もの家臣が集まっている。


 弥兵衛。


 黒田官兵衛。


 石田三成。


 大谷吉継。


 片桐且元。


 平野長泰。


 少し前までなら、この顔ぶれが同じ場所に並ぶことなど考えられなかった。


 三成、吉継、且元、長泰は秀吉の下にいた者たちであり、官兵衛に至っては秀吉の軍略を支え続けた男である。


 それが今では、林道家のこれからを話し合うために集まっている。


 そして、この場にはいないが、勝家から託された柴田家も今では林道家の下にある。


 近江、山城、摂津、大坂周辺、淡路。


 そこに柴田家との繋がりが加わり、信孝が治める美濃や播磨とも深い関係を持つようになった。


 林道家は大きくなった。


 だからこそ、景継には一つ気になっていることがあった。


「皆様に集まっていただいたのは、これからの林道家について話しておきたいことがあるからです」


 景継が座ると、家臣たちの視線が集まった。


「播磨はひとまず落ち着きました。信孝様と信雄様の争いも、今すぐ再び起こる状況ではありません。毛利との間にも、まだ約定によって得た時間があります」


 官兵衛が静かに聞いている。


「大きな戦がない今だからこそ、やっておかなければならないことがあります」


 三成が問いかける。


「領内のことでございましょうか」


「ええ。ただし、以前行ったような新領地の整理ではありません」


 景継は目の前に広げられた地図へ視線を落とした。


「これから先、私は今まで以上に長く領内を離れることになるかもしれません」


 何人かの表情が変わった。


 官兵衛だけは何も言わない。


 景継が何を考えているのか、おおよそ分かっているのだろう。


「播磨より先へ進むことになれば、近江や京へすぐに戻ることはできません。その度に私の判断を待っていたのでは、林道家そのものが動かなくなる恐れがあります」


 そこで三成が手元の書付を一枚取った。


「実は、そのことについて私からも申し上げたいことがございました」


「聞きましょう」


「領内そのものは、以前に比べれば随分と落ち着いております。年貢、蔵、街道についても、今すぐ殿に判断を仰がねばならぬほどの問題はございません」


 三成は別の書付を景継の前へ置いた。


「ですが、それは殿が必要な時に判断を下せる状態にあることを前提としております」


「私が長く戻れなければ、話が変わると」


「はい。これまで殿は各地から上がってきた報告に目を通し、必要なものには直接指示を出されてきました。しかし今後、さらに遠方へ軍勢を率いて向かわれるのであれば、同じやり方を続けるべきではないかと存じます」


 吉継も頷いた。


「小さな領地争い、普請、蔵からの支出、街道の補修。そうしたものまで殿の返事を待っていては、判断が遅れることも出てまいりましょう」


「どこまでを皆様で決め、どこからを私へ上げるのか。それを決めておく必要があるということですね」


「その通りにございます」


 景継はしばらく考えた。


 以前ならば、自分で見た方が早いと思っていたかもしれない。


 実際、それで間に合っていた。


 だが、今は違う。


 林道家の領地は広がり、抱える人間も増えた。


 西へ進めば、一月以上戻れないこともあるだろう。


 それどころか、大きな戦になれば半年近く領国を離れる可能性さえある。


 その間、何かが起こる度に景継の判断を待っているようでは困る。


「分かりました。私がいなくても決めてよいことを増やしましょう」


 三成がすぐに書付へ筆を走らせる。


「銭や兵糧については、一定の範囲まで三成殿に任せます。ただし、大きく蔵を開く場合や軍勢を動かすほどの支出になる場合は報告してください」


「承知いたしました」


「領内で起きた争いについては、吉継殿を中心に判断していただきます。家同士の争いなど、後々まで影響が残りそうなものだけ私へ」


「お任せください」


「且元殿には、新たに林道家へ加わった者たちとの連絡をお願いしたい。旧羽柴方の者についても、困ったことがあればまず且元殿へ話が届くようにしてください」


「はい」


 且元が深く頭を下げる。


 景継は三人を見渡した。


「ただ、皆様だけで決めたことを私が何も知らないという状態にもしたくありません。急ぎでないものは、後からまとめて知らせてください」


 三成が頷いた。


「殿が戻られた時に、何があったのか分からぬ状態にはいたしません」


「お願いします」


 景継は、そこで少し息を吐いた。


 自分がいなくても林道家が動く。


 口にすれば当然のことのようだが、以前の景継には必要のなかった考え方だった。


 領地が小さかった頃は、自分がほとんどのことに目を通せた。


 だが今後もそれを続ければ、自分自身が林道家の動きを止めることになる。


 天下へ近づくほど、自分一人でできることは少なくなる。


 それを景継は、改めて感じていた。


「では、軍の方はどうです」


 景継が弥兵衛を見る。


 弥兵衛は待っていたように身を乗り出した。


「兵そのものに大きな問題はございません。ただ、これから遠くへ出るのであれば、一つ変えておきたいことがございます」


「何でしょう」


「殿がおられぬ場所でも、軍を動かせるようにしておくことです」


 今度は景継が少し目を細めた。


「私がいない軍、ですか」


「はい。もちろん、大きな戦で殿が総大将を務められることに異論はございません。ただ、全ての場所へ殿が行くことはできませぬ」


 弥兵衛は地図の上へ指を置いた。


「例えば殿が播磨より西へ出ている間に、近江で何か起きたとします。その時、殿が戻るまで兵を動かせぬというのでは遅い」


「確かに」


「俺だけの話ではございません。兵を任せられる者には、それぞれ自分で判断して動くことにも慣れてもらった方がよいかと」


 景継は少し考え、頷いた。


「それも進めましょう。ただし、勝手に戦を始めてよいという意味ではありません」


「それくらいは分かっております」


「弥兵衛が一番心配なのですが」


「殿」


 弥兵衛が不満そうな顔をした。


 長泰が堪えきれず小さく笑う。


「長泰殿まで笑わないでください」


「申し訳ございません」


「全く申し訳なさそうに見えませんな」


 張りつめていた評定の空気が、少しだけ緩んだ。


 景継もわずかに笑った後、再び地図へ目を戻した。


「もう一つあります」


「柴田家でございますな」


 官兵衛だった。


「分かりますか」


「軍の話をするのであれば、避けては通れませぬ」


 景継は頷いた。


 柴田家が林道家の下へ入ることについては、勝家が亡くなった後にすでに話し合っている。


 柴田の名を残すことも。


 その家を林道家の下に置くことも。


 越前を中心とする柴田家の今後についても。


 そこをもう一度話す必要はなかった。


 今考えるべきなのは、その次だった。


「弥兵衛。柴田の兵と林道の兵を、一つの軍として動かせますか」


 弥兵衛は少し考えた。


「戦えと言われれば戦えます。ただ、十分かと問われれば違いますな」


「やはりそうですか」


「柴田の兵は強いです。勝家様の下で長く戦ってきた者も多い。ただ、林道の兵とは戦い方も命令の伝え方も少し違う。戦場で突然一緒にしろと言われるより、今のうちに何度か合わせておいた方がよろしいでしょう」


 景継も同じことを考えていた。


 さらに問題は兵だけではない。


 前田利家。


 佐々成政。


 その他にも、柴田家には多くの武将がいる。


 林道側の武将たちと共に戦った経験はあっても、一つの家の者として深く付き合ってきたわけではない。


 文官や実務を担う者たちも同じだ。


「一度、越前へ行きましょう」


 景継が言った。


「私だけではありません。林道家の者たちも連れていきます」


 弥兵衛が頷く。


「合同で兵を動かしますか」


「ええ。それに、軍議も一緒にやってみましょう。実際に何か敵がいるという想定で、林道と柴田の武将を混ぜて考えてもらいます」


「面白そうですな」


「遊びではありませんよ」


「分かっております」


 景継の視線が、今度は三成たちへ向かった。


「三成殿、吉継殿、且元殿にも来ていただきます」


 三成が少し驚いた顔をする。


「我らもでございますか」


「兵だけ一緒に動けるようになっても仕方がないでしょう。柴田家の実務を担う方々とも話してください。林道側が何をしているのかを知っていただき、こちらも柴田側がどう動いているのかを知っておきたい」


「承知いたしました」


 吉継も頷いた。


「それでしたら、向こうの方々と直接話した方が早いでしょう」


「お願いします」


 制度の上では、すでに柴田家は林道家の下にある。


 だが、それだけでは足りない。


 武将同士が顔を知り。


 兵同士が互いの動きを知り。


 政を担う者たちも、何か起きた時に誰へ話を持っていけばよいのかを知る。


 そうして初めて、一緒に動くことができる。


「官兵衛殿はどうされますか」


 景継が尋ねると、官兵衛は少し考えた後に答えた。


「私は、こちらへ残らせていただきたく存じます」


「西ですか」


「はい」


 官兵衛は地図の播磨と淡路へ視線を落とした。


「毛利との約定があるからといって、西国が止まっているわけではございません。毛利も動いているでしょうし、四国をまとめた長宗我部もこれから何をするか分かりませぬ」


「では、情報を集めておいてください」


「承知いたしました」


「私が越前から戻りましたら、一度ゆっくり話しましょう」


 官兵衛が景継を見る。


「今後のことでございますか」


「ええ」


 毛利との間に得た一年。


 その時間をどう使い、その後どこへ進むのか。


 景継自身にも考えはある。


 だが、西国を知る官兵衛の考えも聞いておきたかった。


「その時までに、私も考えをまとめておきましょう」


「お願いします」


 景継は全員を見渡した。


「今すぐ大きな戦がないからといって、何もしなくてよいわけではありません。むしろ、こういう時にどこまで備えられるかで、次に動いた時の違いが出ます」


 誰も口を挟まなかった。


「私がいなくても政が止まらないようにする。私がいない場所でも、必要なら兵が動けるようにする。そして林道家と柴田家が、同じ目的のために動けるようにする」


 景継はそこで言葉を切った。


「まずは、そこから始めましょう」


 家臣たちが一斉に頭を下げた。



     ◇



 評定が終わった後も、三成たちはその場に残った。


 どの程度の支出まで任せるのか。


 どのような争いなら現地で裁いてよいのか。


 軍を動かす場合、誰が誰へ報告するのか。


 景継が不在の時に何か重大なことが起きた場合、どこまで待ち、どの時点で判断するのか。


 一つ決めれば、また別の問題が出てくる。


 景継は途中まで話を聞いていたが、やがて三成が顔を上げた。


「殿」


「何でしょう」


「ここから先は、我らで詰めてもよろしいでしょうか」


 景継は一瞬、返事が遅れた。


「……私がいなくても?」


「そのための話をしていたのではございませんか」


 言われてみれば、その通りだった。


 吉継が小さく笑う。


「最後に殿へお見せいたします。それで問題があれば直しましょう」


 景継は三人の顔を順に見た。


「分かりました。お願いします」


「承知いたしました」


 景継は席を立った。


 少し妙な感覚だった。


 これまでは、自分が最後まで残り、自分で決めることが多かった。


 それを今日は、途中で人へ預けて部屋を出る。


 廊下へ出ると、先に評定を終えていた弥兵衛が待っていた。


「終わりましたか」


「いいえ。追い出されました」


「追い出された?」


「ここからは自分たちでやるから、任せてほしいそうです」


 弥兵衛は一瞬黙った後、大きく笑った。


「よいことではございませんか」


「そうなのでしょうね」


「殿が全部やっていたら、いつまで経っても西へ行けませんぞ」


 景継は弥兵衛を見る。


「皆様、私が西へ行くことを前提に話していませんか」


「行かれないので?」


「……行きますけど」


「では同じことでしょう」


 景継は返す言葉を失った。


 弥兵衛が歩き始める。


「それより越前です。誰を連れていきます?」


「そこは弥兵衛に任せます」


 弥兵衛が足を止めた。


「俺に?」


「先ほど、自分で判断して兵を動かせる者を増やすと言ったでしょう。まず弥兵衛からです」


「なるほど」


「林道側から連れていく武将と兵を選んでください。柴田の方々と一緒に動かした時に、互いのやり方を知ることができるような者を」


「承知しました」


 弥兵衛の返事は早かった。


 そして数歩進んだところで、振り返る。


「殿」


「今度は何です」


「兵だけでなく、夜の方も俺に任せていただけますか」


「夜?」


「酒です」


 景継は眉を寄せた。


「何をするつもりですか」


「何も悪いことはいたしません。柴田の連中とは戦場で顔を合わせたことはあっても、ゆっくり酒を飲んだことはほとんどありませんからな」


「それは必要なのですか」


「必要です」


 妙に力強い返事だった。


「戦場で隣に立つ者が、どんな人間なのか知っておいた方がよい。軍議だけでは分からぬこともあります」


 景継は少し考えた。


 確かに、自分には思いつかなかった方法だった。


 兵の配置を決める。


 命令系統を決める。


 兵糧の運び方を決める。


 そうしたものだけで軍が一つになるわけではないのだろう。


「分かりました。ただし――」


「飲みすぎるな、でしょう?」


「よく分かりましたね」


「長い付き合いですからな」


 弥兵衛は笑った。


 景継も小さく息を吐き、再び歩き始める。


 林道家は大きくなった。


 その分だけ、自分一人では届かない場所も増えている。


 ならば。


 そこへ届く人間を増やせばいい。


 自分がいなくても政を動かせる者。


 自分がいなくても兵を率いられる者。


 そして、これまで別々の家で戦ってきた者たちを繋げられる者。


 そうした人間が増えていけば、景継が遠くへ出ても林道家は止まらない。


 数日後。


 景継は弥兵衛、三成、吉継、且元らを伴い、越前へ向かう。


 勝家から託された柴田家と、改めて主従を確かめるためではない。


 その話は、もう終わっている。


 今度は。


 これから共に進む者同士が、互いを知るために。


 林道家と柴田家が、本当の意味で同じ道を歩き始めるために。



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