第百八十四話 四国の主
播磨へ戻った景継を待っていたのは、長宗我部元親からの使者だった。
毛利との会談へ向かうより前に淡路へ入り、そこから播磨まで渡ってきたという。
つまり、毛利との話がどう決着したのかを知って来たわけではない。
景継が播磨へ入り、信孝の統治を助けている。
そして林道家が淡路を領有している。
長宗我部が使者を送った理由としては、それだけで十分だった。
「お待たせしました」
景継が部屋へ入る。
隣には官兵衛。
そして信孝も同席していた。
播磨そのものについての話ではないが、四国と播磨は海を挟んで近い。長宗我部が何を考えているのか、信孝も知っておく必要がある。
使者が深く頭を下げた。
「長宗我部元親が使者にございます」
「林道景継です」
互いに挨拶を済ませる。
「それで、元親殿は私に何を?」
「林道様が淡路を領有され、さらに播磨へ入られたと聞き、元親様より一度お話をしておくよう申しつかりました」
「なるほど」
景継は頷いた。
使者の言葉に毛利の名は出てこない。
当然だろう。
景継が毛利とどのような話をしたのか、長宗我部側が知るにはまだ早い。
「元親殿は、私が播磨へ来たことを警戒されている?」
「警戒というより、確認にございます」
「何を?」
使者が姿勢を正した。
「林道様が、四国へどのようなお考えをお持ちなのかを」
信孝の眉が僅かに動いた。
官兵衛は黙って使者を見ている。
「随分と直接的ですね」
「曖昧に申し上げても仕方がございませんので」
「嫌いではありませんよ」
景継はそう言ってから尋ねた。
「では、こちらからも直接聞きましょう。元親殿は何を望んでおられるのです?」
「四国を、長宗我部の手でまとめることにございます」
「もう、ほとんどまとまっていると聞いています」
「はい」
使者は否定しなかった。
土佐から始まった長宗我部の勢力は、すでに四国のほぼ全域へ広がっている。
阿波、讃岐、伊予。
各地で抵抗する勢力はまだ残っているものの、もはや四国の情勢そのものを覆せるほどではない。
元親が四国を一つにする。
それは遠い将来の話ではなく、目前まで迫った現実だった。
「だからこそ、元親様は林道様のお考えを知りたいのでございます」
「私が残った者たちを助けるかもしれない、と?」
「はい」
「毛利にも同じことを尋ねているのですか?」
使者は一瞬だけ間を置いた。
「毛利家が何を考えているかについても、当然ながら注意しております」
答えを濁した。
景継も追及しなかった。
長宗我部と毛利の間にも、それぞれの思惑がある。
「分かりました」
景継は使者を見る。
「今のところ、私は元親殿の四国統一を妨げるつもりはありません」
「……よろしいので?」
「ええ」
信孝が横から景継を見る。
使者も少し意外そうだった。
「残る勢力から助けを求められたとしても?」
「その時は内容を見ます」
景継は即答した。
「ただ、長宗我部と戦うためだけに、こちらから四国へ兵を出すつもりはありません」
「そのお言葉、元親様へお伝えしても?」
「構いません」
使者が頭を下げる。
「ありがたく存じます」
「ですが」
景継が続けた。
「こちらからも、元親殿へ伝えていただきたいことがあります」
「何なりと」
「淡路です」
使者の表情が僅かに変わった。
「淡路は林道家の領地です」
「承知しております」
「長宗我部が四国でどこまで勢力を広げようと、それだけで私は兵を出しません。ですが淡路へ手を出された場合は別です」
「元親様に、そのおつもりはないかと」
「ならば問題ありません」
景継は続ける。
「淡路近海を通る林道家の船についても同じです。理由なく妨げられることは受け入れられません」
「必ずお伝えいたします」
「お願いします」
ここまでは簡単だった。
問題は、その先にある。
「もう一つ」
「はい」
「元親殿は、四国をまとめた後、どうされるおつもりです?」
使者が黙った。
「聞いておられませんか?」
「……そこまでは」
「そうですか」
景継はそれ以上問い詰めなかった。
使者が知らないのか。
知っていて答えないのか。
今はどちらでもよかった。
四国をほぼ手中に収めた男が、そのまま満足するのか。
海を越えるのか。
あるいは別の方向を見るのか。
それは元親本人に聞くしかない。
すると使者が口を開いた。
「そのことについて、元親様よりお言葉を預かっております」
「どうぞ」
「四国が完全に定まった後、一度、林道様と直接お会いしたいとのことでございます」
「元親殿ご本人が?」
「はい」
景継は官兵衛を見る。
官兵衛は僅かに頷いた。
「分かりました」
景継が答える。
「お会いしましょう」
「お受けいただけますか」
「私も元親殿とは話してみたい」
「では、そのようにお伝えいたします」
「場所については?」
「元親様は、淡路でも構わぬと申されております」
今度は景継が少し驚いた。
「淡路まで来られると?」
「はい」
四国統一を目前にした元親自身が海を渡る。
それが実現すれば、単なる使者同士の交渉とは意味が変わる。
「それならば、こちらとしても都合がいい」
「では、四国の情勢が定まり次第、改めて使者を送らせていただきます」
「お待ちしています」
使者が深く頭を下げた。
◇
長宗我部の使者が退出すると、信孝がすぐに口を開いた。
「景継」
「はい」
「本当に放っておくのか」
「四国ですか?」
「他に何がある」
信孝は地図の四国を指した。
「ほぼ全部、長宗我部のものになるのだぞ」
「そうなりそうですね」
「そうなりそうですね、ではない」
信孝は少し苛立ったように言った。
「四国が一つにまとまれば、それだけ大きな勢力になる。しかも淡路のすぐ向こうだ」
「分かっています」
「なら、今のうちに残っている者たちを助ける手もあるだろう」
景継は答えず、官兵衛を見る。
「官兵衛殿はどう思います?」
「止めようと思えば、まだ手はございます」
「やはりな」
信孝が言う。
「残る勢力へ兵糧や銭を送り、場合によってはこちらから兵を出す」
官兵衛が続けた。
「ただし、そこまでやれば長宗我部との戦は避けられませぬ」
「勝てないのか?」
「その話ではございません」
官兵衛は地図へ手を置いた。
「四国のほぼ全域を押さえた長宗我部を相手にする以上、少し兵を送って終わる戦にはならぬでしょう」
信孝が黙る。
景継は四国の地図を眺めた。
「今はやめておきましょう」
「理由は?」
「元親殿が四国をまとめること自体は、林道家への攻撃ではありません」
「だが、その後はこちらを見るかもしれん」
「だから備えます」
景継の指が淡路へ移る。
「淡路の守りを固める。港を整える。船を増やす。四国から何が出て、どこへ向かっているのかも掴めるようにする」
官兵衛が頷いた。
「先に手を出すのではなく、海を渡られた時にすぐ動けるようにしておく」
「はい」
「それならば私も賛成にございます」
信孝は二人を見る。
「もし元親が本当に淡路へ来たら?」
「その時は戦います」
景継は迷わなかった。
「そこは譲れません」
「……なるほどな」
信孝は腕を組んだ。
「お前は天下を狙っているくせに、思ったより戦をしたがらないな」
「戦をしたいから天下を目指しているわけではありませんから」
「それはそうか」
「それに」
景継は四国から中国地方へ視線を移した。
「毛利と話をした直後に、こちらから長宗我部へ戦を仕掛ける必要もありません」
「毛利との話は、まとまったのか?」
「ひとまず一年は、互いに直接兵を向けないことになりました」
「一年か」
「はい」
信孝は少し考えた。
「なら、その間に四国を見る?」
「四国だけではありません」
景継は地図を閉じた。
「そろそろ、自分の領地へ戻ります」
「ようやくか」
「随分と長く播磨にいましたから」
「こちらとしては助かった」
「ここからは信孝様のお仕事ですよ」
「分かっている」
今度の信孝の返事には迷いがなかった。
「播磨は俺が治める」
「お願いします」
景継は立ち上がる。
毛利との会談も終わった。
播磨もひとまず落ち着いた。
長宗我部とも、今すぐ戦う理由はない。
ならば一度戻るべきだった。
林道家そのものにも、やるべきことは山ほど残っている。
そして何より――。
楓が待っている。
腹の中には、自分の子もいた。
◇
翌日。
景継が播磨を発つ準備を進めていると、一通の書状が届けられた。
「林道様」
「はい」
「信雄様よりございます」
「信雄様から?」
景継は書状を受け取った。
送り主は、確かに織田信雄。
封を切り、内容を読む。
短い書状だった。
播磨で信孝を助けていると聞いた。
柴田家についても話を聞いている。
その上で、一度直接会いたい。
そう記されている。
「何と?」
官兵衛が尋ねる。
「私と話がしたいそうです」
「信孝様のことで?」
「それもあるでしょうね」
景継はもう一度書状を見る。
勝家が亡くなり、柴田家が林道家の下へ入ることになった。
その直後、景継は信孝に頼まれて播磨へ入り、その統治を助けた。
信雄から見れば、気にならないはずがない。
「どうされます?」
「お会いしましょう」
「すぐに?」
「まず一度帰ります」
景継は書状を畳んだ。
「楓に怒られますので」
「それは避けた方がよろしいでしょうな」
「官兵衛殿もそう思います?」
「戦より厄介なこともございます」
「経験がおありで?」
「さて」
景継は小さく息を吐いた。
播磨を発つ理由が、また一つ増えた。
◇
その頃。
信雄もまた、一人の男へ書状を送っていた。
三河。
徳川家康の前に、その書状が置かれる。
家康はゆっくりと目を通した。
柴田家が林道家の下へ入る。
信孝は播磨で景継の助力を受けた。
北条とはすでに縁戚となっている。
そして今度は、西へ目を向けているらしい。
書状の最後には、信雄の懸念が記されていた。
――このまま林道景継の力が大きくなれば、織田家はどうなる。
家康は書状を畳んだ。
「殿」
家臣が声をかける。
「いかがなされます?」
「返事を出そう」
「何と?」
「一度、お話を伺いたい、と」
「信雄様とお会いになるので?」
「そのつもりだ」
家康は静かに答えた。
家臣が退出する。
家康は一人になると、もう一度信雄の書状を開いた。
林道景継。
中央で秀吉を倒した男は、今度は西へ目を向け始めている。
ならば、自分が急いで西へ向かう必要はない。
家康は書状を閉じた。
「今は、見ておけばよい」
景継が西と南へ目を向ける一方。
信雄は家康へ近づき始めていた。




