第百八十二話 最後の一城
翌朝。
信孝は兵を率いて、返答を拒んでいる最後の城へ向かった。
景継と官兵衛も同行する。
これまで話を重ねてきた城々とは違い、城門は閉ざされ、城壁には兵の姿があった。
「攻めるか?」
信孝が尋ねる。
「その前に、一度だけ話しましょう」
景継が答えた。
使者を送ると、意外にも城主は対面を受け入れた。
◇
城外の寺で、信孝と城主が向かい合った。
「俺と戦うつもりか?」
「……ございませぬ」
「なら、なぜ兵を集めた」
城主はしばらく黙った後、頭を下げた。
「決めきれなかったのでございます」
周囲の城々が次々と信孝へ従っていく。
毛利を頼るべきか、信孝に従うべきか。
迷っている間に自分だけが取り残され、恐怖から兵を集めてしまったという。
「毛利へ使者は?」
「出しておりませぬ」
「ならば明日の朝、城門を開けろ」
城主が顔を上げた。
「……お許しいただけるので?」
「使者を追い返した責は取ってもらう。だが、家を潰すつもりはない」
「なぜ……」
「お前を潰したところで、播磨が治まるわけではない」
信孝は城主を見据えた。
「兵を解け。俺の役人を受け入れろ。それで終わりだ」
しばらくして、城主が深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
◇
翌朝。
約束通り城門は開いた。
集められていた兵も解かれ、信孝の役人が城へ入る。
これで、返答を保留していた最後の城も信孝に従った。
「……ようやくか」
信孝が地図を見ながら呟く。
「ここからが大変ですよ」
景継が言った。
「分かっている。だが、もう俺の使者を追い返す城はない」
信孝は播磨の地図を見下ろした。
「ここからは俺がやる」
景継は頷いた。
播磨へ来た当初、信孝は土地を与えられたことで、自分がその主になったと考えていた。
だが今は、自ら城々を回り、相手の言葉を聞き、時には譲り、時には退かなかった。
少なくとも、播磨を自分で治めようとしている。
景継と官兵衛がいつまでも隣にいる必要はなかった。
その日の午後。
安国寺恵瓊が再び姿を現した。
「十日も必要ございませんでしたな」
恵瓊の第一声だった。
「よくご存じで」
官兵衛が答える。
「播磨でこれだけ動きがあれば、嫌でも耳に入ります」
恵瓊は信孝へ頭を下げた。
「まずは、お見事にございます」
「まだ治め始めたばかりだ」
「それでも、誰の命を聞けばよいのかは明らかになった」
信孝は恵瓊を見た。
「ならば約束してもらうぞ」
「ええ」
恵瓊も今度は濁さなかった。
「毛利は、信孝様の支配下に入った播磨の者たちへ、離反を促すような働きかけはいたしません」
「書状もか?」
「その目的では送りませぬ」
「兵や兵糧を渡すことも?」
「いたしません」
信孝が頷いた。
「こちらも、理由なく毛利へ兵を出すことはしない」
「それで結構にございます」
恵瓊が今度は景継を見る。
「林道様も?」
「半年の間、こちらから毛利家および毛利家に属する勢力を攻めない。それであれば約束します」
「承知いたしました」
ひとまず形ができた。
半年。
長いようで、乱世では短い。
だが播磨を落ち着かせ、その先を考える時間としては十分だった。
「さて」
恵瓊が姿勢を正した。
「ここからが、もう一つのお話でございます」
「会談ですね」
「はい」
「相手は決まりましたか?」
「決まりました」
景継が待つ。
恵瓊はゆっくりと告げた。
「毛利輝元様がお会いになります」
信孝が目を見開いた。
「毛利の当主自らか」
「林道様と話すのであれば、人任せにはできぬと」
景継も少し意外だった。
使者同士の話で終わる可能性も考えていたからだ。
「どこで?」
「播磨と毛利領の間で場所を整えます。互いに連れる兵は最小限に」
「分かりました」
「それと」
恵瓊が続ける。
「輝元様だけではございません」
「他にも?」
「吉川元春様、小早川隆景様も同席されます」
官兵衛の目が僅かに動いた。
毛利輝元。
吉川元春。
小早川隆景。
当主と、その毛利を支える二人。
毛利の中枢が揃う。
「ずいぶんと大掛かりですね」
景継が言った。
「それだけ、毛利も林道様を見極めたいのでございましょう」
「私一人を見るために三人も?」
「ご不満ですか?」
「いえ」
景継は少し考えた。
「むしろ話が一度で済みそうです」
恵瓊が笑う。
「その余裕がいつまで続くか、楽しみにしております」
「官兵衛殿も連れていきます」
景継が言った。
恵瓊の笑みが止まる。
「……やはり?」
「播磨まで来ていただいたのです。最後まで働いていただきましょう」
官兵衛が口を開く。
「私の意思は聞かれないので?」
「行きたくありませんか?」
「まさか」
官兵衛は恵瓊を見る。
「毛利の方々と、もう一度ゆっくり話せる機会でございます」
恵瓊も官兵衛を見返した。
「今度は急いで畿内へ戻る必要もございませんからな」
「ええ」
二人の間にある過去を、景継は詳しく聞いていない。
だが、あえて今聞く必要もなかった。
「日取りが決まり次第、お知らせいたします」
「お願いします」
恵瓊が退出する。
その後ろ姿が見えなくなってから、信孝が景継へ向いた。
「本当に行くのか」
「もちろんです」
「毛利の中心が三人揃うのだぞ」
「だから行くのです」
「怖くないのか?」
景継は少し考えた。
「怖いですよ」
「そうは見えん」
「見せていないだけです」
信孝は景継をしばらく見た後、息を吐いた。
「俺も行くと言ったら?」
「播磨を空けない方がよろしいかと」
「……そう言うと思った」
「今の播磨には信孝様が必要です」
信孝は地図を見る。
ようやく自分の命が通り始めた土地。
ここを放り出して毛利との会談へ出る意味はない。
「分かった」
信孝が言った。
「播磨は俺が見る」
「お願いします」
「その代わり、毛利との話が決まったらすぐ知らせろ」
「もちろんです」
◇
恵瓊が去った後。
景継と官兵衛は、改めて中国地方の地図を広げた。
「官兵衛殿」
「はい」
「輝元殿、元春殿、隆景殿。改めて、どのような方々です?」
「一言では難しゅうございます」
「では、一人ずつ」
官兵衛の指が中国地方へ置かれた。
「輝元様は毛利家の当主。祖父である元就公が遺した大きな家を背負ってこられたお方です」
指が次へ移る。
「吉川元春様は、戦場で毛利を支えてきた武将。戦となれば、まず軽く見てはならぬお方です」
「では、小早川隆景殿は?」
「こちらは少々厄介ですな」
「元春殿より?」
「厄介さの種類が違います」
官兵衛は答えた。
「戦だけではなく、政も外交も分かる。こちらが何を欲しているか、その先まで考えて話をされるお方です」
「なるほど」
景継は地図を見つめた。
「三人が揃って毛利を支えている」
「はい」
景継は、以前官兵衛から聞いた言葉を思い出した。
毛利は、一人を倒して終わる家ではない。
その意味が、三人の話を聞いたことで少し具体的になった気がした。
「一人だけを見ていては分からない、ということですね」
「その通りでございます」
「三人とも、こちらと戦を望んでいるのでしょうか」
「それは、実際に話してみなければ分かりませぬ」
官兵衛が答える。
景継は小さく頷いた。
「では、それを確かめましょう」
「はい。そのための会談でございます」
景継は地図を閉じようとして、手を止めた。
今度は視線を南へ向ける。
「官兵衛殿。先日の四国の件、その後は?」
「引き続き調べております」
「長宗我部元親の動きは?」
「大きく変わってはおりませぬ。ただ、勢力を広げる動きも止まっておりません」
景継の指が淡路へ置かれた。
林道家が得た旧羽柴方の所領。
その先には四国がある。
「淡路を持つ以上、無関係ではいられませんね」
「はい」
「引き続き調べてください」
「承知いたしました」
景継は地図を閉じた。
毛利との会談。
その一方で、四国では長宗我部が勢力を広げている。
西だけを見ていればよいわけではなかった。
◇
同じ頃。
海の向こう、四国。
一通の書状が長宗我部元親のもとへ届けられていた。
「播磨が落ち着いたか」
元親が書状を読み終える。
「はい。織田信孝の支配が固まりつつあるとのこと」
「信孝だけの力か?」
「林道景継と黒田官兵衛が播磨へ入っております」
元親は書状を置いた。
「林道景継……」
「秀吉を討った男にございます」
「知っている」
元親は立ち上がった。
海の向こう。
淡路。
そして、そのさらに向こうには播磨がある。
「淡路も、今は林道だったな」
「はっ」
「毛利も動いているそうだな」
「安国寺恵瓊が播磨へ入ったとの報せがございます」
「そうか」
元親はしばらく考えた。
毛利。
林道。
織田。
中央で大きな戦が終わったことで、今度はその目が西へ向き始めている。
「こちらはこちらで進めるぞ」
「はっ」
「中央の連中が西を見始めたからといって、待ってやる理由はない」
元親の視線が海の向こうへ向く。
「四国は――四国で決める」
景継が毛利との会談に向かおうとしていたその頃。
南でもまた、長宗我部元親が歩みを止めるつもりはなかった。




